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『ダブドリ Vol.10』 インタビュー07 宮田諭(東京エクセレンス)&齋藤豊(東京エクセレンス)

2021年1月22日刊行の『ダブドリ Vol.10』(株式会社ダブドリ)より、東京エクセレンスの宮田諭選手/GMと齋藤豊選手のインタビュー冒頭を無料公開いたします。聞き手はライターの吉川哲彦氏。

前人未到の結成16年目を迎えた東京エクセレンスの宮田・齋藤コンビ。キャラクターがまるで違うコンビが続く秘訣とは......? 

「もっと一生懸命やれるチームがあったら」っていう話がきっかけでした。(宮田)

― まずはお2人にキャリアを振り返っていただきたいんですが、宮田さんがバスケを始めたのはいつですか?

宮田 小学校4年くらいかな。野球とサッカーとバスケを一週間で3つ掛け持ちできて、面白いからやってるみたいな感じでしたね。中学も部活はサッカーだったんです。でも一生懸命やっててもあまり面白くなかった。もうちょっと厳しいほうがいいかなって思ってたら、友達が「バスケ部は厳しい先生いるよ」って言うんでそっちに行って。高校も最初野球部に仮入部したんですけど、これもちょっと違うなと思って、そこからずっとバスケです。

― 高校は推薦じゃないんですね。

宮田 普通の公立です。でも、その時赴任してきたのが倉口(勉)先生っていう、今でもB.LEAGUEの審判をやってる人で、当時20代後半だったのかな? めちゃくちゃ動けてすごい上手くて、いろいろ教えてくれたのでそこでハマりましたね。

― その後、早稲田大には一浪で入られたんですよね。

宮田 高校でバスケが面白かったんで落第しそうになって。結局浪人したんですけど、関東1部と2部で探したら、早稲田と慶應は一般入試でも部活に入れてもらえるチャンスがあったんです。

― 大学を出た後に一旦は一般就職されてますが、エクセレンスが立ち上がったのはその頃でしたっけ?

宮田 大学4年間でバスケは終わろうと思ってたんですけど、その後5年目と6年目があるんですよ、留年して(笑)。エクセレンスをみんなで立ち上げようとなったのがその5年目です。

― どういう経緯だったんですか?

宮田 当時は年間でプロというか実業団に入れるのは数人だけで、社会人になると選択肢が少なくて、今JBAにいる東野(智弥・JBA技術委員長)さんとかロバート・ピアス(現マイアミ・ヒートアジア担当スカウト)さんと「もっと一生懸命やれるチームがあったらいいよね」っていう話をしたのがきっかけでした。ワイス団(元日本代表)とかも来てくれて。

― 齋藤さんは、バスケを始めたのはどういうきっかけだったんですか?

齋藤 小学校5年の時に転校したんですけど、それまでは全然興味なくて。転校先がたまたま強い学校で、6年生の時に先生に誘われてレイアップシュートを教えてもらって、面白いかなって。

― そのまま続けられて、東住吉高校には推薦で行かれたんですか?

齋藤 いいえ、公立なんで。

宮田 推薦じゃないの? 知らなかった。

― でも大阪府では強豪でしたよね?

齋藤 僕が中学の時に初めてウインターカップに行ったんじゃないですかね。

― 齋藤さんが入って強くなった?

齋藤 全然そんなことないです。僕は大阪選抜でも何でもなくて、ウインターカップの出場校を見たら大阪の1位が東住吉って書いてあったので、先生に「ここに電話してください」って言って見学に行ったんです。良い先生がいるか強いチームかで迷って、バレーで全国に行った姉には「やっぱり人だと思うよ」って言われたんですけど、最終的には家から近いほうを選びました(笑)。

― 筑波大に関してはどうだったんですか?

齋藤 筑波大学にも推薦枠はあるんですけど、国立だから学力も必要で。初めて関東の大学に進学した先輩が筑波と青学で、どっちか迷ったけどお金もないので国立でお願いしましたね。勉強は普通にしてました。

― 大学はやっぱり関東の強いところでと思ってたんですか?

齋藤 関東がどうとか全然知らなかったんですけど、どうせやるなら強いところでとは思ってました。でも筑波は当時2部に落ちてたんですよ。

― あの当時は1部と2部を行ったり来たりでしたもんね。ただ、同期には柏倉秀徳さんや若月徹さんがいたわけで。

齋藤 高校も周りは府選抜のメンバーがズラッと並んでて、僕は無名でポツンとしてたんですけど、大学も柏倉と若月は1年からスタートで、僕は最初の2年間は出てない。全然エリートじゃないんですよ。

― 東住吉から筑波と聞くとエリートかなと思うんですが、あまりそういう意識はないんですか?

齋藤 あまりないですね。田臥世代と言われる中で、僕は目立ってない、みんな知らない選手。

― 2年生まで試合に出てないというお話でしたが、その後の活躍を考えると当時のJBLからオファーがあったと思います。実際どうでした?

齋藤 8チーム中6チームからオファーがありました。

― 行かなかったのは何故ですか?

齋藤 当時からNBAをTVで観てて「アメリカに行きたい」と考えていました。大学の時にJBLと試合をしても面白くなくて。実家の電気工事屋を継ぐためにも、諦めるためにアメリカへ行こうと決めたんです。

― JBLに魅力を感じなかった?

齋藤 日本ならなんとかなりそうだと思って。コテンパンにやられて「自分は無理だったな」と思って辞めたほうがスッキリすると思ったんです。

田臥勇太と一緒にバスケをやると謎の勘違いが生まれることもある。(宮田)

― 齋藤さんが大学を卒業したのが2002年で、宮田さんがエクセレンスを立ち上げたのもその頃ですよね?

宮田 3歳違いなんですけど、僕が一浪して2留してるから社会人になるのは同期なんですよ。だから、彼がアメリカに行くタイミングで僕は就職してるんです。エクセレンスが公式戦に出るようになったのがその1年前ですね。

― 宮田さんは齋藤さんのことは知ってました?

宮田 めちゃくちゃ知ってました。早稲田が1部に行けるかどうかが筑波の試合結果にかかってることがあって、その観客席でOBの集団の1人として筑波を応援したんですよ。で、その試合、齋藤が大暴れしてて(笑)。

齋藤 僕が3年生の時ですよね? その年は2部の1位が我々で2位が早稲田。1部との入替戦で、僕らは1勝して昇格が決まったんですけど、2戦目で我々が勝たないと早稲田にチャンスがなくなるというので早稲田の人たちがみんな応援してくれたんです。自分たちはもう決まってるから始めは気分よくやってたら、めっちゃ競ってて何ならちょっとリードされたり(笑)。でもちゃんと後半頑張って勝ったから文句ないよね、みたいな(笑)。

― ちゃんと早稲田にも貢献したぞということですね(笑)。逆に齋藤さんは宮田さんのことは……。

宮田・齋藤 知らない(笑)。

― (笑)。

宮田 ほぼ誰も知らなかったと思いますからね。アルバルクに入った時もそうですよ。早慶戦で顔を合わせるんで石田(剛規)だけは知ってくれてましたけど。

― そのアルバルクに入る前に宮田さんもアメリカに行かれてますね。それはどういう経緯だったんですか?

宮田 僕は齋藤と真逆で、選択肢がなかったんです。当時JBLとJBL2があって、エクセレンスでJBL2と試合すると勝ってたんですね。それであまり面白くなくて、JBL2から誘いはあったんですけど結局働きながらプレーするわけで、どうしたら面白いんだろうって悩んだ時期もあって。そういう時にたまたまレイカーズのクリニックが日本であって遊びに行ったら、短期のサマーリーグがあるとかトライアウトを受けられるという話を聞いて、若かったし行ってみてもいいかなって。当時田臥(勇太)君がうちの練習に来てくれたりもしたんで、そういう人と一緒にやってると謎の勘違いが生まれることもあるんですよ(笑)。

― 感化されたんですね。

宮田 そうですね。KJ(松井啓十郎)とか比留木(謙司)とか、青木康平が来てくれたこともありました。僕が見てた側の人たちとバスケをするようになって、ちょっと刺激されたというか、血迷って会社を辞めることになって(笑)。

― 周りから反対されませんでした?

宮田 全員反対しました(笑)。おまえ自分をわかってないだろと。言葉も喋れないし、ツテも実績もない。大企業でサラリーマンやってたらまぁ反対しますよね。唯一賛成してくれたのが、車いすバスケで男子日本代表のヘッドコーチをやった及川晋平さん。あの人も海外に挑戦してて、「別に失敗していいから行ったほうがいいよ」って言ってくれました。あとは全員反対です、親も。

大柴 いや、そりゃ親が一番反対するでしょ(笑)。

― でも最終的には自分で決断して、トライアウトに受かったわけですよね。

宮田 運も良くてチームには残れましたけど、当時のABAって今のGリーグとは全然レベルが違って、アルバルクと試合したらたぶん負けたと思う。あと、日本人は当時田臥君とかカズ(中川和之)くらいしかいなくて、マイナーチームからすると面白かったんですよ。日本企業からスポンサー取れるかもしれないし、ロス近郊だったんで日本人に興味を持ってくれたのかなと思います。

宮田齋藤締め用

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この後も、お二方がはじめてチームメートになったトヨタでのお話やエクセレンスにかける思いなどを語ってくださっています。続きは本書をご覧ください。

ダブドリVol.10の試し読みコーナーは今回で最後となります。次号Vol.11の取材の様子の一部はTwitter(ダブドリ、各クラブ公式)でも先出ししておりますが、発売日等々の情報解禁はまた後日。 ダブドリTwitter をフォローしてお待ちください!ここまでご覧いただきありがとうございました:-)

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