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ゆらぷか通信 第7号 ジェンダーを演じてみたくなった

「ゆらぷか通信」は、きむきむ(@cory614)とダー子(@Daako_Daako)がお届けする交換日記です。前回までの記録はこちらのマガジンからどうぞ。


遅くなってすまなんだ。

前回きむきむさんが猛暑の時の話をしていたのに、もう年の瀬である。
ゆらぷかしていたかったんだけど、がっしゃんばったんな日々でした。
余裕がなくなると余裕がなくなる、のは同じだが、きむきむさんとは逆で、わたしは余裕がなくなればなくなるほど、しゃべる。うろうろする(家の中を)。謎の踊りを始める。我が家では通称「徘徊」と呼ばれている。
きむきむさんに話したいことはたくさんあったのだが、ゆっくり時間がとれいまま、ひとりごとをぶつぶつ言いつつ右往左往するうちに年末になってしまった。

と、いうわけで、書く。でも日記なので半分ひとりごとである。

ジェンダーについて、話す・書く・考える

ジェンダーについてのトークイベントに行ってきました(DMしたやつです)。こじんまりとした会場で、参加者も登壇者含め15人くらい。もともと知り合いなひとびともいて、みんな始まる前から終わった後までしゃべってた。登壇者も参加者もけっこう個人的な体験を話していたので内容は書かない。
登壇者のトークのあと、参加者も感想など話しましょう、という場が設けられて、そこでの発言量が、①年配の男性②女性③若年の男性、の順に多かったようにわたしが感じ取った、という現象もあった。時間を計ったわけでも文字起こしして字数を数えたわけでもないから、わたしが感じ取っただけ、なのだけど。
わたしがそのように感じ取ること、そこに意味を見出そうとすること、その意味なんかも考えた。
ある状況があって、その状況について考えるわたしがいて、そのわたしについて考えるわたしがいて……。

印象に残っているのは、すごく苦しそうな顔をしている人がいたこと。その人にとってはすごく切実な問題としてジェンダーの問題があって、だからたくさんたくさん考えていて、それゆえ苦しいのだろうな、と想像した(わたしもそのきらいはある)。その苦しみとはどう向き合ったらいいのだろう?

慣れる・おちょくる・踏み外す?

そのときふと思い出したのがこの本だった。というか、このタイトルだった。「真面目に考える」以外の向き合い方があるのかもしれない。

「演じてみる」ことの可能性

イベントに、演劇に詳しい方が何人かいて、演じることとはどういうことか、という話を聞かせてもらった。
演じることで、自分をゆさぶり、現実とは異なる世界の可能性を開く。思ってもいなかった、自分の/他者の心の動きに気づく。そんなことができたら面白いかもしれない。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
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きむきむ

ダー子


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