2月23日(木) 大阪遠征 茶臼山周辺
大阪は私の生まれ育った街であり、社会人で2年間過ごした地です。天王寺駅で降り、懐かしみながら周辺を散策しました。
13時30分 天王寺駅
もう、建設されてから10年くらい経つのか、としみじみ。相変わらず高くて大きい建物でした。それにしても人が多い!
天王寺駅周辺は整備が進み、多くの人で栄えていました。
路面電車は味があって、いいですね。
電車好きにはたまらないです。
天王寺といえば、大阪の街を象徴する下町、という印象を持ちがちですが、今はかなり綺麗な建物が立ち並んでいて、おしゃれな街に進化していました。
14時半 新世界・てんしば
“てんしば”は、近年空き地になっていた場所に芝を敷いて、様々なイベントが行えるようにしたところ。
元々、人が多く、集まりやすい駅前の場所だったので、人混みに溢れていた。
大阪くらいまで規模が大きくなると、もはやまちづくりとは何なのか、分からなくなってしまう。
私の街・刈谷にはこのような余裕のあるスペースもないし、仕事の街だし、名古屋以外にここまで人の集まる場所はない。
私が目指したい雰囲気とはまた違うな、と感じた。
あと、驚いたのは天然芝であること。整備が大変だろうに、攻めたことをしたなぁ、と思った。
15時 茶臼山
ここは、冬の陣では徳川家康公の本陣、夏の陣では真田幸村の本陣だった。
立て札には、真田幸村氏の功績が煌びやかに記載されており、今に伝わる英雄・真田幸村像が浮かび上がった。
真田幸村は、武士から尊敬を集めていたそう。無事から尊敬を集めるということに感嘆した。
芯の通った、強い人だったようだ。
徳川家康が天下を決定づけた場所なのに、真田幸村が讃えられる、そのことに興味が湧いた。
徳川家康は、自分の死期も悟ったのか、焦ったのか分からないが、卑怯な手を使って、大阪城のお堀を埋め、城を落とした。
あまりそういうことをする印象がないだけに、驚いたのだが、明らかに天下が家康に転んでいるのに、「豊臣に恩義がある」とし、決して裏切らなかった真田幸村。
最後の最後まで徳川家康を苦しめた人物として讃えられている。
16時 安居天満宮
真田幸村の最期は、このさなだ松で休憩していたところ、敵に見つかり斬首された。
首実検の時、家康公が「幸村の武勇に授かれ」といって、そこにいた武将たちがこぞって幸村公の髪の毛を抜き、家宝にしたのだそう。
また、家康公は「私の前でも、幸村を称賛することを許す」として、敵ながら称賛したそう。
年老いても素直にそういうことが言える家康公の人徳も高いものを感じるが、敵をしてそういったことを言わせる幸村も偉大と感じた。
日の本一のツワモノ、真田幸村。真田家の知名度を全国に押し上げた武士の中で最も功績を上げた1人と言える。
そのあとは、私自身の懐かしい場所である心斎橋まで歩いて向かい、帰った。
疲れは感じず、楽しい散歩になった。