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ギフテッド・サバイバー

みなさま、初めまして。
過去3度にわたる重いメンタル休職、命の危機を経て、めぐり合わせのおかげでなんとか前を向いてお仕事してるギフテッドです。凹んだり立ち直ったり、我ながらメンタルが強いのか弱いのかわかりません。

この記事をご覧のみなさまは、ギフテッドという単語はご存知でしょうか。単語だけ聴いたという人も、なにか記事を見たという人も、自身に関わりがある人もいるかもしれません。
最近はギフテッドという言葉と共に「才能のある子どもたちにも、特有の生きづらさがある」なんて情報が広まりつつあります。そんな子どもたちもいずれは成長して大人になるわけですが、さてギフテッドが成長して社会に出るとどうなるのでしょうか?もちろん学生時代にも多くの苦労がありましたが、自分の場合は社会に出てからの方がよっぽど大変でした。自分に合わない環境に身を置いてしまった時はろくな目にも遭わず、周囲にも迷惑をかけてしまっているので、双方ろくなことになりません。どっちが悪いというより、ただただ相性の問題です。

今でこそありがたい環境に出会い、なんとかやっております。いろいろ乗り越え、やっと「いやーしんどかったな!!みんなにいいことありますように!!」とお手伝いできる側になりました。

自分はギフテッドの専門家でもなんでもありませんが、"いいエンジンを頂いておいて、制御できずにクラッシュしまくっているサンプル"ではあります。そんな経緯を振り返っていきたいと思います。

おしながき
・ギフテッドってなんなの?
・自分が周囲とズレたメカニズム
・評価が両極、ズレて嫌われ休職3回
・"ギフテッド"をカミングアウトした転職活動
・これからサバイバー生活を卒業へ、自分にできること

ギフテッドってなんなの?

みなさま、小学生の時のクラスの景色を思い出してください。授業や勉強を「簡単すぎてつまらない」みたいに言い出したり、「なんで?どうして?」としつこかったり、周りとズレた部分があってナマイキで、どことなく周囲から浮いているヤツ。そんなヤツが、クラスや学年にたまにいませんでしたか?思い浮かんだでしょうか?もしいたとしたらその節は大変申し訳ございませんでした。アレ、私です。
もちろん人によりますが、みなさまが思い浮かべた子は単純に勉強ができるというだけでなく、「なんかヘンな子」という異質さを持っていたかもしれません。だとしたらそこがまさにギフテッドという特性であり、周りとズレを生む原因なのです。Wikipediaでこそ

先天的に、平均よりも、顕著に高い知性と共感的理解、倫理観、正義感、博愛精神を持っている人のこと。外部に対する世間的な成功を収める、収めないにかかわらず、内在的な学習の素質、生まれつきの高い学習能力や豊かな精神性を持っているということである。

なんてかっこよく書かれていますが、外から見たらただの変なヤツ、なんてこともままあるんじゃないかなと思います。
そしてこの特性は大人になったら消えるのかと言えばそんなこともなく、結局ズレるものはズレます。やること、やり方、感じ方など、とにかくいろいろズレます。あらゆる場面でズレ倒します。

そしてみなさんも重々ご存知かと思いますが、社会(特に日本)において周囲からズレることはとても危険であり、これがサバイバル生活のキーになってきます。

ここからは、ぼっち&ボッコボコのどん底体験や、たまに環境に恵まれホームランを打った話、最終的にギフテッドをカミングアウトして転職した結果、よい環境にたどり着けたっぽいぞという話を振り返ります。

母「昔のあんたは面白かった」

そもそもギフテッドは明確な基準もないし、一般的には教育現場で子供を対象に使われる言葉だし、日本では使われていない概念です。その中で、純国産のおっさん(30代半ば)がなに勝手にギフテッド名乗ってんの?と思われるかもしれません。現在はギフテッドの専門知識をお持ちの先生のもとで支援を受けつつ、こちらの東京大学大学院寄付講座の研究に協力させて頂いている立場なので、いったんギフテッドを名乗ることはご容赦くださいませ。

ただ、実家に戻って話を聞いてみると、いろいろそれっぽい話も出てきました。

1. あれだけピアノを弾いていたのに

小学校時代にピアノを習っており、上級編(モーツァルトのソナタとか)にまで突入するくらい頑張っていたらしいのですが、最後まで譜面は読めておらず、耳コピで乗り切っていたそうです。母親曰く、中学に上がった私が音楽の授業で使う歌の譜面を渡してきて「これ読めないからドレミで書き起こしてくれ」とお願いされて衝撃を受けたそうな。ただ残念ながら今は弾けないどころか当時の記憶もほぼありません。自分もかっこよくピアノを弾いてキャーキャー言われたい人生でした。

2. 恐怖の折り紙

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こちらの画像は、自分が作った巨大な怪獣(バ○ムート)の折り紙です。1メートル四方の巨大な折り紙から、ハサミなど使わず作っています。
これ自体は大人になってから作ったものですが、幼少期の時に同じようなモンを作っていたので、そのイメージと思ってください(当時使っていた本を大人になってから発見したので、懐かしがりながら折りました)。

小学校中学年の当時は、折り紙に勤しんでいた自分が突然ギャン泣きしだしたこともあったそうで。母親がどうしたものかと見に来ると、完成した作品を床に放り投げた私が「恐ろしいものを作り出してしまった」と怯え泣いてていたそうで、その作品がこれ。

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本の中からひたすら難しそうな作品を作ることに夢中になっていたからなのか、自分でも何を作っているかは理解できていなかったそうで、完成してやっと自分の作ったものの正体に気づいたようです。当時はゲームのキャラも怖がるようなスーパービビリだったので、相当ショックだったんだとか。この話は、今にして自分で聴いても、ちょっと面白いので好きです。

3. 小学校のIQテスト

これはシンプルな話で、小学校で実施されたIQテストの後に親が学校に呼び出されて「この学校でこんな数値は見たことがない」という結果だったそうです(最近母親に言われた)。もちろん、過去どれくらいの生徒がテスト受けたかは不明なのでなんとも言えませんが。。。

小学校ではペースを合わせて勉強することを強いられていたので、逃げるように外の環境で勉強していました。10歳の頃には中3の数学の教材を終わらせていたそうで、こっちの方が合っていたんだろうなと思います。

IQ高い ≠ ギフテッド

ということで3つエピソードを紹介しましたが、いかんせんすべての情報ソースは母親なので、これが事実かどうかはうちの母親次第ではあります。
ただ半年前に受けたテストでもちゃんとIQは高かったので、それなりに片鱗は残っているようです。ただいわゆるテレビとかに出る"天才"と呼ばれるような数値ではありません。標準的なギフテッドという感じです。

最近ここらへんの話を母親にした時は「あなたは昔はワクワクするような面白いバグり方をしていたけど、ずいぶんつまらなくなった」と言われました。心底やかましいわと思いつつ、そうして自分を潰さないと社会で生きてはこられなかったというのが、これまでのサバイバル経験でした。

ただこれはどこかで書きますが、自分がズレてきた原因はIQテストで測れる外の部分だと感じています。そして直近のIQテストでイヤな目に遭ったので私はIQテストが嫌いです(なんでこんなもんで決めつけられないといけないんだ、という感覚です)。ギフテッドのWikipediaにも

またIQ値は、学問や芸術の実質的な創造的貢献を計測することができないとして、ギフテッドの選別には不適切であると考えられている。

とあるので、やっぱそんなもんなんだろうなと思っています。もちろん重なる部分は大きいので、みなさまも"IQが高いのとギフテッドは近いけどベツモノ"という観点でご覧いただけますと幸いです。IQが高いのはアタマの短距離走の結果ですが、自分の特性はアタマの長距離走向けなイメージです。

社会に出て評価がまっぷたつ、浮いて嫌われ休職3回

前置きを挟みましたが、ここからは社会に出てからの話です。
いろいろありましたがとにかく合う合わないが極端で、たまにホームランを打つけど大三振ばっかりというフルスイングっぷりでした。休職はすべてストレスによる長期のもので、有り体に言えば三途の川でちゃぷちゃぷ水遊びするレベルも2回経験しています。

実際これまで社会人としていろいろな評価を受ける場面がありましたが、異例のありがたい評価を受けることもあれば、とにかく人格レベルでボッコボコに否定されるような評価を受けることもありました(というかこっちの方が圧倒的に多い)。ただ不思議なことに、褒められる時と嫌われる時の評価は、同じ人間の評価とは思えないくらい真逆なのです。

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アタマも態度も悪い生意気な問題児だと言われることもあれば、理解が早く共感性に長けると言われ信頼していただけることもあり、びっくりするぐらい正反対です。過去二回、別の会社で「お前はいっぺん研修受けてこい」と言われたことがありますが、揃って薦められたのがロジカルシンキングでした。別の会社で、それぞれ一回ずつです。IQとはいったいなんなのかと思わされます。

ですが一貫して褒められる(?)部分があり、それが"新しいやり方で問題を解決できる(既存のやり方にとらわれない)"というものです。これは自分の長所でもありますが、逆にこれこそが自分をサバイバルに追い込んでしまうズレの根源でもあるのです。とっても危険です。

"ズレ"の正体

冒頭から繰り返すとおり、自分のサバイバルの背景には周囲からのズレが常につきまとっています。では一体なにがズレるのかというと、一言でいえば考える範囲と視点のズレだったなと思っています。
まずは、多くのみなさんにイメージしてもらいやすい例を挙げます。

ケース:マニュアルを改善しようとしたらメチャクチャ怒られたAさん

Aさんは、異動した新しい部署でマニュアルに沿った作業を担当することになりました。しかしその中で作業ミスを起こしてしまい、マニュアルの作成者である上司や同僚に「注意力が足りない」「気をつけろ」とこっぴどく怒られてしまいました。Aさんはどうして自分がミスをしてしまったのか考えながらマニュアルを読み返してみると、その中には上司や同僚が持っている経験がないと正しく読み解けない部分があり、そこを自分が正しく理解できていなかったことが原因だったと気づきました。そこでAさんは、「今後の作業ミスを減らすために、マニュアルを改善したいです」と上司や同僚に相談します。ところが上司や同僚の反応は、Aさんの予想と異なるものでした。

・私達は問題なく運用できているし、マニュアルを変えるには手続きが必要だ。あとはお前が気をつければ済む話なのに、そんなことも分からずマニュアルを変えようとするなんて合理的ではない、思考力に問題がある
・自分のミスをマニュアルのせいにするとは反省が見られない、失礼だ

最終的にAさんは謝罪と合わせてマニュアルも修正しましたが、これを見つけた上司や同僚から「まだ反省をしていないのか」と怒りを買い関係が悪化、ナマイキで使えない社員として肩身の狭い思いをすることになりました。

どうしてすれ違ってしまったのか?

上記は、両者にいろいろな目線の違いがあるケースとして挙げてみました。
Aさんは、異動や増員で新しく誰かがマニュアルを使う可能性を考慮にしましたが、上司や同僚は今のメンバーが正しく運用できれば問題ないと考えていたかもしれません。
Aさんは、マニュアルを使う人は上司や同僚のような経験のある人とは限らないと考えましたが、上司や同僚はそのようなイメージはあまりなかったのかもしれません。
Aさんはこれから同じような問題が起きると部署によって良くないと考えましたが、上司や同僚は少なくとも自分は失敗を起こさないし注意もされないので問題はないと考えたかもしれません。

この例では、Aさんは情報の範囲を広げ、将来や部署全体など広い目的で考えた結果、上司や同僚とズレてしまいました。それどころか、自身の仕事への姿勢まで誤解されてしまっています。

そしてこれこそが、自分が社会生活で浮いたり嫌われたりしたメカニズムなのです。今回のケースは分かりやすい例として出しているので"Aさんの言うことも一理ある、ちゃんと話せば別に嫌われはしないだろ"と思われるかもしれません。そんな中で自分の場合は、更にエンジン全開で視界をずらしすぎてオバケでも見えとんのか?と、周囲から理解を得られなくなってしまうのがテンプレートだと思っていただければと思います。

将棋盤の大きさが違えば打つ手も変わる

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先に具体例を挙げましたが、もうちょっとシンプルな例え話をします。
自分(あるいはもしかしたら多くのギフテッド)は、人より広い将棋盤で考えているせいで「なんでお前そんな手打とうとしてんの?」と言われているようなイメージです。みんなが9×9の将棋盤でものを考えているのに、勝手に一人だけ50×50みたいな、周りに見えていない世界で将棋を打とうとしているヘンなヤツなのです。

つまりは、周りが「こう指せば目の前のこの駒が取れる!!素晴らしい手だ!!」と盛り上がっている中で、「いやそれを先に取ると相手はこう指してくるし、そうするとここがこうなって、そうなる前にこっちにこれを打っておけば…」などと水を差してしまう立場なのです。ただ周りから見ればよく分からんことを言ってるようにしか見えないし、別に"この駒が取れる"というその結論が間違ってるわけではないのです。

ちなみに将棋盤の広さとは、考える範囲や深さ、情報量の多さを指します。例えば今だけでなく先を想像して考えたり、自分のことでなく外部の人のことまで含めて考えたり、数字のような分かりやすいものだけでなくヒトのような説明しづらいものも含めて考えたりすることを指します。広げるほど説明が難しくなり、確からしさも落ちます。説明力がないということは、共感されないということであり、共感されないということは理解力がないと勘違いされやすいことでもあります。

どちらが正しい/正しくない、という話ではない

そしてこれは本当に大事なことなので書いておきますが、ここに関してはどっちが正しいかと言われれば、どっちも正しいです。システムコーチングあたりでよく言われる話ですがそれぞれの立場で、それぞれが正しいことを言っていたとしても、結果は食い違うのです。

ただ、そういう時に排除の対象になったことも事実です。職場で言えば、質問ややりとりが無視されるようになったり、情報が遮断されたり、役割を追い込まれたり、自分の成果が他者に勝手に取り上げられたり、デマを流された上でそれを元に責め立てられたり、とにかくいろいろな目に遭いました。そうした中で心無い同僚に、アウティング(暴露)をされた上に攻撃的な態度を取られたことで、命を諦める選択肢をとったこともあります。

意見が違うことは悪くないし、それを持って嫌われることも人間ですのでしょうがないかもしれません。ただ、だからといってこうした行動をとっていいわけでは決してありませんので、この行為は正しくないと主張します。

ただ、集団から異物が排除されるというのは、残念ながら自然の摂理です。それにより集団がより良く機能することだって十分にあります。悪意や善意、正しい正しくないの問題ではないです。とても難しいのです。

遠くで褒められ、近くで嫌われる

そういう意味で、視界が広がってしまうことは決して純粋な欠点ではありません。なので、褒められる時もあります。それは、相手の視界や思考を理解するのに能力が役立つ時です。ご一緒する他の部署の方には「私達の立場を理解してくれている」、「協力的」、「よい提案をしてくれる」など、良くして頂くことが多いです。また突然偉い人に「これが理解できるなんて」、「素晴らしい視野を持っている」などと褒められることもあります。さきほど褒められる時と否定される時が真逆だということを紹介しましたが、これが褒められる時のパターンです。

実際、色々と追い込まれて休職/退職した際に経緯を話した際には、採用を担当した役員からは「君のそういう能力を買って採用した」と言われ、人事のリーダーからは「君のような人がこれからのこの会社に必要だ」と言われたこともありました。とても嬉しい思い出でもありますが、得てしてこれまでもこういう事を言って頂くのは、すべてがもうダメになってしまった後です。なので「だったら救ってくれよ!!」と、少し恨めしく思ってしまう部分もあります。

自分を応援してくれる人ほど、遠くにいる。遠くから、活躍をただただ祈られる。自分の能力は誰かのためにはなるけど、自分のためにはならない。誰かが手を差し伸べてくれるわけではない。少なくとも最近までは、そういう感覚に支配されていました。今も、薄まっただけで消えてはいません。

将棋盤を広げる ~ナマイキ・リターンズ~

さきほどはズレの正体を将棋盤の広さに例えたので、この表現をここでも使っていきます。整理すると、人より広い将棋盤を見渡して打つ手を考えていて、だけど勝手に広げた部分は他の人には見えないので、打つ手を理解されない/打たせてもらえないのが自分(と、もしかしたら多くのギフテッド)でした。
ただ正確に言うと、"最初から広い将棋盤が見える能力"というよりは"将棋盤を広げる能力/クセ"があって、実はこの将棋盤を広げる過程こそが周りにとって大迷惑になり得るのです。

その1:疑って嫌われる

人生、人から教わることばかりです。学校で授業を受けたり、習い事があったりして学びを得るわけです。が、面倒くさいことに自分のようなものはそうした中で「それってホント?」「なぜ?」と疑いを持ちます。常日頃から、スーパー問いかけマンなのです。そうして考える範囲を広げるのです。
例えば、会社で先輩から「この仕事はこうやるんだよ」と教わるとします。それは、部署では皆が疑わずにいるものだとします。それをそのまま習った通りやれば同じ目線で動けるのに「本当にそれはよいやり方なのか?」と要らぬ問いかけを始めるのです。そうした時に起きるやりとりはこうなります。

先輩「僕の作ったこのこの手順書に沿って進めてね」
自分「なぜここはこんな手順になってるんです?」
先輩「(ニッコリ)質問するのはよいことだね。こういう部署のルールがあるから、この手順もこうなっているんだよ」
自分「この部署のルールはなんのためのルールなんです?」
先輩「(イラッ)これを守るよう上司に言われてるからだよ」
自分「そもそもマネージャはなにを懸念してこのルールを作ったんですかね?」
先輩「(ピキッ)そんなの俺たちが考えるようなことじゃないけど、気になるならマネージャに聴いてみたら??」
自分「そうしますね」

~後日~

自分「マネージャに聴いてみたんですけど、これこれこういう背景があったらしいです。とするとこっちのやり方の方がよくないですか?そもそもこの手順書は不要なのでは?
先輩「(どこかの血管が破裂する音)」

結局のところこの例では何をやっているかというと、周囲の考えや成果(例でいえば手順書)をとにかく疑い、なんでなんでをしつこく繰り返しているわけです。その上ほっといたら最終的に反対意見を述べてくるわけですから、そりゃもう先輩から見たら「うるせぇ黙ってろ」なわけです。もちろん実際の場では、最大限伝え方に気をつけますが、どう伝えようと相手からすれば否定されていることは変わらないわけで、相手が心地よく感じなかったとしても仕方ありません。そして、もしこの先輩に「あとはこれに沿ってミスなく作業して過ごせば楽で安全だ」という目的があったとしたら、それをぶち壊す結果にもなるのです。なので、こういうことがどう受け取られる環境かがサバイバルの結果に直結するとも言えます。

さて、この記事の冒頭を思い出してみましょう。自分の幼少期について、こんな記載をしました。

「なんで?どうして?」としつこかったり、周りとズレた部分があってナマイキで、どことなく周囲から浮いているヤツ。そんなヤツが、クラスや学年にたまにいませんでしたか?

先ほどの例もまさに、この通りのことなのです。ナマイキな子供は、大人になってもナマイキであり、「なんで?どうして?」と問いかけを繰り返して同じように浮いて嫌われる、それだけの話です。ビジネスの世界ではクリティカルシンキングなんていうカッチョいい呼ばれ方をしていますが、このクリティカルシンキング、日本語訳では一般的に批判的思考と呼ばれています。批判グセ、疑いグセ、と言えば周りに煙たがられるのは想像に難くないかなと思います。
またこうしたクセがみなさんの想像より極端なので、自分の場合はすぐ「人間とはなんなのだろう…」という概念思考に突っ込んだり、「人はなぜ洗濯物を畳むのだろう」という普通は人が疑わない部分を問いかけます。そうして沼にハマることも多いです。これがスーパー問いかけマンです。
(ちなみに批判的思考でさんざ疑った上で「こういうやり方もあるんじゃない?」と別解を産む力が、最近よく聞くところの水平思考というやつですね)

その2:過剰なセンサーで情報をキャッチしまくる

先ほどのスーパー問いかけマンっぷりを見ていただき、ある程度みなさまにも「そうやって考える範囲を広げているのね」と理解いただけたかもしれません。次は、いかに多くの情報量をかき集めてしまうのかをご説明します。

さて、みなさんは強烈な体験からなにかを強く学んだ経験はなにかありますか?例えば、鍵を締め忘れたら空き巣に入られてしまい大切なものを失ったとか、火を消し忘れて火事を起こしてしまった…というようなネガティブな体験もあるでしょうし、勇気を出して助けを求めたらいろんな人に助けてもらえた…ポジティブな体験もあると思います。そしてこういった体験が強烈であればあるほど、そこから得る学びもまた深く大きいのではないでしょうか。

ではここから逆算して考えましょう。どんな特性があれば、多くのことを深く学ぶことができるでしょうか。そうです、なんでもかんでもキャッチしてとにかく強烈に感じる、バキバキセンサーであればよいのです。そうすれば、周りのあらゆるものから強烈な学びを得ることができるのです。これを良くも悪くも、ギフテッドは備え付けているのだと思います。
この特性はOE(Overexcitabilities)なんていうかっこいい呼ばれ方もありますが、とどのつまりド繊細だということです。おかげで人に対する気付きや共感に長けているし、人間の内発的な部分への理解も強いのですが、本人はからすりゃ単純にクソしんどいですし、過去3発の休職に繋がったのもこの影響が大きいです。このOEに関しては、別途記事を書こうかなと思っておりますが、また今度ということで。
そういう意味では、最近よく聞くワードであるHSP(Highly Sensitive Person)も似たようなもんなのかなと、個人的に思います。

あなたのチームに、ギフテッドは要りますか?

さて、スーパー問いかけマン、そしてバキバキセンサーの持ち主であるギフテッド。あなたはそんな同僚、後輩が来たらどう思いますか?という話でございます。仕事を指示しても素直にそのままやってくれない上に、よくわからない理由で別のやり方で走り始める。面倒くさいから無視したり、放っておくと何をしでかすか分からないから軽く痛い目に合わせたりすると、今度は想定以上にダメージを受けて、場合によっては休職して現場から消え去ってしまう。なので自分で言うのもなんですが、少なくとも一緒に働きたいと思える相手じゃないよね、と思います。多くの場合は誰得人材です。みなさまがギフテッドの定義から思い描く、"優秀な人"とはかけ離れた存在です。

そういう自覚もあるので、自分もいろいろな目に遭ってきましたが正直まぁしょうがないな、と理解しています。自分の能力を隠したり伏せたりするギフテッドが多いのも、自然なことと思います。
ただいくら相手が気に入らないヤツだからといっても超えてはいけない倫理的/道徳的な問題に巻き込まれたこともあり、そこに関しては会社なりを通じてきちんと戦ってきたというそんな感じです。そうして折れない部分もまた、めんどくさいヤツなのでしょう。

ギフテッドを明かして転職、どん底から復活へ

ここまではギフテッドが見事にしくじったパターンとそのメカニズムを紹介してきました。ただ、幸いなことに自分は半年前にどん底の経験をしてからなんとか立ち直りました。今では自分の能力を受け入れていただき、またその能力で周りにも貢献ができる環境にたどり着けたつもりです。
この記事をご覧になっている方にはギフテッドに関係する方も多く含まれいてるかと思いますので、ぜひ前向きな材料として紹介します。というより、前置きが長くなってしまいましたがここが本題です。

開き直り、自分を活かす道への選択

半年前には3度目の休職に突入し、否が応でもこの先のことを考えざるを得なくなりました。休職して熱を向ける先がなくなり、ただ自分自身のことを考えてしまう時間がけが与えられたこの数ヶ月が一番辛かった気がします。

ともかく、その時は二つの方向を考えていました。一つ目は独立、二つ目は転職です。どちらかというと当時の本筋は一つ目の独立でした。結局のところ他人とズレるは変わらんのだから、環境以前に他人と関わるのがよくないことなのだ、という考えです。でも、独立したからといって社会と関わりがなくなるわけではないし、身体も大分限界が来ている中で誰にも守られないのはリスクも大きいし、悩ましい。なので転職も検討しよう。だから、開き直って"周囲に迷惑をかけて嫌われてきた人間です"と明かして、それでも受け入れてもらえたらそれもまたよし、期待はしないでおこう。

そんな思いで、プロフィールの特記事項に、こう明記して転職活動をしました。

"私はギフテッドです"

と。

そうして、いま働いている株式会社メルカリに出会い、お世話になるに至りました。この経緯や、自分が適応できている理由についてはこちらの記事をご覧ください。

サバイバルを終わらせるまで

入社してまだ長いわけでもないのでこの先どうなるかは分かりませんが、今はとてもありがたい環境で仕事をさせて頂いていると感じています。上司には"あなたが一番走りやすいように"と、自分の能力を活かすための最大限の支援をしていただいています。自分のようなものが言うのも不遜ではありますが、レベルの高い方が多く、出した意見が撥ね付けられるような機会も少ないように感じます。

まだ自分を出すことは恐怖でしかないので、戦いはまだ続きます。人も怖いです。これまでの嫌な記憶だって、いくらでもフラッシュバックして襲いかかってきます。自分がこれまで学んでこなかったことを、学んでいく必要もあります。そういう意味でサバイバルはまだ終わっていません。

それでも「サバイバルしなくてよくなる日が、来るかもしれない」と、そう感じられるところまで来ました。無理やり踏ん張らなくても自然と前を向いている、そんな時を迎えられるよう、すこしずつ自分にできることをやっていければと思います。

あなたを求める人ではなく、あなたを守ってくれる人に出会おう

もしこの記事を参考に、ギフテッドという特性に悩む方々がなにかよい出会いを迎えることができたなら、それほど幸せなことはありません。
ただ、これだけは伝えておきます。ギフテッドの能力を求める人間と、ギフテッドを活かしてくれる人間は別です。ギフテッドをF1マシンに例えるなら、前者の人間は興味関心からあなたに300km/hの走行を期待します。しかしその結果クラッシュしたとして、観客席から「やっぱり使えないな」と見捨てかねない人です。後者は、助手席に乗ってあなたの走行を自らサポートしてくれる人です。

この記事をご覧になっているあなた自身がギフテッドかもしないし、身近な関係にギフテッドがいる方かもしれません。その人達がいたずらに使い捨てにされることなく、その人を守ってくれる良き理解者に出会ってくれることを祈っております。

これからなにができるだろうか

人生いろいろありましたが、結局自分のエネルギーの源泉は他者のためになにかを為すことだと思っています。会社では、人事として多くの社員が安全に活躍できる手伝いをしています。プライベートでは、イベントを開いたり人をとりまとめたりして、なにかしら多くの人が楽しめる場を作ることが多いです。
ただこれは、単純に自分が人の感情を拾いやすいので、周りの人が元気だと自分もエネルギーを貰えるというそれだけの話です。自分が耐えられないから他者をほっておけないという、自分のためという側面も大きいと思います。これを表す言葉が情熱なのか執念なのか自分には分かりませんが、何回ぶっ倒れても結局そうした行動を諦められないので、きっとこれが自分の軸なのでしょう。

さておき、そうした情熱を生かして自分にできる(かもしれない)ことが一つ増えました。それは、こうして自身の経験を生かして、ギフテッドの支援をすることです。この記事にようにギフテッドの一人のサンプルとして発信をすることで、世の中のギフテッドへの理解を促進したり、ギフテッドに関わる方々のインプットになったり、誰かの孤独を和らげられればと思います。

また冒頭でも触れましたが、自分が今お世話になっている医師の先生は、日本では数少ないギフテッドの有識者であり、ギフテッドの社会活躍に貢献しようとされている方でもあります。幸いその活動のお手伝いをさせていただいていますので、その活動についてここで触れるかもしれません。

形こそ手探りですが、誰かのなにかに活かされることを信じて、少しずつ情報を発信してまいりますので、みなさまどうぞよろしくお願いいたします。
詳しく話を聞きたい方、気になるところがある方など、遠慮なくコメントなどいただければ幸いです。

ご覧いただき、ありがとうございました。ギフテッドのみなさまが良き人生を歩まれることを、心より祈っております。

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