雨の日ってじっくり考えてしまうので、思ったことをそのまま書いてみた。
ついこの間まで、クーラーをつけていないといられないような酷暑だったにもかかわらず。
関東地方は今日、およそ15度の中冷たい雨が降った。11月中旬の気温に相当するらしく、慌てて引っ張り出してきた毛布にくるまりながら、これを書いている状況なのもうなずける。
こういう日はなんだか、あったかい飲み物でも飲みながら、ゆっくり自分の思考に入りこみたくなる。取り留めもなく考えていることが、ふよふよと頭の中を彷徨いわたしを悩ませるので、書き出してみた。
目下、というか、年中。
わたしの悩みのタネは仕事について。
先日会社の目標設定面談で少し悲しいことを言われた。
「説明書とか、きちんとしたモノを書くの、苦手だよね。自覚してるかわからないけど。」
グサっという音が聞こえた気がした。
心の柔らかいところに言葉が刺さった。
仕事をする上での指摘は「個人を否定しているものではない」という、よく言われる基本は理解しているつもりだ(頭では)。
これまでの仕事上、ビジネス文書と呼ばれるようなものを誰かに教わったり、添削してもらって細かく書いたりした経験はあまり無い。
そのため、口語的な表現が多く、また冗長な文章になっており、わかりづらいのかもしれない。もっと端的に、余計なことは書かず必要最低限の内容にまとめなければならないらしい。
社会人として、そもそもライターを目指す人間としては致命的なのかも。
誰にでもわかりやすく、事実が伝わる文章を書けるようにならないといけないと思うので。
これ以降書くことは言い訳だ。
でも、あの時言い返せなかった、自分へのエールとして書き残しておく。
そもそも、「わかりやすい」ってどういうことを指しているのだろう。
いつも同じ人からのフィードバックしかもらわないから、他の人がどう思っているのか聞くこともない。
また、直された文章を読んで、明らかに納得できることはそう多くない。「直す前と後、どちらの表現でも良いのでは?」と思うこともある。
打ち合わせでは「細部の表現よりも、内容の大筋を擦り合わせたい」と思っているが、わたしの書く文章が信用されていないからなのか、一言一句擦り合わせていくことになる。
修正した言葉にどうしても納得できない時は、書いた意図を伝えるようにしているものの、あまり手応えはない。時々「そのままの表現で良い」ということもあるが、あくまで「解釈の違い」でしかなく、わたしの表現を認めてくれたわけでない。
つまるところ、その人の言う通りの表現でないとOKが出ないので、書いていても楽しくないのだ。
そんな日々の仕事について、「書くの苦手だよね」と言われたことに無性に腹が立ってしまった。
もとより、自分にとって「書く」ことは、少なからず「得意」なことなのだ。誰かと比べてではなく、自分の中で。それを「苦手」と言われたことがショックだった。ただでさえ、今の仕事が自分に合っているとはあまり感じない中で、より合っている方向に向かおうと副業に奮闘している最中でのこの言葉。
正直、なんて返せば良かったのかわからず、怒るわけにもいかないため、物分かりの良い自分を演じてしまった。
この発言主にとっては「自分ならもっと上手く書ける」が大前提にあり、それに満たない私の文章は、「文章を書くのが苦手だからこうなったのだ」と解釈されたのだろう。相手の物差しで測られてしまった結果ということか。
わたしの受け止め方が浅はかで、幼い考えなのかな、と思ってはいる。
しかし、自分の「良さ」をみてくれない(伝えてくれないだけなのかもしれないけれど)相手による指摘を、素直に受け取れるほど大人になれない自分がいる。
いくつか性格診断をやってみたが、どれも芸術家に向いてると書いてある。
なんとなく目の前の仕事に向き合っているものの、自分の志向性はどうやら芸術方面。クリエイティブで共感力を活かした仕事が合っているという。
どうしたらいいんだろう。
どうやって仕事を変えればいいのか。
本当は何をやりたいのか。
何をどうすれば生きやすくなるのか。
全てわからない。
組織に向いてない、向いてないとは思ってきたけど本当に向いてないんだろうな。
かといって、ライスワークである正社員の肩書を捨ててライフワークのような仕事に変える勇気もまだ持てない。
ここまでが今のわたし。
これからのわたしが、この先を書けるように、少しずつ動いていく。
すぐには結果がでなくても。
変化を続けていくしかない。