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今、泣いてます……

ちょっとこの曲を聴いてほしいんです。
今はこんな気分、この曲に誘われた気持ちでコレを書いている。

ちょっと……いや!かなり"おセンチ"な気分なので、恥ずかしいことやクサいことを書くやもしれん。

歌は説明不要でしょう。テレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』ですが、歌っているのは台湾を代表する歌手・王若琳(ジョアンナ・ワン)。

この途切れそうなウィスパーボイスが、荒木とよひさの歌詞と重なって涙腺を波状攻撃してきます。

いま改めて歌詞を聴くと、徹底的に男に惚れ、そしてその感情に戸惑いを覚え、その不安を拭うために男に縋(すが)るしかなく、それでも自身の人生をかけて今は愛する人のそばにいる。自身は輝いている、幸せである。という女性の愛の健気さと、儚いほどの弱さを同時に表している。

これがある種の前時代的、あるいは古典的ともいえる女心なのかもしれない。だけど今の時代にはちょっとそぐわないのも事実だ。

だからお願い、そばに置いてね』などいうかなり下からの物言いは今は歌でもなかなか聞かない気がする(僕が知らないだけならスミマセン)。

この歌を聴きながらこんなことを考えていると、ふと気づいたことだが、この歌は、実は我慢の歌ではないだろうか?

2番目の歌詞にはこうある。

もしもあなたに 嫌われたなら
明日という日 失くしてしまうわ
約束なんか いらないけれど
想い出だけじゃ 生きていけない

愛というのはその相手に対しても自分に対しても、理屈では説明できない感情を持たせてしまう。それは人を強くすると同時に、心へいいようのない負担をかけることもある。

愛を持ってしまったがために、その愛を見失わないために、我慢や努力も強いられてしまう。しかしそれすらも苦ではなく、むしろ楽しめるようになったりすることが愛の力であり、同時に呪いでもあると思う。

だからこの歌詞の"彼女"は「だからお願い、そばに置いてね」と願うのではないだろうか。

あなたが好きだという"今"という瞬間と、その未来を思い描き続ける"今"という瞬間を守るために彼女は願うのだ。それが一生続くことを願うからこそ「一度の人生、それさえ捨てることも構わない」と言ってしまえるのだ。

いま、この歌を聴きながら思い返してみると、別にこの感情は女性に限ったことではないと思う。

過去にこんな感情になって恋愛をしたこともあるし(いや、毎回そうかもしれないが)、いまでも次があるなら同じような気持ちになれればいいなと願うところがある(と同時に怖くなることもあるが)。

そして何より、こういう歌を聴いたりした影響で過去の思い出を穿り返したりして思案に耽るとだいたい自責の念が湧いてくる。

かつてこの歌のように想ってくれた相手が、僕に居たのだとしたら(ええ、居たと願いたいですが 汗)、なぜその手を放してしまったのか。

後悔はいつだって背後から、キツい睨みを利かせてきますよね!

しかし、この歌で歌われているように『想い出だけじゃ 生きていけない』なんてことは実はない。

それは恋愛中に建てられた即席のダムのようなもので、感情が溢れ出てダムが決壊さえしないうちは "そう思える" ことで踏ん張っていられる。そのためのスローガンみたいなもんだと思う。

もし次があるならば、また『時の流れに身をまかせ』られるような恋愛がしたいと思いつつ、自身の自由は阻害されたくないなぁ~とワガママな邪気も芽生える深夜11時半の戯言でした。

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