「ライド・ザ・悪寒」2019年9月29日の日記
・Twitterを見ていたらまたしても「トロッコ問題」が話題になって盛り上がっている。何度目だ。Twitterはループもの。
・これが有名になったのはサンデル教授の白熱教室がNHKで放送された頃だったと記憶しているが、大衆がこういう話題をカジュアルに話すようになったことを「哲学への関心の高まり」と捉えて勘違いしないようにしたい。むしろ事態は逆であり、人々がいかに哲学的態度に無関心であるか(あり続けてきたか)を示していると捉えるべきかもしれない。
・なぜそう感じるかといえば、トロッコ問題で話題になるのは主にほとんど「自分だったらどうするか」という意志の表明にすぎないからだ。このとき重要なのは、自分とは逆の選択をする人がどのような合理性に基づいてそれを選ぶのか、である。さらに重要なのは、真逆の行動をもたらす二種類の合理性が生まれることの間に、いったいどんな理由があるのか。それを比較して検討することだ。
・こういうことをやっていると、あらゆる価値判断に自分の意見なんてものがなくなる。あったとしても、言う気がどんどん失せてくる。自分の持っている思想信条などというものは、意見の土台を一番下で支える「信仰」から自ずと生まれてきたものにすぎない、という気分になる。
・いま流行る気配を見せている「反出生主義(人は生まれるべきでないという主義)」についても同じことがいえる。私も反出生主義には興味津々だが、実際それを支持するかどうかという観点にはぜんぜん関心がない。どのような前提が反出生主義という結果を導くのか、という構造に興味がある。
・あと、ドンキーコングでトロッコに乗りながらジャンプしてたけど、アレどうやってんの? ということにも興味がある。
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