「ドキュメント日本~現代の鍛冶職人~」2021年9月23日の日記
古都、奈良――
積み重なる歴史の陰影を随所に残すこの地には、かつていくつもの「刀鍛冶」が存在した。
刀剣は武士の魂とも言われる。一振りの中には、刀匠が何百年も積み重ねてきた技工が込められている。硬くしなやかで軽く、しかし鋭い。令和を迎え、刀鍛冶の伝統が絶えつつある現在でもなお、人は日本刀の美に魅せられる。
奈良県、橿原市。
ここに、900年の歴史を背負う刀鍛冶があった。
名は「最強無敵鍛刀場」
そんな看板を恥ずかしげもなく掲げ、今日も刀工に全身全霊を捧げるのは、刀匠の木村眞太郎さん、35歳。代々続く最強無敵刀づくりを現役で受け継いだ長男だ。
「うちはずっとこれ(刀鍛冶)ですね」
我々の取材に答えるときも、鋼を鍛える手は止まらない。その真剣な表情には、親から子へと受け継がれてきた魂の火が灯っていた。
現代において、刀剣づくりを家業としている家系は数えるほどしかない。その中でも、ここで作られる「最強無敵刀」は特別なのだという。鍛冶を間近で見ると、その理由はすぐにわかった。
動きが、ぎこちない。
眞太郎さんの手つきは、驚くほどにぎこちなかった。空いた手は目的もなく左右にさまよい、常に震えている。鋼を打つときも、左手を叩き潰しそうな危うさがある。「あ~あ」「まあいいか」「はぁ~」といったため息が頻繁に聴こえてくる。職人と言うには、あまりにも不安定な技工。いったい、何故なのだろうか。
「勘で作ってるんですよ」
終業後、眞太郎さんはそう答えた。
「うちは代々、勘で刀を作ってるんです」
眞太郎さんは押し入れから古びた書物を出してくれた。それは木村家の家系を記したものだった。それによれば、木村家のルーツは鎌倉時代にまで遡ることができる。
木村和親(かずちか)は1100年代の奈良で生まれた。彼についての詳細な資料はほとんど残っていないが「刀剣」に異常な執着を示し、近隣から白い目で見られていたことがわかっている。奈良の郷土資料館には、木村和親の人となりを伺うことのできる、こんなエピソードがある。
「農作業の重労働で肩が痛いと話していたら、『肩が』を、『刀』と聞き間違えた木村和親が満面の笑みで近づいてきて、気味が悪かった。早くどこかへ引っ越して欲しいものだ」(現代語訳)
木村和親は武士ではなかったが、刀に強い憧れを抱いていた。いつしか和親は自分の手で刀を作ろうと思いたち、誰に頼まれるでもなく刀鍛冶を名乗り始めた。名前は、最強無敵鍛刀場。「最強無敵」――今もなお木村家に伝わる家訓である。
「ああ。ありました。これが当時、木村和親が初めて作った刀……『無限超越丸』だそうです」
眞太郎さんは、自宅の洗剤やトイレットペーパーが収納されている戸棚をしばらく漁り、貴重な刀『無限超越丸』を見せてくれた。全長は約20cmほど。刀というにはあまりにもみすぼらしい、かつお節のような木片がそこにあった。いや、かつお節だとしても、貧相なかつお節といえるかもしれない。約900年の歴史を経てなお衰えることのないしょぼさ。側面にへろへろと不安定な筆文字で書かれた「最強無敵」が、一種の凄みを演出している。
――金属ではないんですね。
「そうですね。硬くて諦めたみたいです」
このようなエピソードからも、先祖・木村和親の根気のなさが伺い知れる。
当然ながら、木村和親が作った刀が武器として使われたという文献はこれまで見つかっていない。出雲で龍を退治したという伝説が記された書が発見されたこともあったが、これは和親自身の筆跡と酷似していたため、捏造と結論づけられている。
結局、和親は鍛冶職人として大成することなく、50歳で病に臥せ、その半年後に没した。
需要のない刀を作る職人がいた――
ここで、一つの疑問が浮かぶ。
この家系はなぜ、現代に至るまでその血を絶やすことなく、刀を作り続けているのだろうか?
「先祖の無念を晴らしたいっていうのはありますね」
眞太郎さんはそう答えた。
「ご先祖様は(刀剣が見向きもされなくて)悔しかったと思うんですね。だから、いつかはちゃんとした刀を作りたいと」
木村家はそのために「最強無敵」の名を受け継いできた。では、約900年を経た現在までに、刀剣はどのような進化を遂げたのだろうか。
「これが一番最近(作った刀)ですね」
眞太郎さんは、おもむろに黒く細長いものをケースから取り出した。
「真・無限超越丸です」
真・無限超越丸と名付けられたそれは、まるで1.5メートルほどに拡大した毛根だった。よくみるとそれは鋭利な鉄の棒である。たしかに、元祖『無限超越丸』に比べれば、刀らしいと言えないこともない。だが、尖った先端はともかく、側面に刃らしきものは認められない。鍔も柄もない、剥き身の巨大毛根としか言いようがなかった。
我々が戸惑っていると、眞太郎さんははにかんだ。
「2年かかりました」
通常、刀鍛冶になるためには最低でも5年間の修業期間を経なければならない。しかし最強無限刀場では、誰かのもとに師事する修行期間というものが存在しない。その理由は「人見知り」にあるという。
「知らない人と話すのって緊張するし……大きい声で怒られたりしたらと思うと、ちょっと(弟子入りとかは)無理なんですよね。コンビニもセルフレジが無い店は怖くてちょっと入れないですね」
木村家は代々刀鍛冶を受け継ぎながら、技術的な積み重ねがほとんどなされなかった。みな極度に内気であったため「それぞれが我流を貫き、全て勘で刀を作る」というスタイルが確立したのだ。
「それでも、進歩はしてきてると思ってます。最近はこういうのもありますし」
眞太郎さんはスマホの画面を我々に見せてくれた。それはユーチューブに投稿された刀鍛冶の映像だった。彼はこのような画面を見ながら、見様見真似で刀を作ろうとしているのだという。
「とにかく、金属を熱して、それを叩くのが大事なんじゃないかなと思って。試してみてますね」
眞太郎さんはどこで見つけてきたのかわからない金属片をパン用のトングで掴むとガスコンロの火に晒した。硬質な素材がじわじわと熱を帯びていく。
「叩きます」
金属片をトレイに移し、おもむろに金槌で叩いていく。終わりも見えなければ、正解も見えない。途方も無い、無益で闇雲な作業。それでも眞太郎さんは、額から汗を垂れ流しながら金槌を振るい続けた。
そのとき、事件は起こった。
「あっ……あーあーあー……」
手元が狂い、眞太郎さんの振り下ろした金槌が、台所の縁を強く叩いてしまった。台所の縁の一部が欠け、床に落ちた。
「あー、賃貸なのに……あーあ……」
眞太郎さんは突如のハプニングに意気消沈し、貝のように押し黙ってしまった。こちらからの問いかけにも応じようとしない。およそ1時間後、眞太郎さんは何かを決意したような顔で立ち上がり、玄関へと歩いていった。
行き先は、刀場の前。
眞太郎さんは掛けてある「最強無敵鍛刀場」の看板を取り外した。
「今日で廃業ですね」
突然訪れた、あまりにあっけない終わり。
しかし眞太郎さんの表情はどこか晴れやかで、長く続いた呪縛から解き放たれたような面持ちに見えた。
――これからはどうするんですか?
「もともと、刀は1本も売れたことがなかったので。まあ、これまで通りバイトですね」
眞太郎さんは地元の快活CLUBでアルバイトを続けている。これからは刀剣製造から足を洗い、快活CLUB一本に活動を集中するという。
回収シールを貼られ、粗大ごみとして運ばれていく真・無限超越丸。それを見送る眞太郎さんの表情に未練は感じられない。
木村和親が最強無敵刀場を開いてから、900年以上の年月が経った。
その間に変わったものもあれば、変わらないものもある。
末裔である眞太郎さんは、今日このとき「変わること」を選んだ。
勘で刀を作るという挑戦。それは結局のところ、たんなる無謀だったのかもしれない。しかしここには、すでに積み上げられた歴史がある。
眞太郎さんの決断には、そう思わせるほどの重みが感じられる。
奈良県、橿原市。
ここには、かつて900年の歴史を背負う刀鍛冶があった。
(語り・宮崎あおい)
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