ジャノメ食堂へようこそ!第2話 初めての団欒(5)
アケは、家精が用意してくれた漆塗りの椀に肉と魚、葉物、そしてスープを注いでいく。
花よりも濃厚で虜にする香り、いつまでも触れていたくなる温もり、そして純度の高い宝石のように煌いて見える具材とスープ。
そのどれもが胃袋を激しく刺激し、欲を浮き彫りにさせる。
黒狼、白兎、猪、そして緑翼の少女は小さな輪を組んで座り、目の前に置かれた椀を愛しく見続けた。
家精は、屋敷から出られないそうなので直接渡す。
アケは、みんなの椀に注ぎ終わったのを確認すると鍋の前に正座する。
緑翼の少女は、訝しげにアケを見る。
「何してるの?」
「・・皆様のお代わりをすぐにお注ぎ出来るようにと思いまして」
鍋の横にいれば直ぐに対応出来る。アケはそう思って鍋の隣に座ったのだが行儀が悪かったろうか?
翠翼の少女は、柳眉を釣り上げる。
そして音もなく立ち上がるとアケに大股で近寄る。
「さっきも言ったでしょう?」
緑翼の少女は、アケの手をぎゅっと握る。
アケは、驚き、蛇の目を丸くする。
「ご飯はみんなで食べるの!」
そう言ってアケを思い切り引っ張って立ちあがられるとそのままみんなの輪の中に向かい、自分の隣に座らせる。
いつの間にか白兎がアケの分の椀を注いで目の前に置く。
「でも・・・」
「でもじゃない!」
戸惑うアケを緑翼の少女は、一喝する。
アケは、身を縮ませる。
「王!この娘が逃げる前にさっさと号令を!」
緑翼の少女が言うと黒狼は鼻の頭に皺を寄せながらも「分かった」と唸りながら言う。
「皆のものいただこう」
黒狼が言うと緑翼の少女と白兎は両手を合わせ、猪は顔を上げる。
「いただきます」
「いただきます」
「ふぎい」
緑翼の少女と白兎は素手を、猪は舌を腕の中に指を入れ
て食べる。
大胆だが何処か品があり、アケは思わず見入ってしまう。
美味ーい!
絶賛の声が草原を駆け巡る。
そのあまりの声の大きさにアケは蛇の目を丸くする。
緑翼の少女が表情を輝かせてアケを見る。
「これ、すっごい美味しい!」
緑翼の少女は、宝物のように椀を抱きしめる。
「お肉が柔らかくて甘ーい!」
「新鮮なお肉なので良く煮込めば柔らかくて甘味が増します」
アケは、ちらりっと黒狼を見る。
きっと苦しめることなく一瞬で仕留めたのだろう。恐怖を感じた肉ではこうはならない。
「魚が臭くない」
白兎が鼻をヒクヒク動かして香りを嗅ぐ。
「採ってきてくれた香草のおかげです。臭みを消して香り高くしてくれるんです」
「ぷぎい」
猪は、お椀からクタクタになった葉物を取って口に運ぶ。
「出汁が滲みて美味しいでしょう?」
アケが言うと猪は嬉しそうにもう一度鳴く。
「これお芋だよね?」
緑翼の少女は綺麗に皮の剥かれたジャガイモを摘む。
「あんなに固かったのになんて言うか・、その・・」
緑翼の少女は、ジャガイモを食べた食感と感想を上手く伝えることが出来ず四苦八苦する。
「ホクホク?」
アケが言うと緑翼の少女は目を緑玉のように輝かせて「それだー!」と叫ぶ。
「ねえ、これが料理っていう魔法なの?」
緑翼の少女はふんふんっと興奮に鼻を鳴らしながらアケに顔を寄せる。
アケは、あまりに顔が近いのと、恥ずかしさに頬を染めて顔を反らす。
「料理は魔法ではなくて技術です。食事を美味しく食べる為の・・・」
「へえーっ凄いね。料理って」
緑翼の少女は感心して何度も頷く。
「ジャノメはなんで料理なんて出来るの⁉︎」
緑翼の少女の質問にアケは言葉を詰まらせる。
料理が出来ることになんて意味なんてない。
(だって料理しかすることなかったから)
しかし、そんなことを宝石のように輝く彼女に言う必要はないし、言いたくない。
「料理が・・好きだったから」
アケは、ぼそりっと答える。
「そうなんだ」
緑翼の少女は、椀からもう一つ芋を取り出して口に運び、幸せ一杯に噛み締める。
「私も大好きだよ!ジャノメの料理!」
アケは、蛇の目を大きく開く。
姉様のご飯、とっても美味しいです!
アケの脳裏に1人の少年が浮かぶ。
金髪の腕白な顔をした愛らしい少年。
アケの用意したご飯をいつも美味しく食べてくれた少年。
姉様・・いつかここを出て一緒に食堂をやりましょう!
2人で・・一緒に!
赤い瞳が震え、涙が溜まる。
「どっどうしたの?」
突然、アケが泣き出しそうになったのを見て緑翼の少女は動揺する。
白兎と猪も驚いて食事を止める。
「目にゴミが入りました」
アケは、顔を反らす。
それでも緑翼の少女は心配そうに見る。
アケは、緑翼の少女とみんなに心配をかけたことを申し訳なく思ってしまう。
涙に潤んだ蛇の目の視界に何が入ってくる。
草原にころんっと転がった何か。
アケは、最初、小石かと思ったが違う。
アケは、転がってきたそれを拾う。
それは乾燥した黒い小さな豆だった。
燻された匂いの中にほのかに果実ような甘い香りがする。
アケは、顔を上げて転がってきた方向を見ると黒狼が山盛りになった黒い豆を大きな顎を開いて咀嚼していた。
「主人・・」
アケの声に黒狼は豆を食べるのを止めてください顔を上げる。
「・・なんだ?」
威厳と気品の溢れる声。
アケは、一瞬、臆するも口を開く。
「・・・お気に召しませんでしたか?」
アケは、王の前に置かれた椀を見る。
椀の中身は全く手をつけられてなかった。
黒狼は、黄金の双眸を細める。
「小さくて手を付けられなかっただけだ。気にするな」
黒狼に言われてアケは「あっ・・」と声を出す。
確かに黒狼の巨体に対して椀があまりにも小さいし少ない。
作ることに夢中でそんなことまるで考えられなかった。
「申し訳ありませんでした。次はもっと・・」
アケは、言いかけた言葉を飲み込む。
次はもっと?
次なんてあるのか?
だって自分は・・・。
(黒狼を・・みんなを殺しにきた・・・)
場の空気に飲まれて、喜びを感じて忘れてしまっていた。
自分は・・・。
アケは、目のある部分に巻かれた白い鱗の布に触れようとする。
やるなら今しかない。
アケは、自分に言い聞かせる。
しかし、出来ない。
白い鱗の布に触れようとすると手が震え、心が歯止めする。
(なんで・・どうして・・⁉︎)
そんなアケを黒狼は黄金の双眸で見据える。
「先に休む」
黒狼は、すっと巨体を起き上がらせる。
「好きに食べ、好きに過ごせ」
そう言い残すと黒狼は踵を返して森の方に去っていく。
アケは、蛇の目で黒狼を見るも追いかけることが出来なかった。
失望が心を刺す。
(私は・・・)
アケは、ぎゅっと両手を握り、唇を噛み締める。
「大丈夫だよ」
緑翼の少女は、優しくアケの肩に手を置く。
「次はきっと食べてくれるから」
そう言って緑翼の少女はアケを慰める。
「王はあの黒い豆以外は食べないんだ。昔からだから気にしないで」
魚の骨をしゃぶりながら白兎は言う。
猪もアケを労るような優しく鳴く。
「それよりさあ!」
緑翼の少女は、話しは終わりと言わんばかりに明るい声で言う。
「私、ジャノメの使い道を考えたの!」
「私の・・使い道ですか?」
アケは、蛇の目を丸くする。
「そう。さっき言ってたでしょう?お気に召すようにお使いくださいって」
アケは、思い出す。
確かに言った。
お気に召すようにお使いくださいって。
その途端にアケの心に恐怖が走る。
一体、何をさせられると言うのだ?
緑翼の少女はにっと笑みを浮かべる。
「私ね。ジャノメのご飯のファンになったの」
「ファン?」
聞き慣れない言葉にアケは顔を顰める。
「好きになったってこと!明日もこうやって料理して欲しい!」
緑翼の少女の言葉に白兎と猪も顔を輝かせる。
「明日も・・ですか?」
アケの言葉に緑翼の少女は、大きく頷く。
「私たちだけじゃない。この猫の額に住む国民達の為にご飯を作って欲しいの!」
「この国の⁉︎」
それじゃあまるで・・・。
「食堂・・」
今度は、緑翼の少女が顔を顰める。
「食堂って?」
緑翼の少女に質問され、アケは言葉に悩む。
料理という概念がない彼らにどう説明すればいいのか?
悩んだ末にアケは口を開く。
「今日みたいにみんなで集まってご飯を食べる場所です」
アケは、説明してからこれであってるよね?と自答する。
何せ沢山の人と食べたこともなければ食堂なんて行ったことない。
ただ、あの子の言った言葉をなぞっただけ。
しかし、アケの言葉に緑翼の少女は目を輝かせる。
「いいねえ!それ!」
緑翼の少女は声を弾ませる。
「それじゃあやろうよ。ジャノメ食堂!」
緑翼の少女の言葉に白兎と猪はおおっ!と声を上げる。
アケは、突拍子もない緑翼の少女の提案に戸惑い、思わず後退して逃げ出そうとする。
しかし、それよりも速く緑翼の少女の手が伸びてアケの手をがっちりと握る。
「私たちも手伝うから安心して!」
緑翼の少女は明るく大きな声で言う。
そして優しく微笑む。
「そこをジャノメの居場所にしよ。ねっ」
居場所・・?
アケの蛇の目を震わせる。
私の居場所・・。
「はっ・・・」
明けの口から言葉が絞り出る。
「はいっ」
アケは、無意識に、泣きそうな声で頷いた。
鍋の香りが祝福するように草原を舞う。
これがジャノメ食堂の開店の瞬間であった。