
ナラティブケア 〜スピリチュアルケアの仕事〜
私はよくナラティブケアというものを行います。
そこで、恩師から教わり、実践を重ねてきた内容を深めるために、偉そうにツラツラと書いてみたいと思います。
【私】という【混沌】
哲学的な話ですが、私たちは実は【私】と言う【混沌】を生きています。本来【私】は、あぁでもなく、あぁでもあり、こうでもなく、こうでもあり、いつも多義的で多層的な【混沌】とした存在と言えます。
だから、例えば『A型は〇〇だよね』なんていう話は“型にはめる”ことで多義的で多層的な【私】を“単純化”し、分かりやすく表現することかもしれません。ただしその勢いで自分と同様に見ると、他者の多義的で多層的な面も見落とす危険があります(レッテル、スティグマ)。
なぜ【私】は【混沌】なのか
【私】は生まれた時から、時間と言う縦線と、その一瞬その一瞬の出会いという横線(もしかしたらそれ以外の斜線)との中で縦横無尽に紡ぎ出されている存在です。だからあの時はあぁでも、この時はこう、というように多義的で多層的な存在なのでしょう。
《語る》ことは私を形作る
【私】は多義的で多層的であるがゆえに、他者には絶対分かり得ない存在です。だから《語る》ことで【混沌】の中から【私】を形作ることで、初めて他者と【私】を共有していけると言えます。
つまりナラティブケアとは、【私】を形作ることを支える事と言えます。

なぜナラティブがケアとなるか
人は【混沌】から形作られることによって初めて【私】を他者に伝えることができます。
そして伝えられれば[共有]が生まれます。人によってそれを共感とも呼ぶかもしれません。
ただしそれは同時に【私】を “縛る” でもあります。
だから、“縛られた”【私】に苦しむとき、《語らない》ことや《語り直す》ことによって、自分を“縛り”から解くことがケアとなるのです。
“形作ること”と“型にはめること”は違う
ただ気をつけなければならないのが、知らぬ間に “型はめている” ことがあること。それは先に書いた血液型の話とも共通しますが、《語る》ことで他者と[共有]することに意識しすぎるあまり、“単純化”してしまうことがあります。
ナラティブケアを行う人は、《語る》ことで自らを縛ることと、{語らせる}ことで聴き手が “型にはめる” ことは、全く違うことを知る必要があります。
ナラティブケアとは、あくまで無限の方向性を持つ【私】という【混沌】の中から溢れてくるものに聴き手が寄り添うことかもしれません。
スピリチュアルケアの仕事
「明日がある」…
当たり前のように思えることが、当たり前でないときが来ます。
健康な人たちは意識できないことを、病を抱えた人たちが意識されている。
「いのちには限りがある」…
そのことを本当に実感したとき、【私】は何を《語る》のか、何を《語らない》のか、そして何を《語り直す》のか…。
自分の大切なものや、どのように生きたいかということを、独自の言葉で表現していくためには、ナラティブケアは重要と言えます。
私もそんなサポートを必要とし、受けてきた一人だから言えるのかもしれません。

桜井新町アーバンクリニック在宅医療部
スピリチュアルケア師/看護師
坂詰大輔