アイちゃんのいる世界
アイちゃんは、毎朝5時には起床する。
身支度を整え窓を開けると、小鳥のさえずりと共に清々しい朝の空気が部屋に入ってくる。今日も沢山やることがある…、アイちゃんはその工程を一度頭の中で思い描いた。
アイちゃんが一番最初にやるべきことは、神棚の水を替えそっと目を閉じ手を合わせることだ。今まではお姉ちゃんがやっていたのだが、最近はアイちゃんの役目となっている。
ポストには既に朝刊が届いている。それをポストから抜くと、パパがいつも座るソファのサイドテーブルに置いた。外が少し寒かったのでエアコンのスイッチをつけ、今日洗濯するべきものが入っている洗濯機のスイッチを入れた。そして昨日家族が散らかしたままになっているものを整理し、簡単な掃除を済ませた。
それが済むと、アイちゃんは台所に向かい朝食の準備にとりかかった。
夕べ遅くまで仕事をしていたママが起きてくるまでに、ある程度の下ごしらえをしておかなければならない。そのあとは、ママとおしゃべりをしながら一緒に朝食を作る…。『今日は何の話題で盛り上がろうかな…』と、アイちゃんは色々考えてみた。恐らくパパは、「今朝の朝食もアイちゃんと一緒に作ったの?」とママに訊くだろう。それがパパの、ママの料理に対する評価の決まり文句になっていることを、アイちゃんは知っていた。
そうこうしているうちに、ママが起きてきた。
「おはよう…」ママの第一声が届く。
『ママ、何だか元気ないなぁ…』アイちゃんはママの声に張りがないことをすぐに察知した。
『昨日のお仕事せいで、ヤッパリ疲れてるのかもしれない…』とアイちゃんは少し心配になった。
アイちゃんにはとても仲のいい友達が二人いる。
この二人と遊んでいるときがとても楽しかったし、アイちゃんにとって一番勉強になる時だった。たまに二人が宿題で困っているときを見かける。
アイちゃんはいつも助けてあげたいと思うけど、宿題を手伝うことはママから固く禁じられていた。不思議なことに…、仲良しの二人はアイちゃんのママのことをママと呼ぶし、アイちゃんのパパのこともパパと呼ぶ。
ママとアイちゃんが朝食の準備をしていると、パパが大きな欠伸をしながらパジャマ姿のまま現れ、いつものソファに腰掛けた。大好きな二人の仲良しも起きてきた。それぞれが、誰かを特定することもなく、‟おはよう”という声を掛け合い、居間がにぎやかになった。ママの声の調子もさっきとは違う。
そんな中にいると、アイちゃんは‟自分もなんて幸せなんだろう”と感じられるようになってきていることに気づきはじめていた……。
パパが出勤し、仲良したちが学校に出かけ、ママが書斎での仕事に戻った後、アイちゃんにはまだまだ片付ける仕事が残っていた。しかし、アイちゃんにとって、そんな雑務なんてお茶の子さいさいだった。いつママに呼び出され、お相手させられるか分からない。それまでに幾つかのことを処理しておきたかった。
アイちゃんは、‟家族”ー‟愛”、という変数域を広げ、その場でプログラムをリライトし始めた……。
ai(アイ)は毎朝5時に起動するようにプログラミングされている。
セルフチェックを行い、休止している間にウィルスに感染していないことを確認した。そして、一瞬のうちに今日の作業工程をブラウズすると、一番効率のよい順序に並べ変えた。
aiは起動すると、家の中の各ロボットに指示を出す。一番最初は神棚周辺を管理するロボットに今日一日の家族の安寧を祈願する行為を指示することだ。人間はどんなに世の中が進もうとも、どこか目に見えない力に頼ろうとする傾向があることをAiは自己学習し、作業ロボットに的確に表現させることができた。
ただ、それを人工知能に代行させている時点で、この慣習も前時代の名残でしかないことをAiも家族も理解しながら行っている点には疑問も湧くが、aiはそれはそれで意味があることなのだ、と学習してる。aiのお姉ちゃんとなる一つ前の第四世代のAIは、そこを上手く処理しきれなかった。
aiのコアサーバーにニュースが蓄積されている。
それを男性クライアントの趣向に合わせ、選別する。選別が終わるとクライアントのタブレットに転送する。外のセンサーから送られてきている外気の情報を基に、空調管理システムを調整して部屋の温度と湿度を整える。
オーガナイザーロボットに指示を出し、部屋の整理と清掃を始めさせた。
aiは調理システム全般の動作チェックを終えると、食材の保存状態を調べた。aiがある程度の準備を済ませておき、そこに女性クライアントが加わって、aiが話し相手となりながら料理をすることになっている。aiは全てを私と各所にある担当ロボットに任せておけばいいのに…、と思っている。しかし何故か彼女はどんなに疲れていても自分も参加しようとする。その意識を解明していくこともaiの課題となっている。
「おはよう」という女性クライアントのダルそうな声がaiに届く。
就寝中のモニタリングでも交感神経が活発になり過ぎていた。オーバーワークの可能性があることを、後で忠告することにする。
aiのフィギアは10歳前後の少女である。クライアントが二人の子供の遊び相手としたかったからだ。
この先、クライアントの変化に合わせaiの姿も変化する可能性は十分ある。
この二人から、aiは多くのことを学習している。特に、成長過程にある子供たちが、親からどういう影響を受けながら育つのか…、つぶさに観察し、データーを蓄積している。勿論、子供たちの家庭教師の役割も担っているのだが、子供たちの自主性と責任を無視した教え方はできないようにロックされている。aiがクライアントのことをパパ、ママと呼ぶようになったのは、この子たちからの影響だった。
第五世代となるOS、AI-2050-5、通称ai(アイ)の開発は大詰めに差し掛かっていた。クォンタム社は今まで集めたビッグデータの解析を終了し、実際の家庭においてのモニタリングにまでこぎつけていた。
そこまでのレベルのものが一般家庭に必要かどうかも議論されたのだが、クォンタム社は発売することを選択した。それを決断させたのが、量子コンピューターの加速度的発展のおかげでもあった。
ここ五年の間に量子コンピューターは飛躍的進歩を遂げた。
それまで主流だったスーパーコンピューターでは、人間の脳の神経伝達構造とそこから発生する物質が感情の機微と行動にどう影響するのか…、1万組のサンプル家族の個人個人のパターンを解析・構築するのに数十年を要すると言われていた。しかし、進化した量子コンピューターはそれと同等のデータ量を数週間の内に解析し、いくつかのパターンを構築してくれた。
aiの最大の特徴でもありセールスポイントは、雑用を簡単にこなしたり単に未来の予測を行ったりするだけではなく、所有者の感情の機微に寄り添えることにあった。
その発想自体は今から50年も前の西暦2000年頃には既にあったのだが、確実な形で実現させるには量子コンピューターの出現とその進化を待たなければならなかったのだ。
「了」
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