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ペンダント - 宇宙から来た少年

乱立するビル群が影絵のように地平線に沿って張り付ていた。小高い丘の上に立ち並ぶ住宅街から眺める光景はいつも幻想的だった。
太陽は完全に沈み切っていた。しかしその名残のせいで、影絵の輪郭はまだオレンジ色の層に覆われていたが、上層へ行くほどに淡い水色からダークブルーへとグラデーションを強めていた。
グラデーションの境目で少し赤みを帯びた金星の輝きが増してきた。
太陽が見えなくなると急激に冷え込んでくるのが分かった。
少年はリュックに入っていたフィールドブランケットを取り出し、マントのように肩から掛けた。
暫くの間、少年はその宵の明星を眺めていた。少年が空に向かって息を吐くと白くなった息が薄雲のように広がり、一瞬金星を曇らせた。それを何度か繰り返していると赤い輝きから分離する光が目に写った。
「やっと来た」、少年はつぶやいた。

家のある場所から二つの丘を越えてたどり着いたこの場所が、ここいら辺で空に一番近い所だと少年は確信している。
そこは、少し崖が切りたち崩れた岩と岩が重なって、むき出しとなった木の根の一部が絡まるちっぽけな洞窟を通り抜けなければたどり着けない場所だった。洞窟といっても岩の隙間であって、人一人がやっと通れるほどの穴、と言ってもよかった。穴を抜けると急に視界が開ける。
巨大なパラボラ望遠鏡の皿をひっくり返したような、こんもりとした空き地が広がっていた。空き地の形状は五角形だった。まるで誰かによって正確な計測がなされ、成型されたように完璧なペンタゴンの形をした土地だった。周囲はススキと枯草でぐるりと囲われている。
少年の住む場所は開発され始めたばかりで、人の手が入ってない場所が無数に残っていた。
「危ないから、丘に登ってはだめよ!」
少年は母から再三注意を受けていた。しかしその言葉は少年の耳に届かなった。少年がここを訪れるときはいつも一人だった。友達と遊ぶことは滅多にない。遊ぶとしても上に登るのではなく、友達が多く住む丘の下にある町へ行くことがほとんどだった。

『空き地のことは、おそらくはまだ誰も知らない』
少年は特別な場所を独り占めできているようで、何だか嬉しくなった。
だからと言って、ここに通い詰めているわけでもなかった。
この場所は、いつだったかこの辺りを探検している時に偶然発見した。
その日はとても風の強い日だった。歩いていると、どこからともなくシューシューと不思議とも不気味ともつかない音が一定のリズムで聞こえてきた。
それはまるでタイヤのチューブから空気が漏れてくるような勢いだった。鳥の鳴き声とは明らかに違ったので、少年は上を仰ぐこともせず自分の目線の高さに映る光景を注視した。
すると、崩れた崖の隙間に生えている植物だけが、他のそれとは明らかに違う動きをしていた。自分の背丈よりも高い植物が生い茂る中を分け入っていくと、そこには広場へと通じる入り口があった。
入り口に立っていると、上から吹き降ろす風が細い通路を吹き抜ける度に、さっきの音が一層大きく鮮明に鳴り響いた。
この場所を発見したのは偶然の所産と思っていたが、発見した土地の形状を見た時、何者かによって導かれたのかもしれない、そしてそれは必然のことなのかもしれないと感じた。
必然とは…、五角形が幾重にも波紋のように刻印されている金属製のペンダントトップのことだった。
少年は首から下げた金属製のペンダントトップを服の上から握りしめた。
そして、空からの訪問者を待つにはうってつけの場所だ、と少年は確信したのだった。

いつからこの家族の一員になったのか…、少年にははっきりと分からない。
ペンダントもいつから自分の首に掛けられていたのかも分からなかった。
しかし、母親が自分を生むために入院し、自分が母親から生まれ、今まで成長してくる過程の映像や写真は沢山残っている。ここに写る母親は今の母より少し若い母だし、自分もまさしく幼少期の自分に間違いなかった。それだけで十分なはずだが、少年は、この家族とつながった由来を想像することができなかった。
家族のことは嫌いではなかったが、何故か心から打ち解けることができずに今まで過ごしてきた。というより、この家族の構成員として自分がここにいることに違和感を感じていた。学校の勉強はよくできたが、少年は人との触れ合いに対して全く感情をなびかせることがなかった。
だから、親や教師からは何を考えているのか分からない子として扱われていた。ただ、それでも少年は母が作る料理が世界一美味しいと思い、父が毎日仕事から帰ってくることを嬉しく思っていた。

訪問者と初めて会ったのは6年前だった。
12歳になった少年は、今その訪問者と二度目のコンタクトを試みようとしていた。今日のコンタクトは、6年前訪問者と初めてコンタクトした時に予め設定されていた。
辺りは完ぺきな夜となっていた。金星から分離した光は少年の立つ空き地のある上空へとアッという間に移動し、停止している。
あまりにも高度が高いせいか、はっきりとした物体の形状は分からない。
少年は服の中に隠れていたペンダントを外側に引き出した。
と同時に、赤い光が降ってきた。その光はペンタゴンの空き地と同じ形に降ってきているように見えた。
その光を浴びていると少年は寒さを全く感じなくなった。
最初はペンダントのトップがある胸の辺りを中心に熱を感じはじめ、だんだんと身体全体が温かくなり、その心地よさに誘われ眠りに落ちるような感覚に捉われた。夢と現実の境目がなくなり、体が宙に浮いているような感覚も訪れた。意識が朦朧としている。しかしとても心地いい。少年の心は何故か安らいでいた。
「ご苦労だった」
どこからともなく声が聞こえてきた。
「今回は少し…」少年が答えた。
「その通りだ。少しノイズがが混ざってる。しかしすでに他のルートからも相当量のデーターを収集できている。この星の時間で言えば30年後、我々がこの星を完全に掌握し、支配者となっている。この星にうごめいている稚拙な知性を持った生物は我々の奴隷としてうってつけだ」
声はそう続けた。
「これからの僕の任務は?」
計画の全貌を聞かされた少年だったが、淡々と質問した。
「お前は任務終了だ。星に帰るのだ」、と上からの声は言った。
「何故?予定ではあとワンクール、この星に滞在するのでは…?」
自分が少し動揺していることに少年自身も驚いた。
「そこが問題だ、お前はこの星の生物の純粋なデーターを収集できなくなってきている。生物に感化され始めている可能性が高い。ノイズといったのは、お前が担当する生物に対してお前の感情とやらが混在してしまっている、ということだ」
「もしこの星に残りたい、と言ったら…?」少年は言った。
「自由にするがいい。残るならお前の特性を今すぐ解除する。ただ忘れるな、30年後この星は我々が確実に支配している。その時に、支配する側にいるのかあるいは奴隷となるのか…」
切迫したやり取りが続いた。
しかしその間も赤い光の揺り篭は少年をずっと包み込んでいた。
『温かい。なんて心地いいんだろう…』少年は心からそう感じた。

漆黒となった空に、金星は一層煌めいていた。
ビル群の輪郭は既にその漆黒に同化してしまった。
冷たい風が空き地に駆け上り、丘への小さな通路をめがけて吹き抜けた。
風に刺激され、また入り口が鳴っている。
倒れた枯草によって均整に保たれていた広場はどこにでもある荒れた空き地になっていた。
訪問者は立ち去っていた。
少年は寒さで目を覚ました。
さっきまで自分の首に掛かっていたはずのペンダントトップはもうない。
少年は家路を急いだ。

hih

「了」

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