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フィリップ・マーロウのような優しい紳士

英語力がちょっと曇ってきた。曇ったとは言っても、以前はネイティブのようにパーフェクトに操れたわけでもない。しかし、少なくとも仕事上は支障なく使えていたものだった。読み書きはなんとか維持できているようだが、ヴァーバルコミュニケーションに劣化が生じていることを実感する。

何時だったかある秋めいた日、電車の中でレイモンド・チャンドラーのペーパーバックを読んでいると、アメリカ人の見知らぬ紳士が声をかけてきた。彼は大きくて分厚い体にピンストライプの仕立てのいいダークスーツを見事に着こなしていた。歳は多分私より十歳位は上だったのだろうか?ただ…、外国人の年齢の推測は難しい。
私が読んでいたものは『THE LONG GOOD-BYE』。
そして彼もやはりチャンドラーの『THE BIG SLEEP』を手にしていた。
そんな状況を考えれば、見ず知らずの外国人が声をかけてきたとしても不思議はない。これがたとえ共通の作家の本を読んでいたからといって、その相手に声をかけるという行為を、はたして日本人同士だったらするだろうか…?恐らくはしないだろう。
そこが欧米人のフランクさというか、優れたコミュニケーション的行為の実践者として成熟しているのだろう。

たわいない話の後、彼はレイモンド・チャンドラーの作品が自分の人生に計り知れない影響を与えてきたことを滔々と述べ、フィリップ・マーロウのようにタフで優しい男として生きようと心がけてはいるが、現実は難しいものだというようなことも言っていた。 それを受け、「私も若い時からマーロウには憧れているだけだったが、いつの間にか私もマーロウより年上になってしまったようだ。しかし今の私があの時のマーロウのように成熟できているのかどうかは、はなはだ疑問である」というようなことを語った。
紳士は少し遠くを見つめながら、目じりに皺をよせニコニコと相槌を入れながら私のつたない英語での話につき合ってくれた。話の内容は理解してもらったようだが、私としては紳士ともっと深い話ができればと、残念というか不甲斐無さを感じた。
外国語であれ母国語であれ、言葉とは使い続けていないとすぐに劣化してしまうものであると実感している。
私のつたない英語と話の内容につきあってくれた紳士のその優しい姿勢は、正にマーロウそのものだった。本当に何気ない日常の中、時間にすると30分ソコソコであっただろうか?それも幾分混んでいる電車の中での立ち話であたのだが素敵な時を過ごすことができた。

Well, I have to get off here.
I was impressed I was able to chat w/u.
See U when I see U!
と言って、私は目的の駅で降りた。

hih


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