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窓の修理屋

M氏は窓の修理屋だ。
大きい窓に小さい窓。四角だったり丸かったり、新しかったり古かったり、出っ張ったりへこんだりしている窓。乱暴に扱われ壊れてしまった窓。夏の太陽の容赦ない熱に焼かれたり、冬の寒さに凍てついてしまったりと、その風雪を長年耐え抜いてきた窓。M氏は今まで様々な種類の窓を診てきたのだった。
依頼があればどんなに酷い状態の窓であっても完璧に修理してきた。
窓を修理する職人はたくさんいたが、M氏ほど完璧に仕上げる職人はなかなかいなかった。
M氏には不思議なところがあった。それだけの腕がありながら、新しい窓の取り付けは一切扱わないということだった。というか、不思議なことだが”できない”といってもよかった。
そしてM氏の仕事の進め方は遅かった。仕事にとりかかる前に窓の状態を丹念に調べ、その窓に寄り添い、窓の声が聞こえるまで待ち続けたからだ。

あるとき、M氏にまた窓の修理の依頼が入った。M氏は早速依頼主のところに車を走らせた。依頼された窓は、一見何の変哲もない窓だった。しかしM氏独特の診断を重ねていくうちに、その荒れ果てた状態といったら酷いものだった。
まず最初にM氏の目に飛び込んできたのは、窓の前に大小様々なガラクタが山のように積まれていることだった。窓が作られてまださほど年月が経ってなさそうに見えたが、周辺の木からは蔦が伸び窓に絡みついていた。蔦の勢いは窓にあるほんの少しばかりの隙間にも侵入し、その力で窓を破壊しそうな勢いだった。ガラスと同じほどの厚さの埃がしつこくこびり付いていた。金属製の窓枠の塗装はところどころはげ落ち、そこから赤黒い錆が浮いていた。鍵穴にも錆が浸食し、既に鍵の役目を果たさなくなっていた。
窓が悲鳴を上げているのがよく理解できた。
M氏は早速仕事にとりかかった。
まず、窓の修理には直接とりかからなかった。周囲にあるガラクタを撤去し、窓に絡まる蔦をはがし、窓よりはるか高くまで伸びてしまっている雑草を刈った。すると、淀んでいた空気が一掃され、あたりには新鮮な空気の流れが生まれた。その間M氏は窓が発する声を捉えようと注意深く耳を傾けていたが、窓の声は聞こえなかった。
しかし、周囲がきれいになったことで窓がスムーズに呼吸できるようになっていることがM氏には理解できた。今のところはそれで十分だ、とM氏は考えてる。
数日置いてM氏はいよいよ窓自体の修理にとりかかった。
隅々まで浸食している錆を丁寧に落とし、錆により癒着してしまっている部分を少しづつ剥離した。すると窓が緩み、その窓が少しだけ震えたような感覚が伝わってきた。無機質なモノとなってしまってた窓が、有機的な反応を見せてくれたことにM氏は嬉しさを感じた。
そしていよいよ窓を開けるときが来た。強引に開けようとしたわけではないが、何年も閉ざされ続けた窓の軋みが悲鳴のようにM氏に届いた。
M氏は微調整を行いながら、窓をこれ以上気づけないように、優しく丁寧に何度か開け閉めを繰り返した。すると、窓の軋みは小さくなっていった。
M氏はにっこりと笑った。なぜなら、ここにきてようやく窓と対話できているように感じられたからだ。ここまで辿りつくのに、M氏はここと自宅を数えきれないほど往復した。修理し始めてから今日で何日目かなんてもう思い出せなくなっていた。

今日は天気も良くさわやかな日だった。
M氏は仕上げにかかった。窓ガラスはピカピカに磨きこまれ、鏡のように輝き始めた。窓枠の塗装は少しぐらいのことでは剥げ落ちないよう何度も重ね塗りをした。そして、また開け閉めを何度も繰り返した。直している最中は軋み音が響き続けていたが、今では何の音も立てることなくスムーズに開閉し、自分の思い通りに開閉具合を調整できるようになったようだ。
完璧だ!M氏は自分の仕事に納得した。

M氏の不思議な点がもう一つある。M氏が窓を修理する時には工具を一切使わないということだった。敢えてそれを道具というならば、M氏の言葉であり、M氏の笑顔であり、M氏の掌の温もりであり、そしてM氏自身であった。仕事の達成感を感じることだけがM氏の喜びではなかった。
何よりもM氏の喜びは、心を閉ざし切って、全てを拒絶していた人々が、元気な姿を取り戻してくれたことにあった。

「了」

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