『まだ見ぬ、ワクワクを探して』-私の生い立ち
〈TOP画像:『ハードボイルド・ソフトクリーマー』撮影 @sor__fine 〉
人生は長旅
未練はタラタラに
それじゃ、世界は変わらない
ぼくらはてんさい
聴衆の嘲笑い?
でも、ぼくらは鼻垂らし
叫ぶぜ、声高に!
ぼくらはてんさい
進む道は簡単じゃない
誰もが粗探し
だけど、最高の仲間達
ぼくらはてんさい
あきりたりは大嫌い
HIPで、HOPで、POPな、凡夫
今回は、
ぼくてんのワクワク担当、
だいちゃんこと、石黒大喜のターンです🙋♂️
(Check it out!!)
私は、現在、建築設計の仕事をしながら、
ぼくらはてんさいに参画しています◎
今回は、そんな私の生い立ちを、ちょこっと紹介します。
Chapter1:コーダ(CODA)として育った幼少期
コーダとは、
CODA(Children of Deaf Adults)のこと。
つまり、耳の不自由な親の子どもたちのこと。
僕の母は、聴覚障碍者であり、
幼少期から、母と外出する際は、僕が母の耳代わりとして、大人とのコミュニケーションを担う必要がありました。
買い物のレジ、駅の窓口、学校の面談、、、
自分よりコミュニケーション能力の高い大人との意思疎通をしていく中で、僕は、必然的にコミュニケーションの英才教育を受けることとなります。
これによって、僕は今、突出したコミュニケーション能力を武器に、乱世を渡り歩いています。
Chapter2:"野球"に教えられた青年期
やんちゃ坊主、いたずら坊主だった私は、
小学校から高校まで、10年間野球をして過ごし、野球を通して"負ける"経験を繰り返し、様々なことを学びました。
主体的ではない練習には効果がないこと
正しい指導がない組織には限界があること
組織の中で皆にそれぞれ役割があること
その役割を全うすることが人間を育てること…
野球を通して学んだことを挙げると、No 遑 while 枚挙です。
子どもに対する"スポーツ至上主義"には閉口しますが、スポーツによる教育効果の高さは、身をもって賛同できます◎
そして、自分が所属してきたチームの中で、中心的な役割を担ってきたことにより、"リーダー"としての酸いも甘いも味わいました。(まぁ, Almost 酸い)
Chapter3:『建築』-芸術×工学の道へ
それまで野球ばかりしていた真っ黒坊主が、大学進学を機に建築の門を叩きました。
みなさん、「建築」と聞いて、どのようなイメージを抱きますか?
親しみはありますか?
理系のイメージ?
建築家と呼ばれる人々はどんな人ですか?
建物とは違うのでしょうか?
建築とは何でしょうか?….
(長くなるので、この辺りのお話はTo be continue)
※ご興味ある方は、青井哲人さんの以下の記事が分かりやすいのでオススメ
建築は、「総合芸術」と呼称されており、
私は、建築の奥深さに惹かれ、どんどんその深みにハマって行きました。
現在は、アトリエ建築家:前田紀貞アトリエにて、Cheif Architectとして、
まだ見ぬ"現代建築"をつくるため日々精進しています。
↓覗いてみてください◎見たことのない家が盛り沢山!ワクワクが止まらぬ
Chapter4:ぼくらはてんさいへ参画
そんな僕が、ぼくらはてんさいに参画するきっかけは、代表の志田くんから「一緒に、事業をやらないか?」と誘われたからです。
建築設計とは関係ないのでは?
と思う方もいるかもしれませんが、建築家に求められる職能が変化しつつある現代において、私はこの経験が必要と考えています。
現代は、増産期から減産期への"移行期間"であり、建築設計においても「ハードウェア」のみならず、それらを立ち上げ運用していく「ソフトウェア」の知識・経験が必要とされてきています。
実際に活躍している若手建築家の方々でも、クライアントと肩を組んで設計業務を超えた活動されている方々がいらっしゃいます。
故に、事業を立ち上げ、運営する当事者としての経験、つまり「使う側」の経験が、現代の建築家には必要と考えている次第です。
ざっと、私の経歴をなぞって来ましたが、いかがでしたでしょうか?
一緒にワクワクを共有したい方、私にご興味をもって頂いた方、アドバイスいただける方、お仕事したい仲間、、
ぜひnoteコメントや、X・Instagramにてご連絡ください◎
(励みになります)
ぼくらはてんさいコミュニティでは、参加自由の無料イベント「ぼくてんもくもく会」を毎週実施していますので、お気軽にご連絡ください。
それでは、引き続き、
「まだ見ぬ、ワクワク」を追求していきます~