元同僚は元恋人。久しぶりにラーメンを食べた
久しぶりに会社を辞めた元同僚と会ってきた。とりあえず「〇〇さん(元同僚)はなにしているの?」と近況は確認したのだけど、視野狭めな性格が出ていて「私はまだ有休消化期間中ですよ」と言われた。
「そうか」
退職からまだ2週間しか経っていなかった。
日々の業務に追われていると現実と感覚はズレてしまう。
「なんなら少し前まで毎日会っていましたから」
お互い笑っていた。場所によって見える景色は変わるのだな。
穏やかな空気で喋っていると彼女は気になる発言をした。
「そういえば〇〇さん(職場のおばちゃん)がいるじゃないですか」
「うん」
「辞めるときの最後に『(職場)であったことは全部忘れちゃった方がいいよ』って言われたんです」
どういう意味だ?
「職場って変わった人ばかりだったから、辞めたことを私が思い悩む必要は一つもないって」
それは会社を辞めることになった理由が職場に100%あると言っているのでした。
その2人(元同僚と職場のおばちゃん)、の性格を考えると、容易にそれを言っていそうだと想像できた。
「私たちは1ミリも悪くない。会社がどクソだからその被害者になってしまう」
いや、そう思うことは勝手だけれど、こっちだって思っていることはあるのだからね。と、口には出さないけどそう思ったのです。
まず会社にいたとき、元同僚と職場のそのおばさんは、集団という中で「自分は正しい」と思いすぎていた。ちょっとしたことに「なんなのコレ!!」と口に出して周りにプレッシャーを与えていて。
「社会にいれば自分が損をすることもある」という形を理解した方がいい。
しかしそんなことは言えない。
もし自分が正しいと思っていることをぶつけてしまえば、2人と同じ「正しい」と思い込みすぎ人間になってしまうからだ。
こうやって書いているけれど、昔からずっと囚われているジレンマだった。
他人を批判することは諸刃の剣で自分を切ることになりかねない。だから、結局言われっぱなしで終わってしまう。
だからラーメンを啜りながら黙って頷いた。
一方で、やっぱり思っていることは言わないといけないのかなと夜に思ったです。
例えば元同僚のこと。「集団のなかでは自分の気に入らないことも認めないといけないよ」とちゃんと言ってあげるべきだったかなと思った。
その意見が正しいかは分からないけど、言ってあげなければ彼女は人生で損失になるかもしれない。
次の職場で元同僚が同じことを繰り返してしまったらどうしよう。
そもそも「正しい意見」ってなんなのだろう?考えれば考えるほど分からない。
裁判とか経営会議みたいに「決定権」を持つ人がいないと、話し合いをしても「答え」は、常に懐疑的なもので、コロコロと多数派次第で答えは変わる。
そして一つ思った。
どっちにしても結局は「他人に完璧を求めすぎなんじゃね?」と。どっちにしたって正しいことを言えないのだから、お互いに不完全だって認めあいながらやれたらいいのかと思った。
もっと大らかになろう。
そう思ったのでした。
おわり。
さて、ラーメンを食べ終わって「じゃあまた」と彼女とは別れたのですが、なんとなく、楽しそうに毎日を過ごしていたし、もう彼女とは会うこともないかなーと思った。
でも、お互いの視線は違った景色が見えているのだからまた会うこともあるのかな?とも思ってみたのでした。