小学2年生のヨーイドン!から30年。
ずーっと昔、はっきりとした意思を1つ持っていた。
大人になりたくない!怖い!
というモノ。
それは小学2年生くらいの記憶だったと思います。自分で言ってしまいまうのですが、幼い頃からかなり先のことを考えては恐れていました。
小さな怖さを持て余して、学校の教室にいるときは必ずできるだけみんなと一緒にいたし、1人だけで頼まれごとを引き受けるのは地獄でした。
登校をして、
まずは宿題を出さないといけなかったのだけど、音を立てないように教卓にそっと置いていた。とにかく目立ちたくなくて。
やること1つ1つに慎重だった。
もしも人前で失敗をしたら・・・そう考えると怖くて、家の外にいるあいだは1日中ずっと緊張していました。
休憩のチャイムが鳴る。
教室の後ろでみんなと前日のテレビの内容なんかを喋っていたと思う。ほとんど聞き役で、ぼくは自分から話しだすことはなかった。
運動神経はそれなりに良い方だったので、その輪の中で自然と馴染めていたけれど、いつも周りに同意をしていた。
昼休憩や放課後のドッチボール、サッカーはみんなと思いっきり楽しんで、とにかく変なことがなく、何もせずにいられれば良いと思った。
そんなある日。
「50メートル走をします」と先生に体育の授業で言われて、あなたはそっちグループあなたはこっちグループ、と数人ずつのグループに分けられていった。
そして先頭から横並びで走っていく。
目の前で走っていく同級生を見ているとき、僕は、ふと、もし隣を走る子をコケさせてしまったらどうしよう?とイメージしてしまった。
コワっ、どうしよう。
そしてキョロキョロ見渡して、誰かなんとかして欲しいと思ったのだけれど、先生は何も気づくことなく、どうしよう、どうしよう、と考えているうちにスタートラインに立つことになった。
うわ、
絶対、変なことになってしまう!
ヨーイ、ドン!!
そのとき、無意識のうちにわざと最初は走り出さず、少し遅れて全速力で走りだした。
「なんで本気で走らなかったの!」
あとで先生に怒られた。
おちゃらけたと思われたのだろう。元々運動神経は良かったのでなにか調子に乗ったの思われたのだ。
「わざと遅れて、みんなに運動ができるアピールをしたんでしょ」
もしも先生が「なにかあったの?」と聞いてくれたらちゃんと答えよう、と思ったのだけれどそんなことはなく。
惨めなほど怒られた。
小学生だったぼくは、そういうとき嵐がすぎ去るのを待つようにじっと俯くことしかできなかった。
とにかく色んなモノに恐怖を覚えた。
そして大人になるというのは、そういうことで、きっと責任を負わされて大変なのだと思った。
僕みたいな引っ込み思案な人間は、絶対に取り返しのつかない失敗をいつかしてしまう。
そうして何年も後のことだけど、幼いながらに、社会人にならなくてもいいように生活を見つけられるよう、今のうちにどうにか努力をしよう思った。
しかしそんな小心者な子供は、あらゆるモノの影に心配症を発揮しながらも、あれこれ不安を乗り越えて、その30年、結局は社会人として働いている。
社会で働くことになって、今はあの恐怖は消えているけれど、それとはちがった怖さを覚えることがよくある。
たとえば、結婚をしたときにこんな性格で大丈夫だろうか?とか、奥さんに迷惑をかけないだろうか?とか。
ふと歳をとっていって年老いたときに穏やかな性格でいられるだろうかと恐れている。結局、性格はあのままであのときのままの僕がここにいる。
そして、そんな考えたことをこのnoteに書いてみていた。それは自然で、自然と思いついたことを書いていた。
それなのに。
最近は、どうにかうまく書こうとして変なことばかり意識しまう。
いつの間にか、1度手応えを掴んだ記事を意識してしまって、先月は具体性をもった言葉を使うことで文章は面白くなるぞと思って、今月は文章の奥に気持ちをフォーカスして書こうとしている。
西野さんのnoteを見たときは、伝えたいことをどう明確にすべきかを考えて、また、望月さんのnoteを見たときは自分らしさを出すべきだと思った。どうしたってnoteに対する態度は普遍的でいられない。
だけど、
ふと思ったままのことを書けばいいのだと思った。あの頃の僕があって、自然と書きたいと思うことがあるのだから。
それをそのままかけばいいのだ。
1年以上、あれこれずーっと書けないなぁと思っていたけど、ふと昔の自分を思い出して、ありのままに書いていければいいと思ったのでした。
終わり。
まあ、これからも四苦八苦してしまうのだろうけど。
それがぼくという人間だから。