見出し画像

19人の閲覧者しかいないクリエイターは感謝を覚える。

先週末、「うっすらと世界が変わっていく5年間でした」という記事を公開しました。今日でちょうど1週間が経つのですけど、総閲覧者が19人ほどいらっしゃって、本当にありがたいです。

noteを始めた頃にこうやって感謝はできてなくて、いつも「なんでこんな閲覧者が少ないのだろう」と不満に思っていた。
というのも知識に、SNSというのはそれぞれアルゴリズムというものがあって他人への表示機会は偏っているということを知っていたので、これは不遇だ!と、見えない壁を突きつけられている気がしていた。
ここでいうアルゴリズムについて。
これは各SNSが利用ユーザーに楽しんでもらうために設計したシステムのことで、エッセイ好きな人にはエッセイの記事が表示され、はたまた、ビジネス記事の好きな人にはビジネスの記事が表示される。そして、(これがnoteでもあるのか知らないのだが、)TikTokや YouTubeでは、高い評価を受けたものは他人のページにより現れやすくなっているという。そんな風に利用者が楽しめるように設計されたのがアルゴリズムです。
だから僕の記事が読まれないのは、アルゴリズムのせいで、自分の知名度が上がっていないことが一番の原因だと思った。

しかし1ヶ月が経ち、3ヶ月が経ち。
ふと10本以上記事を公開をしたときに、閲覧者が全く増えていないことに気づいた。そのときに、(最近だけど)自分の考えが間違っていることに気づいた。

つまり、読まれていない理由は他にある。


社畜と呼ばれながらも生活を送っていたので、ここまで必死に暮らしている人間が書いた記事は読まれると思っていた。
それに頭も良くて、けっこう周りからの信頼も厚い。そんな視野の狭い傲慢な思いからエッセイの一つとして受け入れらる!と思い上がっている。だけどようやく、こんな人間は世の中を広くみてみれば腐ると自負を捨てることができた。

なーんでもない生活を送ってきて、苦労を少ししただけの人間が世の中に「読む価値のあるもの」を提供できるわけがない。
もっと必死にすべてを振り絞るような文章を書かないといけない。ようやくそんなことに気づきました。

恥ずかしい。

だけどあのとき、何かを信じていたのです。



さて。
今は必死に書くようになっている。「世間に読んでもらえるモノ」になるようにとにかく書いている。

浮きでてくもののが世間の価値のあるものになるように。そして不思議なことですが、努力すればするほど感謝が湧いてくるのです。

望月さんとか、ピース又吉さんとかの記事を読んでいると、感謝とか敬語がよく使われているのですが、きっと努力をしてきたのだろう。その分、自然と感謝が生まれるのだ。

だから僕も感謝と努力をしたいと思う。これまで「なんでこんな閲覧者が少ないのだ」と思っていたことは恥じて。

閲覧してくださっている方々には感謝をしています。こんなぼくの記事を読んでくださりありがとうございます。

そしてこの場を借りて、感謝を伝えたいのですが、過去に2名ほど、記事にコメントを残してくださった方がいます。返事をしていないのですが、ほんとうに励みになっています。noteをやっている誇りです。

だからこれからも感謝をしながら、書き続けていこうと思っている。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集