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ぼんやりする朝に。


さて、今日もいつもと同じように、朝7時30分に地下通路にあるカフェにきています。しかし端っこの席に座ってスマホを取り出してみたのはいいものの、どこかスイッチが入らず、ぼんやりとこの文章を書いている。
書きたいことはあるけど、気持ちを乗せられていない。ここ数週間で気づいたのだけど、noteは、感情を乗せた文章の方がいい。でもそれができないときもある。

はてはて。人間というのはは毎日、やらなきゃな、義務だ、というものを詰め込みすぎて気持ちが追いつかないことがある。先月肺炎になってそのとき気づいたのですが、たぶん、基準はありませんが、おそらくちょうど「毎日が幸せだなー」と思えるのは、暮らしの行動力ってたぶんそんなに多くないのですよ。
みんな暮らしに必要以上のことを詰め込みすぎている。

もっともっもゆとりが必要。だけどこの社会は1日8時間は働かないといし、しかもそれを週5日間こなさないといけない。それから自分の趣味とか、YouTubeを見るとか、やりたいことをやろうとすると、どうしても暮らしの中身はいっぱいいっぱいになっちゃうんですよね。
ほんとうはもっとゴロゴロできる時間を作って、しっかり休んでから、やらなきゃいけないことに対してる、「そろそろやってやるか!」くらいに思えるのがいいと思うのだけれど。
でも義務だからやらなくちゃいけない。

なんなら、noteを書くなんていうのは大好きなことで、むしろしんどくても、これだけは「書きてーーらよ」となっていいことなのに。それでもやる気スイッチの入らないときがある。

こういうとき正解って?

一応、それでもやる!!という決めたことはやるのが僕の答えなのですけど、それが本当の正解ではない?とちょっと疑問にも思っているのでした。

さて、そろそろ仕事に行かなくてはいけない時間になってきました。

答えのない、なんでもない記事になってしまいましたが、肺炎になったときみたいに、たまに、すべての責任を放っぽり投げて、わーい!!これから何もしなくてもいいのだーー、とダラダラする日々を何日間か過ごすがあってもいいのかなと思ったのでした。
終わり。



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