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ぼくもそういう人になりたかったという話し。

さてさて、今週もサラリーマンをしていました。

「今はなにをしているのかな・・・」
もう何年も会っていない人のなかで、たまに思い出してしまう人がいます。それは自分にとってほんとに尊敬をした人や、世界を同じように見ているように感じられた人たちで。(とある3人)彼や彼女のことを思い出すと、いつどんなところにいたって、肩をトントンと叩かれて「私たちも頑張っているよ」と励ましてもらっているような気がするのです。
とは書いたものの。そんなことを向こうは思ってないだろうし、こっちが勝手に考えているだけだけれど。その人たちがいたことでほんとうに救われています。

最近はBさんのことをよく思い出しています。これはたぶんぼくがエリアマネージャーのLさんの下で働いているから。
エリアマネージャーのLさんはどんなシチュエーションでも自分では動かず、ただ文句だけを口にして、あとで誰かから責められてしまわないよう、ぼくもこっち側の仲間ですよーとスタンスだけを固めておくだけの人間です。
最近、会社で業務のオペレーション(作業の手順やルールなど)の変更があって、現場の感覚が全然反映されていないやり方に、部長や本部の人といったオペレーション決めに関わった人たちとぼくはコミュニケーションをとりつつ、部下と何度か面談を行って意見を集約しつつ、元々自分が担当している仕事をして、オペレーションに対する意見書をまとめているのですが、そんなときにLさんが仕事の合間に何にもしないで携帯電話で誰かと「そりゃあ大変ですのぉー」と談笑している姿を見ると、一体ぼくは何のために頑張っているのか?と辞めてしまいたくなります。
こういうことはみんなありますよね。あるように思っています。いやー、社会で働くというのは、どうしてこんなロクでもないことの連続なのでしょうか?周りの人たちを助けられる力のない自分が恨めしく思います。

さて。
その結果、アパートに帰っても最近は習慣にしている英会話練習をするための気力が残っていません。本当にやりたいことができていないのです。こんな日々を送っていると書きつつも、それでもまぁ、一応はアパートへ20時30分くらいには帰宅できているのだが、そこに胆力というのか気力がなくて帰宅したときにはもうぐったり仮眠を取るくらいのエネルギーしか残っていない。いつも仮眠を22時くらいまで取って、そこからお風呂に入ってご飯を食べています。
そんなときBさんのことを思い出して、まるで自分だけが損をしているように感じる不貞腐れた気持ちの夜を乗り越えるのだ。


Bさんは損することを厭わない。
6年前、Bさんと知り合ったとき彼女は36歳くらいでした。
30歳を過ぎていたというのに、ピュアさが残っていている印象があって、どんなときでも他人の言葉にまっすぐ向き合う女性でした。
母親の面倒を見ないといけなくて地元に帰ってきたとかで。短大を卒業したあと(専門学校の卒業だったかな?そこら辺の情報は曖昧です)、1人でオーストラリのメルボルンに行ってコーヒーを勉強しながら働かれていました。
そしてたまたま知り合いのコーヒー屋さんでアルバイトをされるようになって知り合ったのだが。ひっそりとぼくは彼女の人間性に惚れていました。

7歳上の女性。
知り合いのお店を辞めて別のカフェで働きだしたときの話なのですが。
そのお店でも繁盛させ、彼女は普通では1人でオペレーションを回せないほど忙しくなってもオーナーがなかなか人を雇ってくれず忙しいなかでも、彼女は彼女らしくせっせと働いていました。
給料は変わらないのに。
その姿をみていると、自分なら考えてしまいそうな嫌な感情を抱かないのかな?と思った。

そして、お客さんのなかに面倒くさそうなおじさんや、変なあだ名を付けられていそうな青年(言葉が悪くてすみません)がやっぱり少なからずいたのだけど、彼女は誰に対してもまっすぐに耳を傾けました。
ぼくなら「はいはい」と言ってしまいそうなシチュエーションでも「どうしました?」と立ち向かう。

そして、最後、変なあだ名を付けられていそうな青年が「これ、ぼくが撮った写真なんです」と額縁にはいった街の風景をもってきていた。
「わー、すごい」
と、彼女は嬉しそうに受け取っていた。そういった小さなインテリがお店にはいくつかあって、彼女の人柄を表しているようでした。


そうして1年が経ってBさんが引っ越されるとき(いつの間にか県外にいる方とお付き合いをされていたみたいで、結婚を考えているとか)

「次も飲食店をされるのですか?」と、次は自分でお店を持てばいいのにと思って聞いたのですが、

意外なことに
「ちょっと人と接するのに疲れたから、スーパーの仕出みたいな、黙々とやれるのを少ししたいな」
とおっしゃられた。

「もったいない。もうやらないのですか?」
「きっとそのうちやりたくなるから、そのときはまたやる」

彼女ならばどこにいっても、なんにでもなれると思った。


そんなBさんのことを思い出すと、今でも頑張っている気がして、ぼくも頑張ろうと思うのです。

ぼくのしんどさなんて、きっと社会のスケールでみてみればミジンコみたいなもので。
そんなことでぐちぐち言っていたって、ぼくがやりたいことは変わらないのですから。まだまだまだまだぼくは何者にもなれずnoteを書いているだけの人間ですが、いつかBさんみたいになれたらなと思ったのでした。

終わり。


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