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黒い歯車もくるくると回る。社会のなかで。

さてさて、
今週もサラリーマンをしていました。


先日、ようやく昼休憩に行ける!と思ったときに仕事が増えまして。そんなとこでイラついたってしょうがないと、そりゃあ分かっていますが。
ついついぼくもイラ立ってしまい、その人に嫌味な言動をしてしまいました。
すみません。

ここで謝ってもJさんには伝わらないけれど。


さて、今回はその内容については置いておいて、自分の黒い部分・・・、というのを考えました。
ほんっと直したい部分だと思うのですが、ふと他人からしてみると利用しがいがあったり、あえて、自分が被害者になって周りからの見え方を意図していることもあるのかと思った。
どういうことか?というと。


具体的には。
政治の世界なんかでは、誰かの「黒い部分」や「失敗」については利用されています。
例えば7/7には東京都知事選挙があったときに、石丸さんや蓮舫さんといった立候補者たちは、現職の小池さんに対し、公約の未達成や都庁のプロジェクションマッピングについての言及をしました。
それは小池さん自身にしてみれば、政策をして陥っていた穴みたいなモノだけど、それが他人にとっての武器になっている。

ほかにも、立憲民主党という政党は、現政権への批判で支持を集めていっています。
それはつまり、社会の黒い部分もしっかり一つの歯車に組み込まれているということ。それを利用することが社会を回す動力として前提になっている。

もちろん(政治の失敗)というのは、無いに越したことはないですが、そのように誰かの武器になっているということです。

話しが飛んでしまいましたが、身の回りの「黒い部分」というのも、誰かに利用されていたりするのかなと思った。


これは自分の例えですが。
管理者としてぼくは27人ほどの職員をまとめています。(できているのかな?)

しょっちゅう「大変ね、無理しないで」と同情的な意見を向けてもらえていますが、
それはクセの多い人たちがいるから。

働いている店舗には、PさんやUさんといった年長者社員がいて自分の気持ちをコントロールできずに、理不尽に怒鳴ったり、意味の分からない屁理屈をこねています。


それをぼくはどこか利用している部分があり、あえて言い負かされたり、彼らを管理することが大変だと看做されることで、ぼくの評価が上がっている。

悪い部分だとは思うのですが、そういった構図を理解して意識している。


ほかにもたまに店舗でぷりぷり怒っている部長がいるのですが、それのおかげで、とある社員と打ち解け合ったことが1度だけあった。
(それはそのとき本当に重要な意味をもつものでした。)


そんなことを思うと、自分のホントたまに出てきてしまう黒い部分。これも誰かの利になっていたりするのかな?と思ったのです。

でもやっぱり、この(黒い自分)とちゃんと向き合って直したいと思っていますから。
どうしてそんな機嫌になったのか?と、たまに自分を振り返って、そんな自分と共存していけたらと思っています。
ただその前に、そういった自分が社会的にどんな風に見られているのかというのを確認できたらと思ってこんな記事を書いてみたのでした。
まあ、これに関してはいろんな意見があるかなと思っています。

終わり。


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