バンドの道を諦めたのは、神さまが奪ったか、じゃない。
譲れながったはずなのに。思い出している。
それは大学6年生のときにあったこと。
さてどうしてこんなことを書いているのかというと、この前、家族と喧嘩してしまったときに、ふと「言い合いをするほどのことって人生にあるのか?」と思ったからだ。
基本的に「そんな必要はない」と思っている。
だけど、中学3年生のときにバンドをやり始めて、バンドマンに憧れて駆け抜けた道のりは今考えても人生至上1番の情熱だった。あれは譲ってはいけないものだった・・と思うのだ。
だけど結局は手放していて、大学6年生のときになんとはなしな就活をした。気付けばサラリーマンという野原の真ん中に突っ立っています。
一方で分かり易いようにバンドに費やした時間を計算してみると、だいたい週に15時間はバンド活動をしていて、それを10年続けたということは約7800時間の時間を使ったことになる。
ギターを手にしたとき、若者らしく中学3年生で「これがオレの道だ」と勘違いをしてしまって、そこから拗らせてしていった感じ。その寄り道は、空を見上げたときに白い月が滲んでいたように、ぼんやり浮かぶ情熱はぼくの人生の一部でした。
タバコ臭かった楽屋、バンドのステッカーが張られまくったライブハウスの階段、ギターを背負って帰ったあの夜道も。そこで見たものは全部譲ってはいけないものだった気がする。
しかしあっさりと言い争うこともせずにサラリーマンへと道を変えた過去があります。
で、一体なにが言いたいのかというと。
バンド活動をしていたときに譲ってはいけないものがあった。
その決断のときまでにもっと全力を出し切って、そのときかくるまでに「Yes かNo.か決められるくらい」になっていないといけない。今、あの瞬間のことを思い出している。
スタジオ練習中に「ここはもっとベースをはっきり弾いてくれ」と言い合ったときに負けては行けなかったのにすぐ諦めてしまった。妥協をしてはいけないと思っているのに「スタジオは週1回は入ろう」というルールを破ってしまった。そして、「この曲で伝えたいことを考えよう」と話し合ったとき、メンバーの意見を聞く器量を持つことができなかった。
そういった小さな積み重ねに対して全力を出すべきだった。
大学6年生になったときになんとはなしに決断をして、「これは譲れない」と駄々をこねるのではなく、なんというのか、そこに辿り着くまでに譲ってはいけないモノがあったのに、「もうここは自分の道じゃない」と察したのだ。
諦めてしまった。
今は薄め過ぎてしまったカルピスのように意味のなくなった日々だけど、そんなことを思えた。
と、家族と言い合いをした夜に思い出して、本当は譲ってはいけないモノって、日々の小さなことのなかにあるのだなと思ったのでした。
過去を振り返りながら「ごめん」と謝って、ゆずれないモノなんてもう今のところはないのだからと思いました。
終わり。
ちなみに
ぼくがバンドを続けたとしても世間の成功を手にすることはなかったでしょう。
SNSが発達した今、こうして無名ながらにライブハウスで活躍されている人の曲を聴いていると、あのとき自信を持っていた自分のレベルの音楽はまるで砂利道の小石くらい溢れている。
そこから抜きんでるのに何が必要か分からない。そこが分からないのだから、その先に進めることはなかったでしょう。
さて、このエッセイがみんなに読まれる月になればいいなと思っています。