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他人と比べて、道端でフンを踏んでも。
サラリーマンは辛えーよなあって思うことに、周りから文句を言われがちってところがある。
13年間、小さな会社でサラリーマンをしてきて、なにか噂をされているなーっと感じる瞬間があった。ほとんど数日続くことのない些末な内容だったけれど、ぼくはその都度ちゃんとしっかり落ち込んだし、(なんで言われなきゃいけないのか…?)と気を揉んだ。
36歳になってすこしは慣れたけど。
やっぱり他人を勝手に批判するっていうのは一向に許せない。
「自分が一切そうしてないか?」そう問われると、もしかすると無自覚にしている可能性もあるけど、ここ最近、その他人を批判してしまう気持ちをちょっと分かったかもしれない。
彼らは「他人との差」を比べて「自分たちが呼ぶ幸せらしきモノ」を確保しようとしてるのだ。
他人がどんなものを持っていようと、キレイなモノをキレイだと思えばいいのに、他人と比べなければそうは思えないのだ。
「あっちよりキレイだぞ」と思えて初めて手にしているモノをキレイだと思える。
例えばあなたが21万円の給与を貰っているとして、その人が20万円しかもらっていなかったとしたら…その「1万円の差」が気になる。
なぜなの?わたしの20万円じゃ満足できないわ!だから1万円分苦労をあなたがしていなければ気が済まない。「不平等よ!あなたはもっと頑張りなさい!!」などと言う。その「差」が埋まらないと「自分は不幸だから」と思ってしまうのだ。
他人、他人、他人、他人。この社会は他人と肩を並べやすくはあるけれど、比べる必要はないのじゃないかな?
自分の持っているモノをただちゃんとキレイだなーって思えればいい。「幸せ」ってモノを探して溺れているような気がする。
道端を歩いていてフンが落ちていたら「不幸」なのか?隣を何事もなく歩いている人がいたら「幸せ」なのか?
この価値観の押し付けがよくないけれど、もしもフンを踏んでも「うわ、おもれー」って考えることもできるんじゃないかな。
もちろん、給与が低いってことを幸せだって考えるのは難しいけど、少なくとも他人と比べる必要はないんじゃないかと。
むしろ自分で幸せをコントロールしていくことがこの世界を楽しく生きていくコツなような気がしている。
そのためには暮らしが充足していないといけないけれど。なかなかそんな気持ちにはなるのは難しいからね。
せっせと毎日noteを書いて、なんだか幸せだなーっと。
そんな他人と比べる作業の必要ない密やかなものを一つ持っていればいいのだと思う。すべて気分次第だってこと。
終わり。