「真っ白な画面に立ち向かっていくイメージ」
どうやって書けばいいんだ?そんな迷い始めた夜の始まり。
これは11月28日の日記。絶対に書いておかないといけないとと思って書いている。個人的なことだし、読んでいる人にとっては興味がないことかもしれない。
だけど「書くということ」を続けていきたい僕にとってはとても大事なことになるのだ。
きっと将来、才能がなくて凹むことがまたあるから、そのときまた読みにこれるように。
では「書くという事」
始まり、始まり。
これはしょうもないことから始まる。
昼間に部下と話しをしていて、ちょっと怒ってしまった。
そのときに、苛立ちを顕にしてわざと相手に何も言えないようにした。どういうことかというと、会話の場を用意したのに2人は意味不明なことばかり言うので面倒くさくなったのだ。
「もう1月のことだから、今日はとりあえず話しは終わろう」とさっさと切り上げた。
ちょっと申し訳ないな、とは思ったけど、向こうも不満を述べるだけで、解決を求めてはいなかった。
しかしそれが夜中になっても苛立ったままだとは。
毎日執筆をしているのに、すべてな うまくいかなくて苛立っていたのもある。
その日はスーパーで買い物をして、夕飯を作って、いつもと同じようお風呂に入ったのだけど、まだ、気になるものがあって、ふと気がつくと「なんで自分が店舗の管理者をしないといけないだ?」と頭が悶々としていて。
眠りに就くとき「ムカつくな」と引っかかるものがあった。
そして自覚はあったのだけど、久しぶりに眠れない夜になった。
そんなときに期限の切れかけているオンライン映像があったので、気持ちを切り替えるのにもしばらくスマホを見ることに。11月10日に幕張メッセでの舞台「えんとつ街の踊るハロウィンナイト」。
その小さなスマホ画面を見ていると、たくさんの演者さんがいて、ダンサーがいて、ピアノを演奏する人がいて、気づけば感動していた。
何年振りだっただろう。
ステージの上でそれぞれに役割をこなす動きがあって、世界が作り上げられていた。ふとロザリーナさんが「えんとつ町のプペル」を歌っているときに泣いていた。
久しぶりの感覚だった。
いつもの布団に入っているのに全て忘れていた。
これが作り上げることか。
もうね、僕は子供ではないし、才能があるわけでもないことは分かっていて。演者に憧れることはないけれど、世界を作り上げるということに憧れた。
プロデューサーなるものをやってみたいと思った。
バシッ
(ライトのつく音)
さて、さて。
ここからは自分へ向けた舞台になる。このまま記事を終わらせてしまっちゃあ、なんのためにnoteをやってきたんだよと。
気付いたものを形にしてみるよ!
それでは
架空の見えない舞台にもう一筋のライトを照らしていこう。
ここはシロクロによる舞台です。目を閉じた真っ暗闇のなかに「書くという世界」を作り上げてみせよう。
とりあえず、ひょうきん物の演者をブッキングする。
コツン、コツン。
ほらキーボードを打てばそこに人間が立ち上がる。
ホラ、お辞儀をしなさい。読んでくれている方々にこれから華麗な挨拶をしなさい。
そして照明はこんな具合で調節をしたらいいかな?それはあの煌びやかな舞台はここにある。
コツン、コツン。ドッコン
また一文字ずつのキーボードを打って、演者の周りに楽しそうに笑うダンサーを登場させよう。
ほらこれが執筆家という人間の仕事だよ、楽しいだろう? さてさて、そしたら次はなにをしよう。
演奏を奏でるためのピアニストでも選出しようか。これはなんでもない夜の物語だ。しっとりと胸に届くメロディーにしておかなければ、ホレ、こんな指の長いきれいな手はどうだ?
キラキラ光るあのライトを照らして
そしたらダンサーを動き回らせよう。
これが一つの世界を作り上げることだ。
それが「書く」ということだ。やり方を忘れないようにしな?
プロデューサーは真っ白な画面にいろいろな仕掛けを作っていかないとならない、そこに狙った世界をただ作り上げていくのだ。執筆とは一人でそれをやること。
自由にソレを立ち上がらせるのは楽しいだろう?
もし忘れてしまったら、またここに来るんだ。何度だって見せてあげるよ。
未来のぼくは見に来てくれているかな?もう落ち込まなくてもいいよ。
さて、この11月29日に作り上げた舞台はもう終わりにしほうと思う。余計なことは書かないほうがいいからね。
ほら、立ちあげていくという感覚はこんなにも楽しいのだって。「伝えたい」ってことの楽しさを忘れないように。
さて、書くことも無くなってきた。では、退場しようではないか。
ただ一つ言っておく。
君はプロデューサーて。こうやって真っ白な画面にワクワクを作り上げていくことができるんだよ。忘れないようにな。じゃあな、未来の自分。