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30代の全自分へ。感謝を大切に、


歳を重ねて能力は落ちていく
そして比例して日々の幸せも落ちていくのか。

先日、
「おじさん。あまりいい記事じゃないな・・。反省!」という記事を書かせていただきました。50、60歳になると仕事上でのパフォーマンスが落ちていくという。普段、社会で働いているとたまに能力は衰えているのに偉そうにする人がいまして、正直そういうのを見ているといつか自分もそうなってしまうのかなと反面教師的な恐さを覚えてしまうのです。
人間の体にはピークがありますから。

しかしそれが「悪」なのかというと、つい辛辣な感じで書いてしまいましたが生き物としては自然な流れだと思う。

先日。
そういえば先輩たちが退職するまであと5、6年くらいかあと思っていまして。それまでにここ最近厳しさの増していくこの医療業界で、どれだけ医療者としてみんなと奮起していけるのか?と考えたとき(根拠はないけれど)、おそらく大きく変化が起こるのは6年くらいは先かなと思って、それならば先輩方との接し方も変わると思った。

※根拠のない予想です
(診療報酬改定の流れだとか、これからの日本人口を考えると、さらに大きくなにかを求められるのはそれくらいな気がした。)


そんなことを考えたときに、先輩方とこれから、「もっと頑張りましょう!」と摩擦を生みながら鼓舞していくより、残り数年をお互いに穏やかに過ごした方がいいのかなと思った。
その変わり、これからを立っていく若い人たちに対しては、自分の持てるモノを全力で駆使して、これからの時代を導いていけるようサポートしていくべきなどと、若輩ながらに考えた。

そんなことを考えていたとき。
ふと、先日自ら「おじさん。あまりいい記事じゃないな・・。反省!」という記事を書いたことを思い出して。
ああ!!もしかして、この未来を捉える思考力も落ちていくのか?と思い。とても恐ろしくなった。


この3、4年くらいは、自覚的に記憶力、足腰の筋力、日々取れなくなる疲れ・・・と老いを感じていたのですが、まさか、この思考力も落ちていくとは認識がなかった。

この未来を考える直感にモヤがかかってくるのか。



正直、けっこう今は周りから頼られています。

1つ例えで言うと。
Aという商品があって、お店で売れ残ったとします。それを値下げをして売り切らないといけないとき。

ぼやけた思考力しかできないとすれば、
まあ30〜40%OFFすれば売り切れると誤差10%の範囲での予測になる。

さらに細かく考えられる人は
30〜35%の範囲で売り切れるなと誤差5%で予測できる。
そして、
頭の切れる人は、33%でちょうどだとピンポイントで予測ができるでしょう。

そしてそれが正確であればあるほど次にすべき行動も明確に分かる。他の店舗の在庫を引き受けるべきか、もしくは、数個を他の店舗に引き取ってもらうか。

そうやって予測の精度の高い人は、提案の信頼度が上がり、さらに人やものが集まってくる。それが将来を見る力だと思うのです。
そうやって見てきた世界が、歳を重ねることで変わっていくのは世界観が変わるようで怖い。

しかし、衰えていく=不幸せかというと、そうではない。
と思いたくて、これを書いている。

何年も前に、メディア越しにだけれど、瀬戸内寂聴さんやアントニオ猪木さんの最期を見ていて、そこには「誰かに必要とされる」というメリハリを得ることで、肉体的には無理をされていたと思うのですが、その人生には最後まで満足感があったように見えるのです。

一般人である僕が、瀬戸内寂聴さんやアントニオ猪木さんと同じ土俵に立てるとは思わないけど、何にも持っていない老後の暮らしで、誰かのためにボランティア活動でもやれれば少しは違うかなと思った。

それと。ここでどうしてもいいたいのが。「他者を介さない幸福」を考えたときに、ここれまでそれぞれバラバラに生まれ育った人たちとこうして一緒に働けていることへの感謝をしたい。


今、自分にできることがあるということ。

こうして能力があって、それを誰かのために使えていることに感謝したい。
今を思いっきり暮せていて、崖っぷちに立たされている36歳ではあるけれど、それでも少しでも多くの人を幸せにできたらと思うのでした。


っと、こうやって将来のことを考えるのもいまの僕だらかなのかな。なんて思ったりして。
やっぱり今のうちにもっともっと色々考えて、暮らしていきたいと思ったのです。
終わり。

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