
繋がった空は、またいつか思い出す。
高校の時にここの空って広いなあと思った。そしてそのことを20年越しに思い出した。
それは一昨日の職場帰り道、川沿いの土手道を125ccの小さめスクーターで走っていたとき。遠くまで空が見えまして。
正直、高校3年のあいだで他にあった思い出たちも楽しかったはずですが、そのとき30代半ばで久しぶりに思い出した記憶はプレハブっぽい簡素な部室棟と校舎のあいだを歩いているときでした。
高校3年間、どれくらいの日数になるのか。スマホで計算をしてみたところ365×3=1095日。
どうやら1000日以上過ごしたことになる。
しかし思い出したのは日常に埋もれていた数秒の記憶。
花火をした夜もあるのに、運動会も3回やっているのに、修学旅行にも行ったはずなのに。それなのにイベントの日でもなんでもないときを思い出した。
それはとても意外で。
そして嬉しい。
では、
あれはバレー部も辞めて、つまらない日々だなと思っていたときです。
高校2年生。
そのときは中学生の仲良しの友人たちは文系クラスを選択していて、僕だけが端っこにある理系クラスにいました。そもそも高校生になったときから、みんなオシャレをしだしたり、雑誌を読みだしたことについていけずにいて、なんとなくそれを遠巻きに見ていた。
教室でガハハハと笑っているサッカー部の明るい友人たちは、彼らと話したりすると、自分だけがその輪っかきら外れて一人盛り上がれないでいる気がした。
「うん、うん」と頷いてはいたが、その馴染めないことが分かっていて心苦しかった。
とは言っても一人ぼっちではなかった。
普通に友人たちはいて、今思い出しても、10代にして早くも痛風になった友人が「プリン体の取りすぎらしい」と笑いながら教えてくれたのはやっぱり面白いと思う。
することがなく、僕はいつも放課後まっすぐ帰っていた。
毎日何もなく一人で帰っていることを情けなく思っていた。下校途中でみんなと買い食いをしたいし、贅沢を言うなら恋人を作りたい、、、、
そんな一人夢想をしながら歩いているときに、校舎とプレハブっぽい部室棟のあいだを歩いていたら、ふとここから見える空って広いなーと思った。
1回気づくと、翌日も、翌々日も、そこに立つと毎回思った。そこからは遮るモノがなくて、空が広く見えたのだ。
大人になっても覚えているとは思わなかった。
だけど、人間というのは意外なことを覚えているもののようだ。なんなら、球技大会や文化祭のことよりも記憶の距離が近い。
補足で一応書いておくけれど、馴染めなかったといっても、高校は普通に楽しかったし、友人はいたし、バンドもしていたし、男子全員で球技大会は盛り上がったし、文化祭でクラスでオランダ展をやった日はワクワクした。
だけど、クッキリと感情の形を覚えていたのは空を見上げた時だった。
そう思うと、今から20年後に、今のことはなにを覚えているのだろう。
事務さんと並んでカタカタとパソコンこキーボードを叩いているときに空調の音が響いている瞬間とか、仕事終わりに見上げる空なのかもしれない。
20年後に覚えていそうなことを書いているけど、きっとこのどれでもないのだろう。何気ない一瞬をふと思い出すのだ。そう思うととても楽しみに思える。
人間っちゅうのは、不思議な生き物だ。
そして突然ですが。
先日、事務として働いてくれているAさんが「会社を辞めたいと思っている」と報告をしてくれました。
悲しい。
このAさんというのが、横並びでパソコンで仕事をしているときは少し楽しかった。
「ここのこと質問していいですか?」と、トツトツトツと業務の話しをしたりして。それは、どこか高校生のときに空を見上げていたときと似ている。
こういう日常を忘れたくない。、
でも、そもそものまだまだ。
まだどうにか話しをして、どうにか辞めずにいてくれるように、まだ少し一緒に働けるようにしていこうと思う。
思い出になると決めるにはまだ早いぞ。
と、変なことを追加してしまいましたが、今度こそこれで今週は終わり。
終わり。