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生きるって取捨選択をしているよね。ドラマを見る?映画を見る?小説を読む?
さてさて、今回は人生について。どっしりと。
ALS。筋萎縮性側索硬化症。
これは神経系に障害を受けて筋肉が動かなくなっていく疾患です。日本国内には1万人ほど患者がいるそうで。
これってけっこう患者数が多くて、難病指定を受けているなかでは23番目、、あ、いや。あまり多くないかもですね。
ただ仕事をしている上での肌感覚は、大きな町のなかに1人くらいはいます。
「崖っぷちサラリーマン」
さてさて今回はいつもと違って、サラリーマンらしからぬことを書いています。いつもはサラリーマンっぽいことを書いているのですが今回はイレギュラー。
説明は省きますが、とにかく「生きるって贅沢だなー」と思うことが最近あって。これをどう説明したらいいのかな。とりあえず経験したことをそのまま書いていくのですが、分かりにくかったらコメントで教えてください。
追加していきます。
では。
12/10
医療従事者として働いておりまして、いつものように患者さんのお宅に訪問をしたのですが、50代のその女性患者はベッドの上からドラマを見ておられました。
その日は、「ドクターメ~外科医・大門未知子~」をおそらく見ておられたのかな?正直ドラマってものを5、6年は見ていないので、全然ピンとこない。今検索をして「米倉涼子さん 医療系のドラマ」でソレだと判明しました。
米倉涼子さんが演じている声が作業をしているときに聞いていたのですが。なんかドラマの世界だなーと。
切実なシーンが流れていたっぽいのですが、ぼくがドラマに興味を持てないので、ほぼ雑音でした。すこし冷ややかな気持ちになって手元の作業に集中していた。
でも
ふと「なんでなんですか!?」みたいなセリフがありまして。たぶんその回は物語上、決定的なシーンがあったみたいで、大門未知子さんという役を演じている米倉涼子さんが迫真の声を出していた。ベッドにいる患者さんの方をなんとはなしに見たとき、
あっコレがこの人にとっての選んだ日常なんだな・・と思った。
すみません。ここからはちょっと怖いように感じるかも。医学的な事実として読んでください。
医療用語に「予後」というものがあります。それはみなさんのイメージしている言葉でいえば「余命」が近いかな?
どの期間で急変がありえるか?というもの。具体的に言えば年単位、月単位、日単位というものがあって、その疾患と進行具合、全身状態によって変わっていく。
「日単位です」と言われたら、それは翌日どうなるか分からないということ。
ALS。
この疾患は発症をして年単位で病気が進行していく。筋肉が動かなくなっていきます。これと似た疾患にSBMAというものがあるのですが、細かくみると病態が違っていて、予後が違う。
ALSは最後に呼吸ができなくなるのです。
ドラマを見ている患者さんは、来年はこれをもう見れないかもしれない。
ふと世の中には娯楽(noteとかドラマとか映画とか小説とか)っていうものがあるけれど、それらを指さして「こっちはいい」、「こっちはイマイチ」と言うのは贅沢だなーと思った。
ドラマを見ないけど、小説は読む(ぼくのこと)、とか、もっといえば散歩が1番好きとか、誰々さんといるのがもっと好きだとか。
要は全部「世界にあるもの」なのですから。それは生きているうちしか感じられない。
まあこの世の娯楽をすべて享受するなんてできないんですけど。
生きていれば、これは好き、こっちは嫌い、と取捨選択をしながら生活している。ふと患者さんを見たときに、そのこと自体が贅沢だなーと。
意識していないけれど、そうやって選ぶってそもそもが贅沢なのだ。
そして、この世にあるものをもっともっと受け取りたい。
あれもこれも手にすることはできないけれど、それらは全て「この世にあるもの」なのだ。なにをするのにも、なにを見るのにも、それは生きていないとできない。
なんか、すごくコエーって記事になったかもしれないけれど。そんなことを思ったのですした。「死」ってものは意識すると怖いですがそれが事実。夜が眠れなくなっても。最近素直に思ったことなので。
ふうー、また明日から仕事か。
頑張っていきましょう。さて今回はこれで終わり。
終わり。
ちなみに、今回「ことばと広告」さんが開催しているモノカキングダムってものに参加しています。
ハッシュタグでそのほかのページも見れるので、ぜひぜひ検索して読むってことを楽しんでください!!
今度こそ、終わり。