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エッセイを書くって欲を捨てること?

前回書がせていただいた notee
「自分の弱さがムカつきすぎて、本気でロッカーを殴った夜」について。

これを読み直したところ、誠実さが足りてないな・・・と自覚しました。

前から気付いてはいたけど、素直に思ったことを書けていない。読まれることのない不遇の時代を長く過ごしたせいで、書いていると「ここはこう書いたほうがいい」とか「やっぱこれは消そう」と、書き直しをしたくなってしまうのです。そしてその結果、最後はいつも修復不可能までに自分の気持ちが分からなくなってしまう。

読んでもらいたいという意識が強すぎるのだ。そして読んでいる人に欲がバレて、誠実さと説得力を失ってしまう。
それっぽいことを書いているだけだぞ、と思われる。

いつもそう。

そしてみなさんはどうしているのか。とくに尊敬している方々はどうなのか。

例えば、望月さんやキングコング西野さん、又吉さんだったり、青本ばななさんといった人たちは、そういった苦悩を感じないのだろうか。

文章を読んでいると、そういう感じない。いつも自由に表現をされている。
平凡な僕みたいに「こう書いたら読んでもらえるんじゃね?」なんて気持ちは感じなさそう。ピュアなんですよね。

そういえば数年前、又吉さんのエッセイを読んだことがある。そのなかで「「月間吉本」という雑誌で、ずーっと読者投票で1位を取り続けていた」的な記述があって、そう考えたら、「売れたい」という気持ちによる障壁なんて無意識に飛び越えていたのかなと思ってしまう。少々虚しいな。

それでね、このまま終わったら感情論だけで終わってしまいそうなので、一つ実例を書きたい。

実は今週、違う記事を書こうとしていて、「あっ、これは自分は納得していないことだぞ」と気付いた。

「他人の弱さを受け入れよう」というテーマだったのだけど、カッコよく思われたくて・ファンを作りたくて、そんな思いで書き出したモノだった。
だけど、2、3日書いて気付いた。

心のドアを開けてみれば、怒りとか身勝手さといったものはやっぱりムカつくと思っていて、「他人の弱さというのも種類によって認めないほうがいい」と思っていることに気づいた。そんな自分です。そんな自分が書くものが何か誰かの足しになればいいけれど。

今回は思い切って素直に思っていることを書いてみました。

こうやって欲を捨てることで、少しは素直になれるんじゃないかということを書きたいのでした。





って、この記事もカッコつけようとしてんな。自分。
やっぱ、欲を捨てるってむずかしい。


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