失望されたくないのか、失望してほしいのか、わからない

 幼稚園児のころ、日本地図や天体の名称を暗記したり、暗算ができたりすると褒められた。すぐ機嫌を悪くする親を確実に笑顔にできるのは、「あなたの子である私はこんなに賢いですよ」というアピールだけだった。頑張る姿とかではなく。思いやりのある態度を取ったときとかでもなく。あと親を喜ばせられたのは、カメラを向けられてかわいいポーズを取ったときくらいか。小学生くらいまでは、そういう日々が続いた。褒められるのは好きだったから、私も幸せだと感じていた。今思えば、あの親の態度は「私を愛していた」のではなく、「見た目が良くてエリートな俺」の遺伝子を子供が受け継いだことを喜んでいただけだったように思う。

 中学生にもなると、だんだん様子が違ってきた。私の見てくれがあまり愛らしくなくなってくると、親の態度が一気に冷たくなった。食事の途中でさりげなく「ブサイク」「豚」と、ぼそっと言われることが増えた。目鼻立ちが定まってきて、自分好みの可愛い顔ではないことがわかって失望したらしい。私も客観的に見て自分の顔面偏差値がどれくらいかは理解していたので、「そうだね」と特に反論もしなかった。一応これもおまえの遺伝子だよと内心思っていたけれど、同時に幼少期の可愛がられようも記憶していたので、こんな顔に育っちゃってごめん、失望させてごめんという気持ちもあった。それでもまだ「頭が良くて成績優秀」というステータスは維持できていたから、そちらをアピールすれば親は機嫌を直してくれた。と言っても、「俺の子を名乗ることを許しておいてやる」くらいの態度だったけれど。

 それから私は「優秀さ」に固執するようになった。顔は努力ではどうしようもなくても、頭の良さはまだ(相対的に)保てていたから、親に失望されずにいられた。食事中は努めて学問的な話題を挙げるようにして、「勉強大好きで知的な娘」を演じた。いきなり出される「クイズ」にいつも身構えていた。答えられないと、決まって露骨な軽蔑の視線を浴びせられるからだ。

 学業の成績はいつもトップでなければいけなかった。それ以外など想像すらしてはいけなかった。学年1位であることが普通で、達成できないなら私の態度か、あるいは才能に問題があるということになっていた。

「今回の定期テストも学年1位だったよ」

 褒められるために言っているのではない。「ちゃんと結果を出したんだから文句言うなよ?」という親への牽制である。返ってくる言葉はこう。

「あ、そ。まああの学校程度ならそれが普通だよな」

 まあね……と一応言うけど、そんなわけがあるか、「頑張ったな」くらい言えよ、というのが本心。地方の自称進学校とはいえ、数十人相手にいつも1位でいることに一言の賛辞を貰えるくらいの価値はあると思っていた。優等生の座を守ったことに対して一言くらい労いの言葉をくれたっていいじゃないか。でもそんな言葉がもらえる日は中高6年間を通して一度もなかった。1位でいることが最低条件であったし、結果にしか興味がなく努力に目を向けることなど一度たりともなかったから、必然的に「褒められる」機会は消え失せた。所属する部活が体育系でないことに文句を言われ、外に遊びに出ないことに文句を言われた(これに関してはそもそも親がお小遣いをくれなかったんだからどだい無理な話である)が、「勉強はちゃんとやってるんだからいいでしょ」と開き直った。実際、親はそれで黙ったから、私がどれだけ社会性に欠けたクズでも気にしないんだなと思った。学業の成績以外には興味ないんだなと。

 難関私立大学に、進学塾を使わずに現役合格した。通うのがめんどくさいのもあったが、進学塾など使おうものならどれだけいい大学に合格しても「ズルしたくせに自慢げに言うな」と嫌味を言われて絶対褒めてもらえなくなると分かっていたので。

「ほう?」

 普段より少しだけ明るいトーンで発せられたこの一言だけで、私は死ぬほど嬉しかった。これをずっと望んでいた。やっと報われたと思った。でもそれが最初で最後だった。その後は進学先がお金のかかる私立大であることを事あるごとに嫌味っぽく言われるばかりだったし、こちらも負い目はあったので大学の話はしなくなった。

 上京して、すべてが変わった。私の化けの皮が剥がれた。親に会わなくなったら成績についても尋ねられることはなくなったし、漫画、アニメ、ゲームに触れても誰にも文句を言われないことに気付いた。成績を維持することに必死になる理由がなくなって、落ちこぼれた。自分は別に勉強が好きだったわけではなく、勉強しない・できない自分などありえないと思っていた上に、勉強以外にすることがなかった、それだけのことだったと気付いた。

 就活について悩んでも、私が英語が得意であったことを僻んでか「国連行けばいいじゃん」とどうでもよさそうに言ってくるだけだ。もう私に期待することはやめてくれたと思っていたのに、こんなときまで社会的評価の高そうな組織ばかり勧めてくる。他人に自慢できそうな就職先を列挙するばかりで、私がどんなふうに働きたいかとか、そういったことには全く興味がなさそうだ。

 結局親が気にしているのは「私がどんな社会的ステータスを持っているか」「『俺の子だ』と他人に自慢できるか」でしかないようだ。すごいかすごくないかにしか興味がない。私がどれだけ努力したかどうかなどどうでもいいのだ。私自身が幸福であるかなんてどうでもいいのだ。自分の素晴らしい遺伝子が子供に受け継がれている確信さえ得られれば他はどうでもいいのだ。

 ……正直、グレたい。失望されないように頑張ることに疲れた。失望されたときに向けられるあの侮蔑の視線もすごく辛いけれど、失望されずに済んだところで「それが当たり前」と素通りされるだけ。だったらもう、ショックを受けて泣くんじゃないかというくらいに失望させてやりたい。私はおまえのクローンじゃないんだという事実を突きつけてやりたい。不純異性交遊でもすれば、「この子は俺の理想の子なんかじゃない」って気がついて、諦めてくれるんじゃないか。「理想を叶えちゃくれない」と理解してくれれば、ありのままの私を見てくれるのではないか……そういう期待を捨てきれずにいる。でもきっとそんなことは起こらない。「俺の子だと思うのが恥ずかしい」と言われてあっさり見捨てられるのが関の山だろう。いい加減そんな親の目など忘れて自分の人生を生きたいものだが、幼い頃から向けられてきた見定められるような視線はなかなか振り切れない。いつになったら、私はただの人間になれるんだろう。

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