僕は久しぶりに息をした
先日、ハイセコ時代の後輩であるところのかわちまりさんの役者が見たくて劇団わに社の第二回株主総会のC(千秋楽)を観に行った。普段スタッフとして優秀な彼女が役者だとどんな顔を見せるのだろうという興味からだった。(実際には『ラブハンドル』でスタッフに入った時に見ているのだが、言われるまで忘れてしまっているほどだった。)
「たとえば君も私のこと、好きならば」
作/オノウチハルカ 演出/林優
出演/かわちまり 藤岡祐真
結論から言って、大当たりだった。何より脚本が良い。オノウチさんの作風が分かりやすい形で炸裂していた。序盤のみらいちゃんの第一声「私、今〜君に好きって言われたら、断れないと思う。」の台詞が一言で彼女のあざとさを紹介するのにこれほど分かりやすいことがあるだろうかと思った。この台詞が僕の中でかつ脚本の上で発明となり代わり、僕はこういう言葉と人の関係性が見たくて芝居を観にきていると再確認した。主軸は新しい人を次々に好きになってしまう彼女と恋愛相談の男性の2人芝居。これはあまり考えてはいけないことなのかもしれないが、計算高い女性を演じるのに普段から頭の良いまりさんの隣に出る人はいないだろうと思った。と同時にこの演目は昔別のキャストで行われていたということは聞いていたので、みらいちゃんは見た目だけでいうともっと男を手球に取るような女性が演じていたのではないのかという想像も浮かんだ。男性の初演キャストは去年知り合ったばかりのシオンくんがやった数少ない役者だったと聞いて、なるほど、若い為うだつは上がらなくても雰囲気がある彼らしい役だと思った。オノウチさんが当書きをしていたのかというのは今気になっているところだ。
お話としても彼女は結論を出すのが構造上説得力もあり、男性は1人5役ほどこなすので演劇的面白さもある。「演劇とは豊かである」ということを久々に思い出す作品だった。
「いろはちゃんはもう、可愛くない」
作/林千紘 演出/かわちまり
出演/林優 織田佳祐 綺子 浅井千寿代
こちらは脚本、演出がかつてのハイセココンビ。そうだった、同期野村のDNAを色濃く受けている彼女の脚本は本の隙間隙間で役者の自由度を上げられるようにしていた。でもそれは普段芸人としてのイメージの強い林優さんの畑とも近かったのか、わに社としても相性が良さそうに見えた。いくつかパターンを仕込んだ上でもアドリブで笑わせるのは至難の業だが逆にその緊張感が伝われば空気を共有できる諸刃の剣にもなる。基本的に林優さんが回収するので不安になることもなくとても面白かった。と同時にこの猪突猛進なネタの羅列に当時のハイセコの空気を感じてとても懐かしくなった。
脚本とは面白いもので上記のオノウチさんの作品もそうだが、作品の中には書く人の状況や社会情勢、その時の条件や流行り物が知らずに入り込んでいて後に再演する時にはすでに古典になるものだ。浅井さんの「いつまで昔の姿でいるつもり?」は当時ハイセコでやったのだとすればみんなほぼ同い年だった。だからこそ林優さんの役は序盤でただいろはちゃんが好きな同期であり、男2の恋敵として成立していた。違和感というほどではないが音楽も譜面から曲にした時の空気は演ってみて初めて分かるものもある。脚本や楽譜というのは正直だが芸術のそういうところが僕はたまらなく好きだ。
(株主総会の株主総会はいつものわに社だったので割愛)
最近はやはりコロナで観劇回数が減ってしまったのは確かで、かつ力のない団体は昔ほど自由に公演を打てなくなってしまった。コロナの陽性患者が1人出れば一発アウト、公演が終わっても2週間ほどはクラスターが起こっていなかったか神経を張っていなければいけない。中止になった演目は数知れず、しばらくこの状況が続くのは免れないが、好きの度合いや関わり方は十人十色である一方、僕らは演劇から離れては生きてはいけないのだ。規模の大きさは面白さに比例しないということを久しぶりに思い出した短編2本だった。