「逃げ恥」はそんなに偉いのか
TBSテレビの人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(「逃げ恥)」(2016年10月から11回放映)は
若い独身男性平匡(ひらまさ)のため家事全般を担当し給与を得ていた若い女性みくりが互いに好意を持ち「いっそ結婚しようか」で結婚。女性は主婦になるが、今までどうり家事をしても給与はでない。「これっておかしくない?主婦はただ働き?」となる。これがひとつの問題提起になっているという。
この問いかけが説得力を持ったようでいくつかの
メディアで取り上げられた。しかし、もう一歩つっこんで考えてみよう。たしかに主婦はその働きに対し賃金を得ることはない。が、日本では大抵、妻が家計を管理する(共働きも同様)。このみくりと平匡の二人もそうなるはずである。たしかに主婦業に賃金は払われないが、妻が夫の給与を管理し、夫にこずかいを渡すのである。男の側に立って考えてみよう、独身時代は自分の給与を自分が管理していた。結婚したとたんに自らの管理権を妻に委ねるのである。これってすごいことじゃないのか?すごいことだ、と言うのは我が国を代表するフェミニスト上野千鶴子さん。「日本の妻は夫の財布のヒモを握っている。これはアメリカ女性の羨望の的だ—子供の教育にかけてはほとんどオールマイである」(「女という快楽」~日本型フェミニズムの可能性)。日本女性がアメリカ女性の「羨望の的」というのだ❕日本人の多くが「女権の国」と信じているアメリカの女性が、である。どうやらコペルニクス的発想の転換が必要らしい。
シニア・フェミニストの樋口恵子さんはかねてから、妻が財布のヒモを握る日本の習慣を高く評価してきた。この形は戦前にもみられたが戦後の「男女平等」におされ一挙にひろまった。樋口さんはこれを「日本型男女平等」とよぶ。
「日常の買い物をあれこれ気兼ねなしにできることは、どれほど日本の主
婦のいきづかいをのびのびさせたことでしょう」(「”青鞜”100年~歴史
を開いた女たち」2011年12月25日NHKラジオ第2放送).
また、樋口さんは妻に家計をゆだねる日本の男の柔軟性も高く評価するのである。
こうしてみると、たとえば”ポップサブカル時評”「『逃げ恥』が掲げた政治性」(「朝日新聞」2017年1月7日)で、「白眉はふたりが本物の恋人として結ばれた後の展開だ。雇用主と従業員から本物の夫婦へ—物語がハッピーエンドで畳まれようとしていたとき、ヒロインのみくりは平匡に告げる。「それって『好き』の搾取なのでは?」と。要するにここでは『愛情』を理由にマイルドな家父長制を正当化させることに疑問が呈されている」。
こうした批評のあまりに教条主義的であることは、いままでの指摘でお分かりいただけることと思う。「家父長制」に至っては、苦笑せざるを得ない。おそらくは、平匡はいままで自分が好き勝手に使っていた給与をすべて妻に渡し(あるいはみくりが銀行口座からおろし)、その中から小遣いを受け取る。日本では実質的な「家父長」は妻なのだ。
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