第20話 料理人はじめます
これは僕の料理に関する物語だ。
帰国後の翌月、
僕は京都調理師専門学校に入学した。
一年かけて、
調理の基礎を座学と実習で学び
卒業する頃には調理師免許が取れる、
いわば料理人の養成学校である。
学校行くにあたり反対意見もあった。
学校なんて行くより
現場で学んだ方が早いよ
お金もったいないよ
そういう事を言う人は
全員学校に
行った事無い人であり、
あまり参考にならなかった。
結論から言うと
高い学費払った価値あったし
知識と基礎を独学でやるには限界あるし
何よりも毎日最高の環境と食材で
規則正しくコンスタンスに
一流の料理人達から学べた事は事は
価値のある時間だった。
和洋折衷ありとあらゆる料理を教わった。
僕はこの学校に通うまで
包丁を握った事が無かった。
飲食のアルバイトもした事無いし、
家で作った料理は豚キムチくらいだった。
僕が入ったクラスは
社会人と高卒の若手との融合クラスだった。
社会人は僕含め8人
梅宮辰夫みたいな見た目のオッチャン
パチスロで生計立てててた年上の兄ちゃん
料理好きの専業主婦
アニメオタクの子 などなど
バラエティ豊かな面々だった。
料理が好きと言う共通項ですぐ打ち解けた。
一方で高卒若手の面々は言わば
料理が好きで
アルバイトも飲食で働いてて
ノリも感性も活き活きの子達だった。
実習の時、
僕は料理人格差の洗礼を受けた。
僕は社会人経験があったためか、
一つの物事をリスクヘッジから
考えてしまう癖があった。
料理に取り掛かる時も、
一度検討しホンマにええんかこれ?
と考えてしまい
手が動く感じだった。
この時間が、
若手と同じ班になった時に
ひずみを生んだ。
若手達は僕の事を
出来ないオッサン扱いをした。
加納さん洗い物だけしといて下さい
味付け私たちがするんで、
掃除しとって貰っていいですか?
小さい声で、加納さんオッソ〜
とかとか
おまけに僕は極度の緊張しぃなので
実習の試験で落ちまくった。
桂むきの試験の時は手が震えまくって
指を切った。
鯛の姿造りの試験のときは、
鯛の身がボロボロになって、
調理師学校史上一番下手な生徒と
講師に言われたくらいだ。
身も心もボロボロだったが、
スケートショップの店長が
話を聴いてくれたり、
kossyさんのダンスレッスンに行く事によって
汗を流しストレスは吹っ飛び、
バランスが取れていた。
そんな学校生活を続けている時に、
歳下のBboy シンミョウと
たまたま道で会った。
シンミョウの友達が
BARを京都の木屋町でやっていると
僕はさっそくそのBARに向かうことにした。
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