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第16話「いつの日か」

6月の定期演奏会まで、毎日モーツァルトを弾く、あるいは弾けない日は、モーツァルトを聴く日が続いている。本当に少しずつではあるが、身体が音や速さに馴染んできた。モーツァルトらしい流れや変化にも、モーツァルトの思いが楽譜からだけでなく、音を通じて僕の身体の中心に届く。僕はただその流れや変化に身を任せるだけだ。今はまだ僕の奏でる音は、自分のイメージとかけ離れているけれども、いつの日か一致すると信じて。少なくとも本番までにどれだけ近づけるか、毎日モーツァルトと対話していた。
オーケストラでは、その次の定期演奏会の演目を決める時期のようだった。たしかに6月が終わればすぐ、次の12月の準備、練習に取り掛かる必要がある。ホールは1年前にすでに押さえてあって、指揮者も決まっていた。演目を決めるにあたっては、さまざまなことを検討するが、特に楽器編成については、本当にただ聴いているだけではあまり意識したことがなかった。6月のメイン曲「ハフナー・セレナード」の管編成は、フルート2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2だ。もう1曲の「交響曲第14番」はフルート2、オーボエ2、ホルン2しかない。みんなもちろん出たい、吹きたいと思っても、古典は小規模編成が多く、曲によって出番のない楽器が出てくる。音が少ない分、ひとつひとつの音色を大切にするモーツァルトは、全部使うことを前提に作曲していない。
次回12月のメイン曲は三大交響曲のひとつ、「交響曲第39番」になった。フルート1、オーボエは0である。オーボエはむしろ小規模でも欠かせない存在のため、モーツァルトのこの代表的な交響曲にオーボエがいないことが驚きだし、僕はオーボエの音色が好きなだけに複雑な思いがした。さらにもっと驚いたことは、次点がベートーヴェン、しかも「交響曲第7番」だったこと。
僕は子どもの頃からベートーヴェンが好きだったし、モーツァルトもブラームスも好きだけれど、ベートーヴェンだけは別格の存在だ。この「交響曲第7番」は僕が17歳の頃、NHKラジオで放送されたアバドとウィーン・フィルの来日公演をカセットテープに録音し、毎日ウォークマンで繰り返し聴いていた。クラシックとは思えない衝撃で、もうひとつ同じ頃に来日したポリーニの弾くピアノ・ソナタ「熱情」も録音して聴いていた。僕は普通にブルースやロックの好きな少年だった。
いつの日かベートーヴェンを、「交響曲第7番」を弾く日が来るかもしれないと思うと、胸が熱くなる。まだまだオーケストラ駆け出しの僕は、目前に迫りつつある初めての6月の定期演奏会、モーツァルトの課題に集中した。

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