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【4/22】釣り銭を吸われ、カフカと父を思う
昨日クトナーホラへ行ったので、この日は1日プラハをめぐる。朝起きて、まずはインペリアル・カフェへ。ここはインペリアルホテルの併設で、私はいわゆる「ホテルのモーニング」を楽しみに行ったのである。
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頼んだのはフレンチモーニング。が、予想以上に「パン!!!!!」という感じの朝食になってしまった。いや、もうちょっと小さいのかなと思っていたんですよ。これならなんかもっと、卵とかハムとかも頼めばよかったな!? とりあえず9割くらいは頑張って食べる。ジャムはまあ普通だったけど、バターがすごく美味しかったです。
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「パン!!!!!」を食べたあとは、観光…の前に、コインランドリーへ向かう。プラハで宿泊していたホテルは今回泊まった中で唯一、洗濯機がなかったのです。今回に限っては絶対に手洗いしたくないマンになっていた私は、リュックに汚れものを詰め込んで街を右往左往。
うろうろしていると、洗っている最中に見ようと思っていた天文時計や旧市街広場のあるところに間違って先に辿り着いてしまう。まあいっかということで、せっかくなので写真をバシャバシャ撮る。ここはプラハ観光のメインストリームなので、15年前も来たし、来たことを覚えていた。ただ建物自体は変わっていなくても、人の流れみたいなものが違うので、別の場所のようにも思える。「こんなんだっけか〜」と確認しながら、観光はほどほどに、再びコインランドリーを目指した。
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無事にたどり着いたコインランドリー。洗濯しようと思って料金を入れたのですが…
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500コルナ札を入れたのに釣り銭が出てこないぞ。なぜ!? 洗濯自体は150コルナだったかな…
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とりあえず洗濯を始めてしまおうと思い、スタートボタンを押す。しかし出てこない釣り銭。終わったときに出てくる仕組み?などと考えたものの、そんなはずないよなと思い直す。洗濯終了まで50分かかる。私のあとにもう1人旅行者らしき男性が来て、その人が料金を入れるところを盗み見る。その人はちゃんと釣り銭が出てきていた。なぜ!?
旅行者の男性は洗濯スタートのボタンを押すと、さっさと出ていってしまった。コインランドリーには私1人。終わったら釣り銭が出てくるかもしれないというわずかな望みに賭け、角田光代の『いつも旅のなか』を読みながら待つ。が、結局釣り銭は出てきませんでした! 日本円にして2000円弱の損失!!! 手洗いめんどくさいからしたくないマンを貫いたのでバチがあたったのでしょうか?
ホテルの人に事情を説明してこのコインランドリーのオーナーに「2000円返してくれ〜」とかけ合おうとも考えたが、私の拙い英語力で観光の時間を削って2000円を取り返す価値などを天秤にかけた結果、今回は泣き寝入りを選んでしまいました。本当はちゃんと言ったほうがいいと思う。コインランドリーで釣り銭出てこなかったこと、きっと10年経っても20年経っても忘れない。
忘れないが、なるべく忘れるようにして、綺麗になった洗濯物をホテルに置いたあと、改めて観光に出る。火薬塔などを通り過ぎ、カレル橋へ。お昼が近くなり、人がめちゃくちゃ増える。確かにこのへんはとても賑わう場所ではあるんだけど、15年前はここまで混んでなかったと思う…!
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カレル橋から見るヴルタヴァ川は美しい。記憶もある。「こんなんだっけか〜」と思いながら渡る。
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そして橋を渡り、聖ヴィート大聖堂を見るため坂をのぼる。この時点で「混んでるだろうな」と予想はしていたものの、実際は私が想像していたのより5倍くらい混んでいました。プラハ、15年前よりもっともっと観光名所になってる! 無愛想な店員さんもいるにはいるが、応対が柔らかくなった人が増えたように私は感じました。
坂をのぼりながら、「はあ、ここをのぼりきったら冷麺食べたいなあ」と絶対不可能なことを考える。この日は晴れて暑いくらいで、完全に冷たい系の麺が食べたい気分になってしまった。「冷麺」「冷やし中華」「冷麺」「冷やし中華」と考えながら、大混雑の聖ヴィート大聖堂に到着。チケットを買う列がすでに長蛇の列だった。
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「15年前に見たから諦めようかな」と一瞬躊躇うくらいの列だったが、仕方ないので並ぶ。列は長いけど順番が来るのは意外と早くて、内部をちゃんと見ることができた。しかし超混んでいた…。
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クトナーホラに行ってよかったと思う。結論から言うと私は今回、プラハでは「チェコ」を見つけることができなかったので。
聖ヴィート大聖堂を見て坂を下る。やっぱり冷麺食べたいなあ!
当たり前だがどこを探しても冷麺はないので、仕方なくナゲットとラズべリーティーを注文。冷麺がないのはしょうがないとして、このメニューでお値段1600円は高すぎないですか? チェコの物価、たか!!!!!
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そのあとは、15年前には場所がよくわからなくて行けなかったフランツ・カフカミュージアムへ。
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撮影禁止だったので写真はないが、入るとまずカフカが生きていた頃のプラハの映像が流れていた。建物や川は同じなのに、行き交う人々の服装や店構えだけが違う。考えてみれば当たり前なのだけど、不思議な映像だった。
そのあとは、カフカが父親や恋人に宛てた手紙、それから『城』『田舎医者』『断食芸人』『変身』『流刑地にて』などの初版本の展示を見た。生原稿も『判決』が一部公開されていた。手紙は本物ではなくレプリカっぽかったが、それでも「カフカってこういう字を書く人なんだ〜」と思った。上手いのか下手なのか、たぶんそんなに上手くはないんだろう、ぐにょぐにょした線がたくさん走っていた。
カフカは今で言うファザコンで、常に父の存在に怯え、また父に認めてもらいたい気持ちがすごく強かったとどこかで読んだ記憶がある。だからか、ぐにょぐにょ走っている線はどこか必死に見え、カフカはどんな思いで父に手紙を書いたのだろうと思った。何が書いてあるのかわからなくても、恋人に宛てた手紙よりも、父に宛てた手紙のほうにより強い「念」のようなものを感じた。こんなに必死に書いた手紙なのに、実際には父の目に触れることはなかったと、これもどこかで読んだ。
フランツ・カフカミュージアムの帰りは、旧ユダヤ人街を散歩しがらホテルへ戻った。野菜をほとんど摂取していないことが我ながら気になったが、この日は疲れたのでヨーグルトを買って部屋で食べ、すぐに寝てしまった。明日はもうプラハを去り、この旅の最後の目的地であるポーランドのクラクフに向かう。
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宿泊先情報
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