自転車ユーラシア大陸横断ひとり旅2004
13年前のことだから結構忘れていることもたくさんあるんだけど。
一気に纏めてみました。
昨日初めてnoteをやってみて、
このツールおもしろいな!facebookやmixiやtwitterやinstagramより、wordpressよりも更に性に合ってるぞ!
とビンビンに感じてしまったので、過去のことだけどダラダラ綴ります。
まだフォロワーいないけど。
知り合いでnoteやってる人いるのかなぁ?
旅前のエピソードもあるのでかなり長いです。
これでも随分端折りまくったんですよ。
脱線しまくりですけど。
興味ある方は時間ある時に是非!
15分でユーラシア大陸を横断できます☆
【準備期間】
《2003年10〜11月 兵庫 四国》
勤めていたフランス料理店を辞めました。
今までの人生で一番厳しく優しかった先輩が、
「自転車で大陸横断するんやったら四国のお遍路くらいやってこんかい!!そんくらいできへんよーやったら、お前死ぬぞ!!!」
と超ドヤされたのもあって。
突然お遍路をするハメに…
遍路記録
21日
約1600㎞
パンク2回
野宿12日
高低差約1000m
ヒッチハイク1回(淡路から鳴門へ渡る際)
予算約5万円(臨時収入あり)
模擬大陸横断旅はあっけなく終了。
予行演習になったのかな?
遍路中は地域の方に優しくされて。
みかんをくれたり泊めさせてくれたり。
晩ご飯を御馳走になったり温泉宿で温泉に入れたり。
四国の田舎は美しい文化を持っています。
感動しました。
ですが観光バスで遍路してる年配の観光客たちもたくさんいるんですよ。
4週に分けて土日に22ヶ所廻るみたいなお遍路バスツアー。
参加者たちからは僕がやってる自転車遍路が珍しく見えたようです。
たまたま◯◯番寺の駐車場に同じタイミングで到着したことがありました。
バスツアーのじいちゃんばあちゃんたちから、
「偉いわねぁ、お寺の子?」
「お布施だから受け取って!」
「孫にもさせたいわ」
と半ば強引に1000円札を僕に渡したがる人相当数。
中には10000円札の人も…
しかも長蛇の列…
さすがに受け取れません!
信仰で廻っている訳ではないのです。
予行演習でしかありません。
だけど何回断っても強引なので断れません。
じいちゃんばあちゃんは元気です。
『断れぬなら 受け取ってしまえ ホトトギス』
そんな詩が天から突然聞こえてきたような?
臨時収入約30000円×2回
ちゃりーん♪
気が付いたら高級温泉宿と美味しいビールに変わっていたこのお金は、僕の体力を大幅に回復させてくれたので、風邪も怪我もなく無事お遍路を終えることができました。
そんなこんなで山口大学の後輩であり、当時の彼女(現妻)が住んでた山口県山口市へフェリーと自転車で移動し、旅の準備が始まります。
《2003〜4年12〜3月 山口》
旅準備期間。
山口大学時代の後輩で当時の彼女(現妻)の家に居候させてもらいながら、ルートや予算、最低限の各国の挨拶やうまい料理などを図書館で調べる日々が続きました。
自転車はママチャリだとさすがに無理があるので、
「こんな旅がしたいからタフで強力な自転車が欲しい!」
と近所の自転車屋さんに相談を持ちかけたところ、最初は疑っているような目で僕を見てきましたね。
当然です。
何を言っているんだ?コイツは?
ですが、だんだん優しい目に変わってきました。
山口大学自転車部御用達の店だったので、
「日本縦断した学生が何人かいるから、その10倍部品を積めば可能かもしれない。」
と前向きな返事をしてくれて。
「海外からの取り寄せになるから1ヶ月待ってね!」
最低限の自転車の修理やメンテナンスの知識を、この自転車屋さんのおじさんから教わることができたのはでかかったです。
1ヶ月後、相棒 GIANT GREAT JOURNEY号 を手に入れることができました。
今でも相棒だからね!
メンテナンス費アホ程掛かるけど、今後もよろしく。
1万7000円飛んだけど、1週間前。
2017年現在、15万円以上メンテナンスに費やしてます。
もっといい性能のNEWチャリ、5台は買えたよな…
教育学部美術科油絵専攻の大学の後輩の紹介の紹介で、書家のカリスマ莫山先生のお弟子さん、坂本杏苑先生と偶然知り合いました。
山口市から徳山市へ自転車で通い、書だけでなく色んな話をしました。
書の楽しさと自由さと瞬間のこだわりと、その瞬間を活かすためには莫大な年月をようすることなど。
料理にも通ずる部分があります。
紹介してくれた後輩は6年前うちら夫婦の結婚指輪のデザインをしてくれました。
出逢いっておもしろいですね。
よかいちよかいちです。
そんなこんなで4月1日がやってきました。
エイプリルフールが出発日なのは前々から決めていたので。
僕なりのジョークです。
「本当のことを言ってしまって本当にごめんなさい☆」
【自転車ユーラシア大陸横断ひとり旅2004】
《2004年4月 山口 韓国》
山口県山口市瑠璃光寺へ当時の彼女(現妻)と一緒に出掛け、
「無事帰って来れますように!」
とお参りを。
寂しさはあったので涙は出たと思う。
自転車で下関港まで向かい、関釜フェリー搭乗手続きを済ませ人生初国際フェリーに!
最後に飲んだ日本のビールは黒ラベル。
ぷしゅー!からの「しゅっぱーつ☆」
翌朝釜山着。
港を降りたらキムチの臭いがしました。
韓国は島国日本と違いますが半島なので、アップダウンが激しい。
海外の道路標識を参考にしながら自転車を漕ぐのは初めてですが、所詮記号なので似たようなもの。
なんとなくわかります。
こっちへ行けばいいんじゃない?
本番はここからだけど、この頃はまだまだ予行演習気分。
太陽はこっちから出てるから、こっちへ行けば行き止まりがない限り次の街には必ず着くよね!
国道は他の道路より作りが豪華だからそっちに乗ればいい!
そんなことを考えながら自転車を漕いでいきます。
ちなみにこの旅の基本、方向感覚はポルトガルまで応用できました。
旅に必要なのは前に進むことだけで、方位磁石もGoogleマップもいりません。
迷子は迷子で楽しんだらいいだけなんです。
たった5日で仁川港へ。
距離は600㎞くらいだったと思う。
*韓国おもしろ話
日本が大好きな女子高生集団が信号待ちの僕に突然絡んできました。
「なにやってるんですか?」
「僕は日本人でポルトガルまでこの自転車で行くんだよ。」
と言ったら、
「日本人!」
「日本のアニメ、ドラマ、アイドルが大好きなんです。」
「日本にいつか必ず行きたいんです!」
と全く関係ない話をしてきて。
超盛り上がりました。
しかもめっちゃかわいい!
日本語も上手かった。
しっかり勉強しているみたいです。
そんな僕も日本のアニメとドラマは好きだから気持ちが分かります。
アイドルに興味はありませんが。
あと韓国の犬の餌はビビンバでした。
《2004年4〜5月 中国 青島〜蘭洲》
仁川から青島は再び国際フェリーへ。
北朝鮮には行けないからね、仕方なし。
青島はビニール袋に入れたビールを飲んでる人があちこちいます。
おもしろい!
18歳までに身につけた偏見を常識というのなら、常識を裏切ってくれる目の前の光景は旅してる感満載!
最高の瞬間です。
大好物です。
常識が覆されるの。
中国は漢字が通じるので筆談ができる分意思疎通が楽になります。
意思疎通ができると美味いものにありつける確率が上がります。
筆談最高!
チェーンが外れたりパンクしたのは中国がとにかく多かった。
道は悪くないのに、僕の自転車と中国の道の相性は良くなかったみたい。
道の真ん中で修理に戸惑っている僕の姿を見て、中国人たちは熱く何かを言ってます。
「パンクも直せないのか?お前?情けないなぁ。」
みたいな感じで。
「変われ!」
彼等は速攻で直しちゃうんです。
中国ってやっぱり自転車大国なんだ!
こんな経験数回後、パンク修理は朝飯前になるまで僕の技術は上がりました。
中国人のみんなありがとう☆
パンク修理に水なんていりません。
唾液だけで充分。
西安でユースホステルに泊まりました。
たまにはシャワーも浴びたいし、ヒゲも髪の毛も整えたいからね。
ユース受付のお姉ちゃんが新聞社に僕の旅のことを言ったらしく、その日の夕方取材を受けました。
西安新聞。
この出来事がでかかった。
翌日、西安を離れ次の街へ向かっているとき、
「この記事はお前か!?」
「うちに泊まれ、ごちそうしてやる!」
「唄を歌え!」
「酒を飲め!」
「ツオーアイマ!(一緒に愛をつくりませんか?筆談直訳)」
1週間近く効果がありました。
旅の楽しさが一気に加速。
*中国おもしろ話
自転車で山を越えているときじいちゃんが、
よいしょよいしょって僕の前を自転車で漕いでいて。
遅いなぁ、抜いちゃえ!
抜いてもすぐに抜き返してきます。
そのあと抜いたり抜かれたりを数回。
お互い一歩も引く気はございません。
結果的に次の街に早く着きました。
自転車への愛なのか?
まだまだ若者には負けられんわい!
なのかわかりませんが、愛おしいじいちゃんですね。
こういうパワフルじいちゃん、中国にたくさんいました。
《2004年5月 中国 新疆自治区》
旅して本当に良かった!!!
と心の底から思える地域。
回教、ウイグル。
ただただ素晴らしくて。
シルクロード感満載です。
中国なのにイスラム圏、これはとんでもない美しさを醸し出します。
文化の融合地はとにかく料理が美味い!
美人が多い!
このふたつは人が生きていく上でとっても大切なことですよね?
ハーフに美人が多い理由がわかった気がします。
僕は純血派ですが。
この地域の料理は僕の料理にもろ影響を与えてくれました。
イタリアンやフレンチのクラッシックにスパイスを加え、人類の歴史のミクスチャー感を表現するのがテーマなので。
無国籍料理とかっこ良く名乗っていますが、所詮欧風カレー屋さんです。
ただし多国籍料理ではありません。
それだと色んな国の料理を出しているだけになってしまいます。
僕が作る必要はありません。
このジャンルの料理はもっと腕のいい他のシェフたちにバトンパス。
シチリア料理やトルコ料理、スペイン南部料理やベトナム料理。
影響を受けた料理はたくさんありますが新疆料理がぶっちぎり。
宗教や戦争で悲しい出来事がバックグラウンドになっていることも多いと思いますが、今は今。
全く知らなかった美味い料理を現地で食べ知ることができたので、旅に出て本当に良かった!
「次の街まで40㎞」
日本の道路標識はこんな感じですよね?
だけどこの辺りは桁がひとつ違います。
「次の街まで400㎞ その次の街まで700㎞」
気が遠くなります。
でも仕方がありません。
ここは入ったら2度と出られない。
という意味のタクラマカン砂漠なのですから。
一番西のオアシス、カシュガルの次はいよいよヒマラヤ越え。
カラコルムハイウェイを通りクンジュラブ峠(標高4773m)を越えた先はパキスタン。
砂漠では砂嵐、ヒマラヤでは高山病と雪。
体力的に一番キツいエリアでしたが、富士山より高いところを自転車で走っているのは快感でした。
*新疆おもしろ話
タクラマカン砂漠を歩いてる男性3人組に会いました。
自転車を停め話を聞くと、北京の大学生で北京からカシュガルまで歩いて行く道中だったみたいです。
僕の自転車旅の感覚でおよそ4000〜5000㎞。
アホです!
人のこと言えませんが。
大学では歴史専攻。
今は何をやっているのかわかりませんが、おもしろ人生を送っているんだろうなぁ。
若気の至りは生きていく上で必要ないのかもしれませんが、こういう経験はつまずいた時に、
あの頃と比べたらたいしたことねーな、死ぬ訳じゃないし☆ハハハ。
って笑い飛ばせる余裕を与えてくれるので、こういうアホが僕は大好きです。
「お互いバカだねぇ。」
が別れ際の挨拶。
100点!
《2004年6月 パキスタン》
人生初禁酒国。
イスラム教国家。
禁煙国ってあるのかな?
素朴な疑問。
国境を越えた最初の街で偶然日本人バックパッカーと出逢いました。
絵を描くのが好きな人だったので、同じゲストハウスに泊まり壁にクレヨンと墨で一緒に夜通し絵を描くことに。
チェックアウト時バレてしまったから罰金を…
500ルピーくらいだったかな?
アホですいません。
パキスタンまで自転車で来れたのでテンション上がりまくりだったのでしょう。
宿の店主、迷惑かけたけど今もいい思い出のひとつです。
怒ってくれてありがとう!
バス乗り場で彼を見送ってフンザと呼ばれる地域へ向かいます。
風の谷のナウシカの舞台になったことで日本でもそこそこ有名な観光地。
道中長かったので、
今夜はどこで野宿しようかなぁ?
と自転車を漕ぎながら考えているとき、警察官に呼び止められました。
「今はシーア派とスンニ派が争ってるからここで寝るのは危険だ。」
「寝床がないなら署まで来なさい。」
と言われ無理矢理自転車をパトカーに乗せられ。
署に入ったら留置所みたいなところに案内され、その日はそこで寝ることに。
ごはんはまぁまぁ美味かった。
だけどその晩、警察署がシーア派とスンニ派の激突で爆破されてしまい。
小さい規模だったので怪我人も死人も出ませんでしたが、外に停めていた僕の自転車は一部負傷…
翌日、このエリアでそこそこでかいカリマバードという街まで自転車を押して進みました。
ネットカフェで当時の彼女(現妻)にメールで、
「自転車の部品でこれとこれが必要だから、自転車屋さん行って仕入れてパキスタンのこのゲストハウスまで送って欲しい。」
と送信。
約3週間後、無事部品は届き、自転車旅再開!
ありがとう!当時の彼女(現妻)&自転車屋さん。
この3週間は後にも先にもない時間です。
ゆっくりひとつの街を観光
近くの山へトレッキング
日本人バックパッカーや外国人バックパッカーと交流
フンザの葡萄で作られたワインを警察官含めた地域メンバーと飲み会
禁酒国なのに警察さん飲んでいいの?
ってかうちら全員逮捕されるんじゃない?
ってかワイン作ってるんだ!
ダメなんですけどね。
みんなが楽しくなるんだったら、守らない方がいい法律もあるんです。
旅してる感満載の時間でした。
ビリヤニという究極の米料理に出逢えたのもでかかった。
旅は出逢いと別れの繰り替えしだからでしょう。
時間が長い分涙腺にきました。
だけど僕はこの街に沈没しにきた訳ではありません。
大陸横断したあとは日本に帰って、彼女に会って色々話をして。
飲食店がしたいので、もっと料理の勉強や実験もしなければなりません。
今も昔も変わりませんが、やりたいことが多すぎる性分なんでしょう。
裏を返せばやりたくないことの方が圧倒的に多い。
ということになるのですが。
やりたいことは日本でしか僕はできないので、しっかり前を向いてお別れしました。
パキスタンは色んなことがありすぎて。
まとまんないですね☆
*パキスタンおもしろ話
僕の嫌いな沈没型バックパッカーがたくさんいました。
何をするでもなく1日中ゲストハウスで寝てばっかり。
なのに変に人生を語りだす。
苦手です、この人種。
後から入ってきたバックパッカーにすごく偉そうに、先輩面して街のことを語りだすんです。
しかもコバンザメみたいなのがいて沈没マンを無駄におだて、上司部下みたいな関係をつくってて。
驚きです。
日本から飛び出しても尚、日本のルールに縛られているのか?
まだ日本でニートしている方がマシなんじゃないか?
そんなことを思いました。
バックパッカーだけではありませんが、物事を純粋に楽しめない大人は苦手です。
目の前には楽しいことしか広がっていない美しい国まで来て。
もったいないなぁ。
何のために旅しているのだろう?
《2004年7月 イラン》
厳格なイスラム国家、イラン。
イスファハーンはペルシャのイメージがあったので絶対行きたい街!
最短ルートで駆け抜けるぞー!
パキスタンから入国した街、ザーヘダーンで知った情報。
道中のバムという街でドイツ人チャリダー2人が何ヶ月か前誘拐され殺害されたようです。
当時はビンラディンが新聞の一面を飾る日が多かったですね。
政治や戦争のことは全く分かりませんが、泣く泣く遠回りルートを選択。
イランはいい国です。
水煙草が何より美味い!
女性は肌を隠しているから見えませんが、目力が強く美しい。
男性は人懐っこい。
柔道や空手やサッカーなど共通の話題が盛りだくさん。
親日家も非常に多い。
食事は御馳走してくれた家庭料理は美味いのですが、外食はホットドッグばっかりで飽きていました。
外食文化はそんなに発達していません。
家で家族や親戚や地域の方と食事を通して楽しむ時間をなにより大切にしているからでしょう。
外食する必要、ないんだと思います。
大きな街には冷水機が完備され冷たい水を飲むことができます。
道路は完全アスファルトで自転車も走り易いです。
オイルマネーの影響もあるのでしょう。
ペルシャの商人文化を引き継いでる部分もあるのでしょう。
人はみな豊かな暮らしをしているように見えました。
イスファハーン到着前、トラックの運転手から日本語で話しかけられました。
「日本人ですか?私はアシューカです。千葉県で10年前まで働いてました。あなたは私の家に来ませんか?」
そんなことを片言で言われた気がします。
断る理由はありません。
家族がもてなしてくれました。
時間がたつと親戚や近所の方も集まってきました。
女性と一緒の部屋で男性が料理を食べることは宗教上の理由で許されませんが、家の中での女性たちは活き活きキャピキャピしています。
服装もラフで顔も肌も出しています。
トルコから裏ルートで仕入れたビールを御馳走になりました。
約2ヶ月ぶりのビールです。
激ウマに決まってます。
その晩はかなり遅くまでみんなと盛り上がり子供達と遊び楽しい時間を過ごすことができました。
経験しないと分からないことはたくさんあります。
イスラム教を信仰している方々は、仕事に一生懸命で心にゆとりもあり信仰は厳しく守っています。
自分に厳しく他人に優しい。
家族や友人には超優しい。
大切なものをアシューカさんファミリーが僕に教えてくれました。
家族は仲良くするのが理想です。
*イランおもしろ話
中国で日本人バックパッカーからもらったエロ本を持って入国しました。
エロ本といっても上半身ヌードの女性がカメラの前でにっこりしているグラビア的な写真集です。
エロ要素0!
テニスのラケットを持って上半身裸でにっこり。
どういう心理で撮影に挑んだのか?
そればっかりが気になります。
野宿しているときテントの外が騒がしくなりました。
4〜5人いるな!
すっと外へ出てみると、日本の暴走族みたいな若いヤンキーが僕のテントを囲っています。
結構ビビりますよ。
ですがテントの中から出てきたのは黒こげの日本人。
彼等もびっくりだったと思います。
ひとり英語が話せる兄ちゃんがいたのが救いでした。
揉めた訳ではありませんが、
「お金ちょうだい!」
と絡まれたとき、
「お金よりもっといいものがあるよ。」
と言って取り出したのが中国のエロ本。
エロは世界共通です。
「これあげるから見逃してくれない?」
見逃さない理由はありません。
15歳前後の兄ちゃんたちは超興奮☆
イランでエロ本を入手する方法は難しいと思います。
人の為にエロ本をあげることができて本当に良かった!
と自分を誉めてやりました。
《2004年8月 トルコ》
イスタンブールは人生で一度は訪れたい街。
観光地だからこそいい部分がたくさんあって。
ぼったくりが多いから嫌い。
こういう考えのバックパッカーもたくさんいますが、ブルーモスクは最高に美しい。
更に僕はお遍路で太平洋を見、関釜フェリーで日本海を見、イスタンブールで地中海を見ることができました。
イスタンブールは感動の街なので思い入れが強いです。
太平洋から地中海まで自転車でふらりと行くことも可能なんですね。
ちなみにここまでの予算は20万円未満。
約5ヶ月。
トルコに入国して嬉しかったのは、ビールがどこでも買えること。
これに尽きる!
酒は世界共通!ではありませんが、僕は酒が大好きです。
トルコのワインも美味かったし。
料理はとにかく素晴らしい。
雑なのに上品。
これが僕のトルコ料理のイメージです。
トルコでエロ本を買いました。
これが実にすごい。
もろ見えでこっちが恥ずかしくなるレベル。
身体もすごい。
厳格な国もいいですが、僕はもう少し娯楽がある地域の方が人生を楽しめるタイプのような気がします。
カッパドキアのゲストハウスのテレビはアテネオリンピックを生中継していました。
マジ?行くしかないやん!急遽オリンピック開催期間中にアテネまで行っちゃう?
と思いましたが、どう考えても間に合いません。
人生タイミングが重要です。
と自分を慰めトルコをあとにしました。
*トルコおもしろ話
イスタンブールまであと300㎞くらいのとこだったと思います。
標高1000mくらいから海抜数10mくらいまで一気に下る坂道がありました。
僕の自転車は重い荷物を積んでいるので最大時速40㎞くらいが限界です。
しかしこの坂道は時速90㎞を越えていました。
事故ったら即死です。
だけどブレーキも利きません。
というか利かせれません。
ブレーキを握ると身体が飛び出すことが用意に想像できてしまったので。
自殺するようなものです。
荷物と体重を足して約100㎏の自転車は、重力に従って勝手にどんどん加速してきます。
車をガンガン抜いて暴走する自転車はドライバーからどう写ったのでしょうか?
信号があったら死んでいたかもしれません。
2度とこのエリアでは自転車に乗らない!
と心に誓いました。
あとバイクで世界一周している兄ちゃんとイスタンブールで偶然会いました。
しかも同級生で同じ兵庫県出身者!
今はどこで何をやっているのかなぁ?
《2004年8月9月 ギリシャ イタリア フランス》
ヨーロッパまで自転車で来ました。
この辺まで来ると旅感はずいぶん薄れます。
新疆、パキスタン、イランといった国と比べれば刺激的な出来事は少なくなるので。
仕方がありません。
ですがとにかく地中海が奇麗で。
本当に奇麗で。
気候も良くて。
これだけで行く価値はあります。
6ヶ月自転車を漕ぎ続けたら着きます。
皆さんも是非☆
料理が美味い!
酒が美味い!
珈琲が美味い!
煙草が美味い!
僕はこの旅に出る前はフレンチの料理人だったので、ヨーロッパが嫌いな訳がありません。
むしろ大好きです。
音楽もファッションもサッカーもタトゥもマフィアも含め。
アテネオリンピックは間に合いませんでしたが、パラリンピックには間に合いました。
ギリギリでしたが世界のお祭りを開催している街を散策できたのは良かったです。
パルテノン神殿、歴史の教科書通り!
タコ料理、本当に食べてるんだね!
パトラへ向かい国際フェリーでイタリア バーリへ。
久しぶりの国際フェリー。
でっかい乗り物はそれだけで興奮します。
イタリアでは相棒の自転車のタイヤが突如裂け、人生初のタイヤ交換に挑むことに。
ほぼ毎日8〜10時間またがっているので、構造は頭ではなく身体が理解しています。
速攻修理完了。
ナポリはイメージ通りの街で安心しました。
ピッツァは食べてないけど、ナポリピッツァは僕の大好物です。
特にマルゲリータ!
イタリアンってシンプルなのに素材の味を引き出すことに関しては世界トップクラスだと思います。
日本料理に近い部分も感じたり、フライパンでさくっと仕上げる料理は中国料理に近い部分も感じたり。
旅のあと僕は地元のイタリアンで働くのですが、結果的にフレンチよりイタリアンの方が好きになりハマってしまいました。
性分というのはこういう部分にも出てきます。
料理人を目指す方は何料理が作りたいか?
より、
何料理が自分の性格に合っているか?
を意識した方がいいのかもしれません。
寄り道が結果的に近道だった。
なんてこともありますけどね。
フランスの田舎町は何故か大渋滞が発生していました。
なんでこんなとこで渋滞?
僕は自転車なのでスルスルーと前まで行くことができます。
交差点の真ん中に2台の車が停まっていたので、
事故でもしちゃったのかな?
渋滞の原因はこれだな!
と察しましたが、どうやら様子がおかしい。
ふたりの老人がじっくり見つめ合って穏やかに話をしています。
人目を気にせずハグ!
なんなんだ?この状況は!
ですが周りのドライバーは誰もクラクションを鳴らしません。
勝手な想像ですが、おそらく何年かぶりの昔の恋人か片思い同志の偶然の再会だったのでしょう。
日本では考えられないですよね?
交差点で他の車を待たせてまでハグしている老人の男女がいるなんて。
僕はヨーロッパのこういう空気感が大好きです。
非常に美しい。
逆の立場で考えたら、
「ここは待っといてやるか。こんな時間が訪れることがあるなら、誰だってこうやってハグしたいじゃない?」
周りのみんなもそういう気分だったと思います。
ナポリに着いたとき、ナポリ風で有名な街だ!
ジェノバに着いたとき、ジェノベーゼで有名な街だ!
ニースに着いた時、ニース風で有名な街だ!
と思いました。
フレンチで働いている時、
ニース風ってなんやねん!本を読んでも先輩から聞いても現地で食べてへんから分かるかい!
と思っていましたが、そんな疑問は全て一気に吹っ飛びました。
料理にピッタリハマるイメージ通りの街です。
百聞は一見に如かず、百見は一行に如かず。
*ギリシャ イタリア フランスおもしろ話
地中海の話。
この3カ国はほとんど地中海沿いを走っていたので。
街の商店で生ハム、オリーブ、ピクルス、パン、チーズを買って、
今日の野宿はこのビーチがいいよなぁ?
なんて考えながら自転車を漕いでいました。
いい寝床を見つけたらテントを張って即乾杯です。
地中海沿いだからでしょうか?
人懐っこいカップルや夫婦が多かったです。
すごく声をかけられました。
「何をやってるの?」
「どこから来たの?」
「うちすぐそこだから泊まっていかない?」
「晩ご飯いっしょにどう?」
答えは勿論イエス!
キンキンに冷えたリモンチェッロをゴクリ。
シンプルなサラダをパクリ。
パスタもメインもワインも激ウマ。
幸せ絶頂です。
そして夜。
夫婦やカップルから招待された家で何もないのは当たり前ですが、女性ひとりで僕を泊めて下さった方がいて。
無駄に期待していました。
あんなことやこんなこと。
結果ガードが固い女性でした。
だからこそ今でも美しい思い出として鮮明に覚えています。
《2004年10月11月 スペイン ポルトガル》
旅の終わりが近づいてきました。
寂しい思い半分、まだまだやりたりない思い半分。
そんな心境だったと思います。
フランスからピレネー山脈を越えてスペインに入ります。
ヒマラヤ山脈を越えた僕にとっては屁の河童。
速攻攻略。
芸術家サルバドール ダリが産まれたことで有名なフィゲロス到着。
出発前から通過点の中で最重要地点にしていた目的地のひとつ。
ダリが大好きなので、ダリ美術館に足を運ぶのは当然。
もう少しいい服で行きたかったなぁ。
ですが服はすぐに汚れるので、そんなことは気にしません。
ダリは良いね!
心の栄養満タン。
バルセロナからマドリッドへ向かう道はちょいとめんどくさい道で山だらけ。
自転車泣かせです。
ショートカットしたいから高速道路乗っちゃえ!えーい!
って勢いで乗っかって。
快適快適。
と走っていたら、パトカーがサイレンを鳴らしながらやってきました。
自転車なんてスルーするでしょ?
と思いきやターゲットは僕。
罰金80ユーロ
痛すぎる出費
しかも進んだ距離をかなり戻された
ガビーン!
危ないのは承知の上ですが、中国ではあちこちで高速道路に乗っていて。
もちろん警察官に取り締まられたこともありますが、
「オレはポルトガルまで自転車で行くんだ!」
と言ったら、
「グッドラック!」
「クレイジー!」
とか言いながら応援してくれました。
「ちょっと待っとけ!」
パトカーから取り出した林檎やお菓子や水を大量に頂くことも多かったです。
フランスでも一部高速道路に乗りましたが、結果的に警察官と仲良くなって色々話をしたのも思い出しました。
だから驚いた。
「おい!スペイン!厳し過ぎねーか!もっと緩い国じゃないのか?」
夜野宿しているとき、やたら銃声が聞こえてくる高原がありました。
野うさぎを狩っているスペインのハンターたち。
そうか、もうジビエの時期なんだ。
そんなことを思っていたら、
「おいおい兄ちゃん、こんなところで寝られたら商売上がったりだよ!寝るなら他所でやんな!」
スペインは怒られることが多かったです。
早朝田舎のスペインバル。
テントを畳み出発し第一バル発見!
必ず入ります。
濃いめのエスプレッソを注文しグビッと飲んでからまったり煙草を吸って、よし!出発するか!
と気合いを入れるのがこの頃の日課。
農作業へ向かうばあちゃんがバルの前にトラクターを停め中へ入ってきました。
僕の横を陣取りお金をカウンターにドン!
その後スタッフがカンパリをショットグラスにストレートで注ぎ婆ちゃんに渡した直後、
グビッ!
っと一口で飲み切って。
いい飲みっぷりだなぁ。
と思って見ていたら、そのまま何も言わず店から出てトラクターに乗り込んで農作業へ向かいました。
このやり取り会話一切なし
時間1分前後
超クール!
なんなのこの日課!そして文化!
その後、早朝バルへ行ったときは同じことを真似しました。
朝からカンパリ、無茶苦茶良いです。
仕事前に入れると気合い100倍になるかもしれません。
ユンケルより効きそうです。
日本で流行らないかなぁ?
朝カンパリストレート一気飲み。
そんなこんなで最後の国ポルトガルへ。
湿度が一気に上がります。
乾いた大地ではなく草原が広がっています。
家畜もチラホラ見かけます。
ありえんほどでかい水道橋が奇麗です。
残りのお金も僅かです。
ほとんど観光せずリスボンへ向かい旅の最終目的地、ロカ岬へ。
大西洋ってこんな感じなんだ。思ったより普通だね。
この感想には色んな意味が含まれています。
まだ帰りたくない。
これ以上の感動がある筈だ。
イスタンブールの方が感動した。
航空券を買いにリスボンへ向かいました。
偶然ですが速攻チケットが買えちゃって。
空きが出たとかなんとか言ってた気が。
その6時間後、僕は日本へ出発しました。
相棒の自転車と一緒にね。
*スペイン ポルトガルおもしろ話
スペインの高原で歯が痛くなっちゃって。
どうしようもないくらい。
当たり前なんですけどね。
砂漠地方は歯磨きで貴重な水を使う訳にはいかないので。
歯を磨けない日はタクラマカン砂漠とイラン高原でトータル30日はあったと思う。
なにもない場所だったので次の街に着いた瞬間薬局を探しました。
「歯が超痛いから痛み止め頂戴!」
日本語で言いました。
ことばは伝わります。
ジェスチャーはすごい!
勿論ことばができる方がもっとすごいと思いますが、世の中理屈だけではありません。
人間は所詮動物です。
動物っぽくない生活をしているだけなんです。
腹減った!痛い!酒飲みたい!煙草欲しい!
この程度の意思疎通にことばは必要ありません。
この旅の会話は9割日本語とジェスチャーです。
相手の台詞は会話の前後で勝手に想像することができるので通じ合います。
歯の痛みは数日続きましたがある日を境にピタ!っと消えました。
薬が効いたのかな?
と思いましたが違いました。
帰国後、歯医者さんへ行って分かったことは、神経が死んじゃったから痛みが消えたようです。
更に、
「なんでもっと早く来ないんだ!まだ若いのにもったいない!」
無茶苦茶怒られました。
そのころスペインにいたからなぁ!
スペインの出来事は、スペインだけじゃなく帰国後も怒られてしまったので参っちゃいますね。
大好きなのに、スペイン。
《帰国後》
関空へ料理人の先輩2人と後輩1人が迎えに来てくれました。
「仕事どうしたんですか?」
と聞いたら、
「んなもんどーでもえーんじゃー!」
って言ってました。
聞いた僕が馬鹿でした。
段ボールでおかえり!の文字を掲げてお出迎え。
キリンビールも一緒にね。
涙は出なかったけど興奮しました。
こんな旅をしてきたけど、僕が生きる国は日本なんだ!
その後自転車を先輩の車に積み、地元加古川の究極のイタリアンへ連れて行かれ、帰国した日に次の仕事が決まりました。
親にも会えず彼女にも会えず、仕事の方が先に決まってしまったんです。
親はレストランで食事とプチ面接の後、彼女(現妻)は3ヶ月後に再会することができました。
このレストランのシェフは僕の最も尊敬する料理人です。
ジャンルは違うけど、少しでも近づけるように食材に素直に、料理に嘘をつかず向き合って今後の人生も歩んでいかなきゃいけないなぁ。
と思いました。
おしまい
《旅データ》
約16000㎞
200日ちょい
野宿9割以上
高低差4773m
パンク160回以上
チューブ20本以上
タイヤ2本
チェーン2本
ブレーキワイヤー3本
タイヤを止めるブレーキのゴム3回
チリンチリン パキスタンで盗難
ヒッチハイク数回
海外女性との肉体関係プライスレス
予算約75万円
《書き忘れたネタ》
いっぱい
別の投稿でもっと短い文でそのうち追加
《誤字脱字》
気が向いたときに編集
こんな長い文を書いたのは人生で初めて
無駄に疲れた
《旅アルバム》
facebookアルバムで一部データ保管
インスタントカメラで撮っていたものしかありません
ほとんどの写真は奇麗に写っていません
仕方がありません
砂漠の砂や雨はフィルムを纏めている袋の中にも侵入しまくりだったので