30年

現在の短歌が現代と再定義されるのは、
30年が一単位な気がする。
そこから60年までが通説になる。
だから高良真実さんの説は合っているのかもしれない。
(キリスト教徒としてキリストの用語の扱いは機微に触れるが、改めて「比喩」なのは分かっているが、信仰というものはそれを許さないのだ)
穂村弘の出現がざっくり30年とすれば、これからその短歌と影響された歌人の作品が通説になる。
高良真実さんもその影響下にあると思えば、ここから何年かは穂村弘リスペクトの時代なのかもしれない。

私個人は、塚本邦雄死後からざっくり30年として、紀元が合うのかもしれない。

つまり、今は、現代短歌の価値基準の闘争が起きている。
何を投じても、それは波紋になる。
穂村弘的なのか、あるいはそれ以外なのか。
生活のほのかな香りに触れるのか、大きな物語が大河のように押し進めるのか、あるいは全く違うのか?

この30年以後の歌壇の証人として、激流を遡り、龍になりたいと思う。
現代が定まらない、今。
現代歌人として主張できるものは主張したい。

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