元祖コミックバンド (Weintraubs Syncopators) 唄えば天国ジャズソング外伝
戦前のジャーマン・スウィング
ハット・ボンボンズに影響を与えたとされるドイツのバンド、コミカル演奏で有名なワイントラウブス・シンコペーターズ[Weintraubs Syncopators]について。
(読みカナは"ワイントラウブス・シンコペーターズ"また"ワイントラブス・シンコペーターズ"が公的にも混在のようだ)
断っておくと、元祖(仮)としたのは、近現代以降で、サイトギャグを織り交ぜた演奏をステージ芸(エンターテインメント)にまで昇華させたた点に於いて初ではないかと。例えばパロディ演奏に鍋&フライパンなど生活雑貨も活用、音声模写にコスプレ、またステージ上で駆け回り&寝そべって演奏などの様子が伝わっている=アクロバットとジョークのバンドとも云われた。
まずはディートリヒ[Marlene Dietrich]の「きままなローラ(Naughty Lola=当時の感覚では"フラッパー"か?)」、独録音の国内SP盤("22593")でサントラ=録音は1929年(リリースは1931年)。
これがドイツでは初のジャズをフィーチャーした1930年の映画「嘆きの天使(Der blaue Engel)」劇中歌で、この伴奏がワイントラウブス・シンコペーターズ。劇中の演奏シーンではそのメンバーが見切れる。それと、これは英語版(独語版同時制作)、国内公開(1931年)もこの英語版、英語=国外シェア獲得=それで英語話者でもあるディートリヒが抜擢された。
(センターラベルの"Comed'enne with Orch."のコメディエンヌはディートリヒ、オケは、フリードリヒ・ホレンダー[Friedrich Hollaender]のシンコペーターズ[His Jazz Syncopators]、またフリードリヒのオケ[Friedrich Hollaender Orch.]などの表記も見受けられるが、ワイントローブのバンド。スコアはフランツ・ワックスマン[Franz Waxman])
ワイントラウブス..."?"でも、古い映画マニアであれば「嘆きの天使」は見ているはず=そうとは気づかず、実はすでにこのバンドの演奏を聴いている&見ている方も多いのでは?
(クレジット[Weintraub Syncopators]されているのだが、この件、独ジャズのコアなマニアにしか知られていないと思う。ディートリヒ盤のライナーノーツでは、かの野口久光でさえもふれていなかった。ただ、独盤は"...und sein Jazz Sym."であり、それに野口久光は倣ったのだろう)
戦前の欧州では有名なダンスバンドの一つだったようで、ワルツにタンゴ、そしてジャズでのオーソドックスな演奏は無論(シンフォニック的なのだろうか?)、先述のように一種のコミックバンドとしても名高い。クラシックなどのパロディを得意としコミカルなステージパフォーマンスも繰り広げたようだが、肝心な、その映像は現存するのだろうか? 留意は、およそ100年前の話だ。
様々なジャンルにトライしていたようだが(例えば「東京音頭」ジャズ版)、その枠内での遊び=例えばシャンソンでは、シャンソンの様式としてのパロディで、ごちゃ混ぜ芸ではないと思う。また前回の"ハットボンボンズ"の例えのように、いわばインスト芸(演奏によるコミック)であり(だと思う)、ボーイズのようなボードビルでのバーバルギャグとも異なるようだ。なんにせよ評伝で知る限り、実態は不明=音源は相応に残されている、のだけれど、やはり見ないことにはなんとも...Hmm
ところで、このバンドは来日も、では、その来日時の音源、SP盤(日本コロムビアの戦後M盤"M78"で録音は戦前=再発盤と思われる)で「小さな喫茶店(In einer kleinen Konditorei)」。
いわゆるコンチネンタル・タンゴの名曲、オーソドックスな演奏でありコミック云々は...やはり不明。当時のライナーノーツでは、引用抜粋する「昭和11年の暮、我国へ来朝し、各都市に珍無類の喜劇ジャズを演奏して非常な喝采を博しましたドイツのジャズバンド...」云々。
来日時の構成、マニー・フィッシャー[Manny Fischer](トランペット&ヴァイオリン)、ジョン・カイザー[John Kaiser](トロンボーン)、シリル・シュルバター[Cyril Schulvater](バンジョー&ギター)、レオ・ワイス[Leo Weiss](ピアノ)、ホルスト・グラフ[Horst Graff](クラリネット&アルト・サックス)、フレディ・ワイス[Freddy Wise](ベース&テナーサックス&クラリネット)、そしてステファン・ワイントローブ[Stefan Weintraub](ドラム)。
構成は、初期は5人、後に7人などなど変遷も(例えば「嘆きの天使」では音楽監督のフリードリヒ・ホレンダーもメンバーとして参加)。それと全員がマルチプレーヤーで、7人で40以上の楽器を扱ったそうだ。
コミックバンド時系列
ワイントラウブス・シンコペーターズはUSジャズに触発されて1924年に結成(最初期のバンド名は"Tanzkapelle Stefan Weintraub")。メジャー・デビューは28年と思われる=ほぼ同時期にブレイクかと。
坊屋三郎曰く、お手本としたミルス・ブラザース[Mills Brothers]も20年代半ばから活動="Four Kings of Harmony"で、いわゆる"Barbershop Quartet"として売り出す(そもそもは聖歌隊出身のチビっ子グールプ)。ブレイクは31年の「タイガー・ラグ(Tiger Rag)」でジャズのスタンダード(オリジナルはかのオリジナル・ディキシーランド・ジャズバンド[Original Dixieland Jazz Band]で1917年)。
スパイク・ジョーンズ[Spike Jones]は30年代から活動、37-42年はジョン・スコット・トロッター[John Scott Trotter Orch.]で、"the City Slickers"としては40年頃から活動開始。ブレイクは42年の「拝啓ヒットラー殿(Der Fuehrer's Face)」=那智dis,Heil salute=ベラミー式敬礼のパロディ。
(ワイントラウブスの約10年後にボーイズが登場、その2年後にハット・ボンボンズ、その翌年にUSシティスリッカーズ、同年、谷口又士のコミックバンドという順序。ちなみに、さらにその14年後にフランキー堺と谷啓らの国産シティ・スリッカーズが登場)
1930年(昭和5年)、ドイツ初のジャズ・フィーチャリング映画「嘆きの天使」公開(劇中、ピアノを弾いているのがフリードリヒ・ホレンダー、おそらくドラムはワイントローブ)。
1932年(昭和7年)、日本初のジャズ・フィーチャリング映画「浪子」公開=劇中での古川ロッパによる「モン・パパ」が初(小林信彦史観)。
1935年(昭和10年)、ワイントラウブス・シンコペーターズのワールドツアーがスタート(これがポイントだと思うが、ツアーは1930年スタート説もある)。
・古川ロッパ1月の日記、東京、浅草花月でPCL「あきれた連中(エンタツ・アチャコ)」を見ている。
1936年(昭和11年)、ワイントラブス・シンコペーターズ来日、東京で「ホノルル・ベイビー(Honolulu Baby)」などレコーディング(知る限りでは11曲の日本録音が、歴史的音源にも「秋の銀座」など数曲がアーカイブされている)。この「ホノルル・ベイビー」はローレル&ハーディ[Laurel & Hardy]の盤とは別。
・古川ロッパ11月の日記、東京、日劇でワイントラブス・シンコペーターズ観劇。「これからはこれだ!...云々。感激!=オーソドックスな演奏とは思えない(前述、ライナーノーツ参照)。
・古川ロッパ12月の日記、東京、再び日劇でワイントラブス観劇。これが「東京音頭」のジャズ版らしい(ロッパには不評)。
・コニー・ボズウェル[Connee Boswell](=ボズウェル・シスターズ[Boswell Sisters])が「You Can Call It Swing(ユーキャン・コール・イット・スウィング)」リリース=あきれたぼういずテーマ曲の元ネタとされる。
1937年(昭和12年)、正月の花月(東京)で"あきれたぼういず"の原型=川田義雄(晴久)、坊屋三郎、そして芝利英の3人(当時の世相は益田喜頓の自伝が参考になる)。
・古川ロッパ1月の日記、3月撮影の映画にワイントラブス・シンコペーターズをフィーチャーの件(詳細不明)。
・2月、浅草「笑いの王国」にワイントラブス・シンコペーターズ客演(アチャラカ軽演劇の箱、シミキン時代?)。
同年夏、益田喜頓が加わり、第1期あきれたぼういずスタート。この"あきれたぼういず"なる命名はロシア映画「あきれた連中」から(旗一兵著「喜劇人回り舞台」を参照されたし。その映画を調べてみたのだけれど不明、新版「日本の喜劇人」では"ジャズ映画"との補足が。前述、PCL「あきれた連中」との関連は如何に?)。
同年まで、ワイントラウブス・シンコペーターズは日本に滞在、その後の活動が不明=各々が亡命など(例えばワイントローブはオーストラリアに、フリードリヒは米国に)。
同年、後にハットボンボンズのリーダー格となる豊島園彦が浅間丸のバンドメンバーの一人として渡航、海外のショーを視察(これも「喜劇人回り舞台」にある)。
1938年(昭和13年)。古川ロッパ12月の日記、あきれたぼういずにまつわる最初の記述。
1939年(昭和14年)。1月(末まで?)、ロッパ一座の公演に、あきれたぼういず客演(ロッパにしごかれた模様)。
3月、ボーイズ第1期メンバー分裂(松竹系に移籍、川田義雄は吉本にとどまる)。
同年6月の角座(大阪)が"ハットボンボンズ"の実質デビュー公演(松竹系)。
同6月、川田義雄とミルク・ブラザースの初公演(浅草花月)。
1940年(昭和15年)、初頭のUS、この頃からスパイク・ジョーンズのシティスリッカーズが活動開始したようだ。
・同年3月、スパイク・ジョーンズの影響を受けて谷口又士のコミカルバンド始動。このバンド1943年(昭和18年)まで続いたそうだ(瀬川昌久史観)。
・古川ロッパ5月の日記、ハットボンボンズにまつわる最初の記述(次は、見落としていなければ戦後の目黒雅叙園)。
戦後、正確な時期は不明だが、例えば駐留米軍基地で、また日劇の舞台で谷啓(クレージーキャッツ)はハットボンボンズのコミカル演奏を見ている。
1953年(昭和28年)、6月公開の映画「アチャコ青春手帳・めでたく結婚の巻」にハットボンボンズが出演&演奏(公にはこれが最後の記録?)。
エトセトラ&エトセトラ
資料に乏しい、否、研究書もあれど、和訳がない! 音源ソフトに例えてもヴァイナル&CD海外盤はともかく、UPのようなSP盤を除けば国内盤は皆無(だと思う)。このバンドの国内版はSP盤時代で絶えたのだろう。それでも音源が残されているだけありがたいのだけれど、重ねるが、ステージ芸(視覚的に)云々では...Hmm 後発のスパイク・ジョーンズが数多の演奏映像を残しているだけに(一目瞭然)、見れないのがもどかしい。
参考までにスパイク・ジョーンズ映画の紹介。わかりやすいのは「Thank Your Lucky Stars(1943年)」で「ヴォルガの舟歌」のパロディ。「Breakfast in Hollywood(1946年)」ではステージでの、あのヘンテコな楽器がよくわかる。 滅茶滅茶では「Fireman Save My Child(1954年)」で、これはステージが吹っ飛ぶ(ステージをも爆破する演奏を初めて見た)...などなど、興味があればぜひ(クレージーキャッツがいかに影響を受けているかがよくわかる)。
マレーネ・ディートリヒってご存じです?
ワイントラウブスにスポットを当てたので最後になってしまったがディートリヒについて少し。世界的エンターテイナーの一人だが、唄&演技云々ではなく=そんなこんなは超越=ディートリヒという現象ではあるまいかと。その存在を言葉で表すと、ファッショ(Faschismus)と戦い続ける"女の子"であります。
文献では、おすすめとしては「リリー・マルレーンを聴いたことがありますか(鈴木明)」で、まあとにかく読んでいただければ。鈴木明(ノンフィクション作家)による「リリー・マルレーン(Lili Marleen)」の幻(かのような)を執拗に追い求めた記録で、並大抵の音楽本ではない、一種の奇書?
(WWIIの欧州戦記を調べていくと、必ずこの「リリー・マルレーン」という曲にでくわす、兵士間でブレイクしたとされており=まるでWWI時の「遥かなティペラリー」伝承かのように。オリジナルは1939年のララ・アンデルセン[Lale Andersen]だが、ディートリヒの持ち唄としてより知られている)
あと「嘆きの天使」未見であれば、やはりおすすめ。ディートリヒ云々のみでなく独のキャバレー(Bühne)の様式が興味深い。この、制作-公開された1930年頃の独(ワイマール)は前衛期のピークを迎えていた。その熱気が伝わる、は、ややbluffでも、映画ではあるけれど(お話&作り物ではあれど)、だとしても独前衛期の時代感をいくばくか感じ取れるのではないだろうか。
追記。つい先日、御大の随筆をペラペラめくり、「えっ! となったのは、鈴木明と御大とは接点が=おそらく復興期の出版社時代? 詳細は不明。
(紹介のSP盤動画に関しては隣接権が消滅であろうと思われる、また権利が消滅もしくはJASRACまたはNexTone管理下に置かれている曲です)
第14回[ハット・ボンボンズ (コミックバンド) 色川武大のジャズ]
第16回[黒と褐色の幻想・徳山璉・杉狂児・美ち奴]