旅立ちのあと
静岡の伯父が、ほぼ1世紀に近い人生を終え、早いもので7年近い歳月が流れました。
子供がいなかったので、伯母を亡くした後は、一人暮らしをしていました。
責任感の強い伯父は、まだ少年の頃に父親を亡くし、
早い時期から、4人の妹たちの父親代わりとして、奉公に出て家族を支えました。
私の母は一番末の妹で、まだ3才だったそうで、伯父にはとても可愛がられていたようでした。
私の母は、そんな伯父を看取りたかったようでしたが、人生これからと言うときに、先に亡くなってしまいました。
私は母とは子供の頃に生き別れていたので、母が亡くなる間際に母の家に入ることになり、
疎遠になっていた伯父との関係も自然に復活していったのですが、
いま思い出すと、子供の頃に、伯父の家に養女に行く話が来たことがありました。
当時、私は父親と暮らしていたので、父親が姉弟と引き離すことを拒み、知らない間に記憶から忘れ去られてしまっていましたが、
ご近所の方にそんな話があったらしいとお聞きして、私のことだと思い出しました。
その頃、私は内心、勤勉な伯父夫婦に憧れていて、伯父の家の子になってもいいと思っていました。
きっと前世からの深い縁があったんでしょうね。。
伯父の訃報を聞いて、駆けつけると伯父の家の書棚から伯父夫婦の若い頃の写真が出てきました。
伯父が伯母のところに行けるようにと棺の中に入れてあげました。
葬儀には親族が私だけだったので、後見人の方と相談し、私が喪主となり家族葬で静かに送ることにしました。
お寺さんは、お彼岸のお忙しい中をやりくりしてくださり、後にご住職から、
伯父と50年近いお付き合いだったと言うことや
伯父の彫ったハンコをずっと使ってくださっていると言う話をお聞きしました。
伯父のハンコが多くの方の最期にお役に立っていたのだと思うと
人生をかけて、とてもいい仕事をしてきた伯父を改めて誇りに思いました。
初七日の読経の途中に伯母が迎えに来てくれたのが、見えたそうで、
その時に、ご住職が涙されている様子が、斜め後ろに座っていた私から見えました。
伯父の遺骨は一人暮らしだったこともあり、伯父の家に置いて帰るわけにもいかないので
私が持ち帰って、四十九日に山梨の菩提寺に納骨に行くことも考えたのですが、ご住職のご厚意でそれまでお寺で預かっていただけることになりました。
私は遺影を持ち帰ったので、納骨を終えた後に自宅の仏壇の母の写真の横に置きました。
うまくしたもので、それまで息つく暇もないくらい時間に追われる日々でしたが、
帰ってからの三日間は予定がしっかり空いていて、ゆっくり体を休めることが出来ました。
「遠くの親戚より、近くの他人」とはよく言ったもので、親族は私だけでしたが、
伯父はご近所の皆さんに見守られて静かに旅立ちました。
そして伯父を葬った後、私は母方の墓じまいをすることになっていきました。