【連載小説】あの時、僕は二人になった[4/10](7314字/総約8万字)
(七)
中之内家に着いたときには、倫也はダウン寸前だった。シャワーを浴びたらもう座っているのも辛く、ソファの上に倒れ込んんだ。ゆっくり横になって夕食まで昼寝をしたいと考えていた。
しかし、神輿の装飾品の素材を手に入れるために出かけることになった。装飾品の素材として手芸用品を使うというのが朱莉の案だ。それを売る店が飛高駅前にある。
「まあ神輿を飾るんだから、ちゃんと神具店も見に行かないとね。」
と勇雄が言った。
勇雄は一雄にそれとなく言われていた。いくら心がこもっていればいいと言っても、古い人間は見てくれも気にする。神輿の装飾品としてしっかりした神具も大事だ。昔からの百川の住民の気持ちも考えるべきだろう。伝統的な大きな祭りが開催される飛高には、その駅前に大きな神具店があり、そこにも寄ると言う。
伝統的な装飾品と現代風の物とを折衷して神輿を飾るのに、今年はいい機会だ。災い転じて福と成す、の精神だった。少しずつ変えていけばいい。伝統や因襲を変えていくには辛抱強く地道に実績を積み上げていくしかない、と勇雄は言った。
倫也は勇雄に、二人で行って、と言ったが、実音もいっしょに行くらしい。
(なんでそんなに元気なんだ!)
厳しい山道を精一杯の力で、同じように自転車を漕いで、汗だくになりながらいっしょに登ったはずなのに、その日の午後に出かける体力が残っていることが、倫也にとっては驚愕だった。
(あの女は疲れというものを感じないのか。体力お化けか。)
女に負けてられるかという古くさい男心と、気になる女子に弱いところを見せたくないという切ない男心が相まって、倫也は懸命に引きつった笑顔を見せ、僕も行く、と答えるしかなかった。
勇雄の運転で、朱莉の家まで迎えに行く。倫也は後部座席に乗ることにした。まあ、朱莉が乗るのであれば、助手席は朱莉に譲るのが、男同士の気配りというものだ。しかしそれは建前で、少しでもゆったりして体を休めたかったというのが本音だ。いや、もっと核心を言うなら、実音と隣同士で座れるかも知れないという下心が本当のところかも知れない。
朱莉の家に着くと、すでに朱莉が家の外で待っていた。
「ごめん、少し待って。」
実音の着替えがまだ終わってないと言う。しばらくして出てきた実音を見て、朱莉が
「なに~、その服、カワイイね。」
と感嘆の声を上げた。
涼しげで愛らしいブラウスと、白を基調に水色が散りばめられた模様のフレアスカートという出で立ちだった。車の中から窓越しに倫也は、午前中とはなんか違うなあ、と思いながら、実音をじっと眺めた。自転車を漕いでるときの、アスリート然としたスポーツウェア姿は颯爽としていたが、実音の今の服装は上品さを漂わせ、少し大人の女性の姿だった。
「いいでしょう、これ。」
と言いながら、実音はスカートをつまみ、体を左右に振ってみせる。何だかテレビのコマーシャルを見せられているかのような光景だった。女性のファッションに詳しくない倫也にも、とても似合っていることはわかる。午前中の服装とのギャップに、倫也は心を揺さぶられた。
「でも、安かったんだよ。」
「ユニムラで買った?」
と朱莉が聞くと、実音が答える。
「残念、シマクロ!」
ユニムラもシマクロも、どちらもファストファッションの大手だ。
「ユニムラにもいいのがあってさあ、だいぶ迷ったんだけどね。」
と実音は朱莉に説明するが、倫也にはその二つの店の差があまりわからない。
朱里が助手席に座り、実音が後部座席に乗り込んでくる。すると、いい香りが倫也の鼻腔をくすぐる。
(なんだかいい匂い。香水か? いや、セッケンかシャンプーの香りかな。)
我知らず、倫也の頬が上気した。そんな思いを悟られまいと、倫也は視線を前に向けたままでいた。しかし、倫也は実音の視線をひしひしと感じた。
「ねえ、トモくん、なんか言ってくれないの?」
実音にそう言われて、ちらっと実音を見る。どうも、実音は今の自分の装いについて何か言って欲しいらしい。
「え、あ、うん、いいんじゃない。」
倫也はわざとらしくつっけんどんに答える。そしてそんな答の照れくささをごまかすために、
「僕、ファッションってよくわかんないけど。」
と付け加えた。
「えぇ、そんだけ……。」
と実音は口を尖らした顔を見せる。
「トモくんさあ、そういうときは、嘘でもいいから褒めないと。女の子にもてないぞ!」
朱莉がどこかで訊いたような嘘くさい台詞を言った。
「いや、嘘じゃないさ……」
と言って、倫也は消え入りそうな声で反論した。勇雄が前を向いたまま、しかし、にやついた顔で
「女性二人で、俺のかわいいいとこをいじめないでくれよ。」
とさらに言葉を被せてくる。倫也は大きく息を整えてから
「いや、ほんと、似合ってると思います。」
台詞を棒読みするように言った。勇雄と朱莉は大笑い。実音は、不承不承の表情で「ま、いっか!」と諦めたように背もたれに体を預けた。
勇雄が車を走らせ始めた途端に、倫也は眠たくなった。鍾乳洞までの自転車での往復で体にかなりこたえている。『体力お化け』かと思っていた実音も、よく見るとかなり眠そうだ。今にも閉じてしまいような瞼を開けているのが大変そうだ。またまた古くさい男の虚栄心が、先に眠ったら負けだ、と倫也にささやいていた。
「着いたよ。」
という勇雄の声で倫也は気がついた。結局、いつのまにか眠っていたらしい。左側が重いと思ったら、実音が寄りかかっていた。
「おい、着いたってよ。」
と倫也が声をかけると、実音は寝言のような言葉にならない返事をして、もぞもぞと上体を起こした。倫也だけでなく実音も寝入っていたのは間違いない。疲れているのが当たり前だ、と倫也は何だかホッとした。
そこは、手芸用品の店だった。
「あれ、神具の店は?」
とちょっと寝ぼけ声で倫也が言うと、
「もうとっくに済んだ。」
と勇雄が苦笑いのような笑顔で言った。
「二人ともよく寝てたから、とりあえず寝かせとけ……みたいな。」
「でも、手芸用品は、実音がいないと話にならないからね。」
と朱莉。実音と相談しながら、現代風の飾り付けを考えたいようだ。
店に入ると、倫也は何だか、目がちかちかする。色とりどりの様々な素材が、雑多に所狭しと陳列されているからだ。
(手芸用品店って何がおもしろいんだ。)
実音と朱莉は、喜々として店内を見て回る。その後ろを倫也と勇雄が所在なげについて回る。かわいい、とか、きれい、とか、これやばいかも~、とか今どきの女子風の黄色い声を上げるが、後をついて回る勇雄と倫也は、その度にお互いに引きつった笑い顔を見合わせていた。
興味はなかったが、一応倫也はいろいろな素材を手に取っては眺めて見た。色とりどりの刺繍糸や生地、カラフルなビーズ、フェルトにスパンコール、ワイヤー、ガーランド、タッセル、ヘンプ……。素材の名前なのか、手芸によって作ることができる物の名前なのかも倫也にはわからない。ビーズだけでも、スワロフスキービーズだの、キャッツアイビーズだの、様々な名前の物が並べられている。
「ねえ、なんかよさげなものある?」
いつのまにかそばに来ていた実音が、倫也に訊いた。
「う~ん、よくわかんない。」
正直なところ、どんな装飾品がいいのかわからないし、いろんな素材を見ても何ができるかも、倫也にはよくわからない。
「そうかなあ……。私なんか、いっぱいいろんな物がありすぎて目移りしちゃってさあ。」
実音は、買い物を心から楽しんでいるようだ。
「あ、そうだ。なんか作って欲しい物な~い?」
「作って欲しい物?」
「例えばぁ……、バッグチャームとか!」
「バッグチャーム?」
「そそ、バッグに付ける携帯ストラップみたいなやつ。」
携帯電話にたくさんのストラップを付けることが流行ったこともあるようだが、今はスマホに代わってしまったため、あまり流行らない。その代わり、大きめのキーホルダーのような飾りをバッグに付けることが定番らしい。
「いや、別に……。」
「そんなことを言わずにさ……。あ、イヌ派? それともネコ派?」
「う~ん、どっちかと言うとイヌ派かな。」
「そっかあ、私はネコ派なんだけどなあ。仕方ないか……犬種は?」
「豆柴、みたいな……。」
「うん、いいね!」
倫也は実音の勢いに押されてしまい、どうでもいいような個人情報を、あまり人には話したことがないことを思わず口にしてしまった。バッグチャームの何たるかもよくわかっていない。しかし、神輿の装飾品を作るのと同時に、倫也になにか作ってくれるらしいことだけは伝わってきた。倫也は浮き足立つような思いだった。
「なにかアドバイスはありませんか?」
と朱莉が勇雄に訊いた。
「いやあ、俺のミッションは、神具店で終わったから……、後の物は女子に任せる。」
と勇雄は面倒を回避する返答をした。
「じゃあ、トモくんは?」
と今度は倫也に訊いた。
「う~ん、なんか、ピンと来ないなあって思ってる。」
「どういう意味?」
朱莉が怪訝な顔で訊いてきた。倫也は困ったように答える。
「いや、あの、確かに、女性が見て『かわいい』とか『きれい』とかって物は多いんだろうけど、間に合うかなあって。」
確かに、今から作り上げるのにそれほど長い時間は残されていない。
「それと、神輿の飾りとしてはちょっと弱いというか、女性っぽい物しかないっていうか……。」
倫也の意見を聞いて、三人とも考え込む。
「似たような物を他の店でも売ってるんじゃないの。もっと、いろいろあるような気がするけど……。」
「他の店って、名古屋で?」
「いや、この辺でも有るんじゃないの、百円ショップ。」
百円ショップならば、手芸用品店とは違った素材を手に入れられるのではないか、と言うのが倫也の意見だった。
「なるほど!」
と三人同時に声を上げた。
百円ショップを経由し四人が買い物を済ませて百川に戻った時には、太陽はすでに山の陰に隠れていた。
(八)
農協の仕事を終えた宗隆は集会所へ向かった。すでに地区の主だった住民、一雄を含めて二十人ほどの者が会議室に集まっていた。一昨日の神輿破壊事件と同時に俎上に上がった、百川の開発に関する悪い噂の真偽とその対策について話し合うためだった。宗隆は百川の青年団を代表して、話し合いに参加した。
「ヤマカワんとこは、自分の土地を売っぱらっちまったらしいじゃないか。値段も二束三文だったって聞いたぞ。」
「なんでも、太陽光パネル発電の会社に売ったっちゅう話だ。」
百川の農家の一人が農地を売った先は海外資本という話だった。
「でも、ヤマカワんとこは跡継ぎがいねえから仕方なかんべ。」
「自分だけよければいいのか。」
「俺んとこだって、もう農家を継いでくれる子供はいない。売っていいもんなら俺だって売るぞ。」
「海外資本と言えば聞こえはいいが、大陸の国だって話だぞ。」
大陸の国の企業が日本買いをしている、すなわちあちこちの土地を日本中で買い漁っているという噂をよく耳にする。
「百川のために買ってくれるなら、いい話じゃないか。」
「そんなことはないだろ。堂々と住民に名乗りもせずに、住民の意見も聞かずに、裏でこっそり買い叩くような会社が、百川のために何かしてくれるわけがねえ。」
「大陸の国の企業が、粗悪品の太陽光パネルを売りつけているという噂もある。」
集まった住民たちが、憤懣と不安とを綯い交ぜにしたような表情で、自分の主張を口にした。取りまとめ役の一雄は、無言でみんなの意見に耳を傾けていた。意見が出尽くすのを待っているようだ。
「いろんな所で耳にした話だから、真偽は俺にもわからないけど……」
と、宗隆が前置きしてから話を切り出した。
「今、世の中は脱炭素とか、持続可能な開発目標などが声高に叫ばれてますよね。」
「そんな小難しい話は、俺にはわからねえ。」
野次のような声を遮って宗隆は話を続ける。
「まあ、聞いて下さい。太陽光パネルを設置することで、そんな活動に貢献できるのではないか、だとしたら百川にとってもいい話じゃないかと思います。自分たちが使う分の電力をまかなうために、太陽光パネルを設置するというのも、地球環境保護という観点から見ていい考えかも知れない。ただ、百川にとって大事なのはその後のことなんです。」
太陽光パネルを設置することの危険性や維持管理の方法などについて、どこからも何も話が聞こえてこない。
「俺が聞いた話では、緑多い里山の景色を一変させるらしいです。真っ黒い山になってしまうんです。」
太陽光パネルを設置することによって、農地や山肌がそのパネルの色である黒に染まってしまうのだと宗隆は聞いている。
「日本は、地震や台風、大雨の自然災害の多いところです。太陽光パネルの維持管理を含めて取り組みをしなければならないんです。そんな自然災害でも、太陽光パネルって絶対壊れないんでしょうか。もし、壊れたらどうなるんでしょうか。」
宗隆の調べでは、風で飛んでしまったり、燃えたりするというネット情報があった。パネルの中の化学成分が流れ出して、水質汚染が心配されるという話もあった。
「いや、こんな情報の真偽は定かではありません。ネット情報を鵜呑みにするわけにはいきませんから、取り越し苦労かも知れません。でも、今言ったように、太陽光パネルばかりになると、百川の原風景が大きく損なわれてしまうことは確かです。そして、そんな風に農地が使われて、荒れ果ててしまった農地を元の田畑に戻すのは簡単ではないんです。」
過疎化する村の住民の苦境につけ込んで、粗悪品の太陽光パネルを売りつけて、逃げ得を考えるような業者がたくさんいるらしい。
「ヤマカワさんが売却した先の会社は大丈夫なんでしょうか。先々の維持管理を考えてくれている会社なんですか。」
住民たちは腕を組んで考え込む。
「それからもう一つ。もっと怪しい話があります。」
役所に勤める友人から宗隆が聞いた話だと、水源地近くの土地が売却されるという動きがあるらしい。
「百川は水がきれいな土地です、美味しい水、清らかな水というのは、世界的に見て宝物なんです。それを狙っている海外資本も多いんです。俺たちは百川に生きているんですよ。その百川から水が失われるかも知れないんです。」
高い山に囲まれた旧百川村、そこを流れる清流百川の源流付近の土地が不正に売却されようとしている。
「百川の水は、わしら農家の物だ。少ないとは言え田んぼがある。百川の水はわしらの命だ。」
「百川が寂れて人がいなくなれば、太陽光パネルを設置しようと、水質汚染になろうと構わないんでしょう。でも、俺たちの美しい故郷をそんな荒れ果てた場所にしてしまってもいいんですか。海外資本に二束三文で土地を譲って、水源地も買い占められて、水も盗られる。百川を流れてくる水さえも、水質汚染に晒されるなんてことがあるかも知れない。いや、そんなことあってはならないんです。そんな得体の知れない会社に大事な水源地を売り渡そうとしている輩がいるらしいんですよ。もしかすると、神輿を壊したのも、住民を不安にさせ、追い出すための嫌がらせなのかも知れない。そんな奴らが、手始めに祭りを妨害したかったのかも知れない。」
祭りは百川の人々をつなぐ大事な行事だ。百川の人のつながりを分断するために簡単にできる一手と考えることができる。
「だからよ~、宗隆はどうしたいんだ。どんな名案があるんだよ。」
「だから、百川を若い人たちが住みやすい町に変えて、美しい自然とともに暮らしていけるように努力すべきだと思ってます。そのための方策を、俺ら若い人間で考えますよ。祭りだって、鬱陶しいと思う若い人もいるらしいけど、でも、地域のみんなのつながりのため、心の拠り所として祭りが続けられるようにする方が、回り道ではあるけれど、いいと思うんですよ。」
「だからさ、どんな手立てがあるっていうんだ。」
農業を生業にする人が高齢化している。後継者がいない家の農地、耕作放棄地が増えつつある。だから、農地は余っている。これを活用する方法を考えないとならない。移住者が専業農家になるには、法律の規制もあって簡単ではない。
「若い人や若い夫婦が都会からでも気軽に移住できるように考えていくべきだと思います。専業でなくても農業ができるような環境を整えていくべきなんです。百川で他の仕事をしたっていい。自分が食べる分ぐらいは自分で作ることができる程度でいいんです。それがひいては、農地の有効活用だけでなく、百川が寂れていくのを止めるいい手立てになるんじゃないでしょうか。」
昨日、一雄の家で勇雄としたような、廃校の利用、ITインフラの充実、ワーケーション、コンビニの案について説明した。
「もう少し、みんなと話をして、地区の青年団の意見としてまとめて要望書を出します。廃校を解体して更地にするよりも、改修する方が絶対に金はかからないと思います。」
更地にする予定も未定だったが、更地にしたあとの活用方法もはっきりしていなかった。
「しかしなあ、そんな金、誰が出してくれるんだ。」
「それは、県の中央とのパイプがある根住先生に尽力してもらうのがいちばんじゃないですかね。」
会議室に集まった面々は、これからどうすべきかをはっきり決めかねているようだ。宗隆の意見は至極真っ当なものであることは理解できる。しかし、廃校を利用して、ワーケーションの施設を造ったとして、本当に利用者がいるのか。都会の喧騒を逃れて、百川に移住しようとする人がそんなにたくさんいるのか。根住が果たしてそんな意見に賛同してくれるのか。賛同したとしても、そんな費用を市や県が出してくれるのか。宗隆の意見は、理想論、机上の空論に過ぎないようにも感じられる。
「しかしよお、いったい誰が正体不明の業者と結託してるんだ。」
宗隆にもそれがわからない。
「それもなんとかして調べないとなりませんね。」
売ろうとしている人物も、買おうとしている企業も謎のままだ。もちろん単なる噂に過ぎない可能性もあった。