【連載小説】あの時、僕は二人になった[7/10](6676字/総約8万字)
(十三)
祭りは楽しい。祭りと言われて勇雄がイメージするのは、小さい頃から慣れ親しんだ百川の祭りだった。一雄が住む中萱集落だけではなく近隣の集落でも神輿が練り歩き、百川神社に奉納される夏の例大祭だ。それは勇雄にとっての原風景だった。全国に名前を轟かせるほどに大きな祭りではない。京都の祇園祭に比べれば、いや比べようもないほど小さな、おらが町のお祭りだ。しかしそれだけに、旧百川村に住む人にとって愛着が深い祭りとなっている。厳かな神事に心が洗われるだけではなく、住民が日常を忘れて心ゆくまで楽しむことができる催しもある。参道には多くの出店が並び、百川の子供たちにとっては夏休みの一大イベントだ。
倫也の不確かな情報によれば、この祭りを邪魔する者がいると言う。倫也が言うように、百川の祭りを妨害して何の得があるというのか。倫也の情報が本当だとすれば、勇雄にとっても気になる話だった。気になるどころか、許せない気持ちの方が大きい。ただでさえ、過疎化の波を受けて住む人が減っているというのに、変な噂でも立てば、人々が離れてしまうと思った。大陸の国の息のかかった怪しい企業の存在や、耕作放棄地が太陽光パネルで覆い尽くされてしまうことや、水源地が荒らされきれいな水が汚染されてしまうことなどは、勇雄にとってとても許されることではなかった。そんな故郷の危機を目の前にして、勇雄はなんとかできないものかと思い悩むようになった。そして、自分の故郷が寂れて荒れ果ててしまうのを防ぎたいのであれば、勇雄自身が行動を起こさなねばならないと考えることもあった。
天気予報では、明日の祭りの日は晴れて暑くなると報じていた。と言っても、今日も負けないくらい暑くなりそうだ。
午前中は、神輿の修理の最後の仕上げをして、それが終われば担ぐ練習をする。伝統的に神輿を担ぐときは、ねじり鉢巻きに、法被、褌、地下足袋だ。しかし、若い世代はさすがに褌姿を敬遠する。褌姿を気にしないのは、一雄と同じ世代かそれ以上の年齢の者だけだ。小さい頃は勇雄も褌姿に憧れたが、年頃になるとさすがに抵抗があった。だから、若い世代は褌に似せた白い短パンを穿く。足元は地下足袋を模したゴム底のお祭り足袋。法被は地区の一体感を担うユニフォームだから、必要不可欠なアイテムだ。中萱集落は青を基調にした法被であり、長い衿の下部には『百川氏子会』の文字が染められている。他の集落も集落ごとに異なる色を基調にした法被を着ることになっていた。
神輿を担ぐ人数は二十人程度だが、途中の怪我や体調不良、疲労を考えて、控えの人の数もいる。担ぎ手の頭は、四十代半ばの、担ぎ手ではベテランの域に届きつつある六橋銀次が務める。担ぎ手の頭自身は実際に担ぐことはなく、担ぎ手全体が息を合わせられるように音頭を取るのが役割となる。
女性の担ぎ手が認められなかったのは昔からの因襲だった。しかし担ぎ手が減ってきた今、若い女性も担ぎ手として期待されている。朱莉もそのうちの一人だ。朱莉は当然、法被に短パン、地下足袋姿。朱莉といっしょに来た実音も法被をまとっている。しかし、百川に縁のない、若い女性を怪我させる訳にはいかないため、担ぎ手にはなれなかった。もっとも、実音には全くその気はなく、その代わり中萱の女性陣といっしょに、神輿のサポート役をすることになっていた。
勇雄の心配の種は、倫也が担ぎ手に入ることだった。昔からの口約束ではあるが、神輿を担ぐことを非常に楽しみにして百川へ遊びに来ている。その上、神輿修理に奮闘してくれた手前、危ないからとか、息が合わないからとかの理由で無下に拒否することはできなかった。
「まあ、初めは誰でも初心者だ。」
という一雄の言葉もあり、また宗隆の尽力により中萱の百川氏子会の人たちも倫也を快く受け入れてくれた。
修理の仕上げが終わった神輿は、端から見て伝統的な神輿とは言い難い点もあったが、充分奉納に耐えられると勇雄は思った。伝統と現代が融合し、かつて見たこともない立派な神輿に仕立て上げられたと誇らしい気持ちの方が強かった。
まずは見本を見せるため、経験者が担いでみせる。縦棒二本の前後に三人ずつ計十二人、横棒二本の左右には二人ずつ計八人の総勢二十人。先頭は宗隆と勇雄。後ろ側には一雄もいるが、見本のために担いでみせるだけで本番では控えに回ることになっている。みんなの息を合わせるために、六橋が「ワッショイ!ワッショイ!」と声を上げた。それに合わせて、担ぎ手たちも掛け声を上げリズムを取りながら、集会所の広場をゆっくりと一周して休み台まで戻ってくる。一周回っただけで息が上がっている者もいた。その多くは年配者で、そのうちの一人がゼイゼイと息を整えながら言う。
「やっぱり、若いもんが担ぐ方がいいわな。」
担ぎ手の多くが若手に代わる。経験が浅い者、力のない者は横棒を担ぐ。朱莉や倫也は横棒、先頭はもちろん宗隆と勇雄だ。
「上げて~! それ、ワッショイ!ワッショイ!」
六橋の声に合わせてリズムを取る。歩を進める度に神輿が揺れ、それに合わせるように実音や朱莉が作った装飾品が揺れる。一周回って休み台へ神輿を戻す。
勇雄が振り返ると、倫也も朱莉も疲れたように地面に腰を落とし、大きく息をはいていた。
「大丈夫か。」
「平気よぉ、これぐらい!」と朱莉。
「すっげえ、楽しい! 思ったよりも重いから、怪我したとこがちょっと痛いけど。」
力を入れると怪我に響くようだが、倫也は本当に嬉しそうだ。
「朱莉さんもトモくんも、かっこいい!」
駆け寄ってきた実音が電池で動く扇風機を二人に向けながら、はしゃいで言った。
「じゃあ、俺は?」
「ユーユーは……神様、仏様って感じ?」
「仏様はねえだろ。」
「うん、そう、まさに神ね! 神々しくて後光が射してるみたい!」
「そんな大げさな……。まあ、褒め言葉と理解しておく。」
「もちろんですよぉ。」
実音も実に楽しそうだ。
「昼の食事を摂って、また、午後から練習します。」
宗隆が声を上げてみんなに昼休憩を告げた。参加者は仕出しの弁当を思い思いの場所で摂る。勇雄は朱莉とともに、他の担ぎ手たちが車座に座っている所へ向かう。勇雄は「トモ~!」と声を上げて倫也を誘おうとした。しかし、朱莉に横腹を突かれた。
「純愛を邪魔しちゃだめよ。」
見ると、倫也は実音と二人で集会所の建屋の脇のベンチに向かっていた。
「羨ましいことで……」
勇雄は、目を細めて表情を緩ませた。
「じゃあ、私らも二人で食べよっか。」
と朱莉が誘うと、
「まあ、それもいいか。」
と勇雄が賛同した。
「あれえ、誘ってんだから、ありがたく思ってよねえ!」
と言って、朱莉は頬を膨らませる。
「誘って頂き、まことにありがとうございます。」
と勇雄はわざとらしくうやうやしいお辞儀をした。「なによ!」と言って朱莉がどーんと背中を叩いたので、勇雄は弁当を落としそうになった。
こうして幼なじみとふざけ合うことは楽しい。屈託のない子供の頃に帰ったようだ。朱莉とは何をしても、心地よい気安い仲だ、と勇雄は思う。お互いに気心が知れているから、変な下心も駆け引きもない。しかし、久しぶりに会って、時々ドキッとさせられる。ちょっと前までは田舎の女子中学生、女子高校生であったのに、妹みたいに思っていた女の子が、いつのまにか垢抜けたいい女になっていた。百川に住みいっしょに遊んでいた頃には、朱莉に対して勇雄が持ったことがなかった感情だった。
(おっと、トモに感化されたか。)
勇雄は心の中で苦笑した。
昼休憩が終わり、午後の本格的な練習に入る。担ぎ手たちが神輿の周りに集まる。宗隆が再度、怪我がないように、と注意を喚起した。
倫也がいないことに、勇雄はふと気づいた。集会所の建屋の方に目をやると、実音が一人、不安そうな面持ちでこちらを向いて立っていた。
(また、どっかに行ったのか?)
倫也が時々どこかへ姿をくらますことが気がかりだった。どんな事情があるのかという心配する思いと、神輿を担ぎたいと言ってたくせにという呆れる思いとが、勇雄の中で交錯していた。
(十四)
毎度、トモナリの病室の前。今日こそはトモナリの世界線の自分の家へ、そしてミオンの家の状況を確認したい。病室でトモナリの状態を確認してユキエに毎度の挨拶を済ませ、倫也は病院の玄関に向かう。
病院の玄関を出ると、男に声を掛けられた。
「君とは昨日もここで会ったような気がするなあ。」
昨日のあの男だ。男の視線は明らかに倫也に向いている。トモナリの世界線で、倫也にとって初めてのことだった。なぜ、昨日倫也と会ったことを覚えているのか。たとえ親密に長い間話をしたとしても倫也が元の世界線へ戻ってしまうと、倫也はトモナリの世界線の人々に忘れ去られてしまうはずだ。ユキエが、何度会っても倫也のことを覚えてはいないことがその事実を物語っている。それなのに、この男はなぜ昨日倫也と会ったことを覚えているのか。
「病院に似つかわしくない奇抜な格好だね。なにか慰問のイベントでもあったかな。」
そう言って、男は倫也に近づいてくる。倫也が法被に短パン、地下足袋姿であることを揶揄しているようだ。
また、今日も家まで辿り着けなさそうだ。ミオンの家の確認もできない。しかし今大事なことは、百川の祭りを滞りなく実行するために、この男の正体を確認することだ、と倫也は覚悟を決めた。
「ほう、君は百川の人間かい。」
法被の長い襟の正面から見えるところに、『百川氏子会』の文字が染められている。
「あなたは誰ですか。」
男は少し考えてから
「私が誰であるかは伏せておこう。」
と言って、見下すように笑みを浮かべる。倫也は録音だけでもしようとポケットの中を探った。しかし硬貨はポケットに入っていたがスマホはなかった。神輿を担ぐのに邪魔だと思い、実音に預けたのだった。神輿を壊したり、廃校を破壊するように指図した張本人が目の前にいるというのに、肝心なときに使えない奴だ、と自分を情けなく思った。
「なぜ、昨日僕と会ったことを覚えてるんですか。」
「昨日会ったことを覚えているのは不思議なことかな。……まあ、確かに、ハタケガワは君のことを覚えていなかったようだ。」
昨日この男は、倫也が元の世界線に戻ったあと、ハタケガワの所に戻った。ビルとビルのすき間の路地にいるハタケガワに「さっきの小僧は?」と聞いたが、ハタケガワは倫也のことを覚えていなかった。なぜ、路地に入り込んだかも記憶になかった。
「実は、私は人の顔を覚えるのが苦手な方でね、仕事柄、非常に困っている。だけど、私は君の顔を覚えている。なぜなんだろう。」
この男は何者だ。もう一つの世界線の存在がわかるのか。倫也は我知らず身構える。心の中で恐怖心と警戒心がじわりと湧き上がった。
「狐につままれたような顔をしてるな……。では一つ、私の奇妙な体験を聞かせようか。」
不敵な笑みを浮かべたまま、男は話を始めた。
「一か月ほど前の地震の時のことだ……」
男は、栄で起きた足場の崩落事故に巻き込まれた。間一髪で難を逃れたが、奇妙な光景を目にした。足場の鉄骨の下に自分とそっくりな人間が倒れていた。足場崩落に伴い割れ落ちたガラスの破片が目に入ったらしく、両目から血があふれ出していた。男は恐くなってその場を逃げ出した。
(あの時、この男も二人になったというのか!)
その当時娘がこの病院に入院していて、地震の翌日、男は娘の見舞いに来た。
「娘は世界的にも希な難病を患っていてね、アメリカに行って緊急に手術する必要があったのだよ。つまり非常にお金がかかるということだ。」
そのとき、娘の病室とは異なる病室に入ってしまった。
「地震の時の奇妙な光景が頭から離れなかったものでね、階を間違えてしまったんだよ。」
するとその病室のベッドには、両目を包帯でぐるぐる巻きにされた男が寝ていた。前の日の地震の時に男が見かけた、自分にそっくりな男だった。
その数日後、娘は手術を受けるために渡米した。
「手術は成功したようだ。今は、術後の経過を見ている状態だと連絡があった。」
この男の別れた妻が娘に付き添っていて、彼女から連絡があった。
「ただ、私は気になってね、そのあとも『彼』の病室に足を運んだんだ。」
どうやら男が『彼』の病室の階に行くと、入院している『彼』の世界線に跳び、病院を出ると自分の世界線に戻るという。
「失明していたから私の顔を見ることはできないが、意識はあった。だから『彼』といろいろ話をした。そして、その『彼』が私自身であることを、私は確信したよ。」
『彼』の方は、男が自分と同じ人間であることを理解できなかった。そして、『彼』の娘は手術を受けられないまま、数日前に亡くなったらしい。
「わかるかね。地震の時に人生が分岐した、いや、二人になったと言うべきか。しかし、私たちの運命は大きく違ったのだよ。」
かたや、娘の命を助けることができた目の前の男。かたや娘を失いさらには光も失って入院している『彼』。
「だから、あの地震の時の選択は、この私にとって間違ってはいなかったということだ。これは私に与えられた運命だと私は思う。」
あの地震の時にこの男も選択に迷っていた。それが、あの時二人になった要因だと男は考えている。
「それで、百川で何をする気なんですか。どんなことを企んでいるんですか。」
「企みとは失礼な言い方だな。百川の無駄な土地を有効活用して、社会の役に立てようと画策しているだけだ。」
「娘さんの手術のお金はどうしたんです。なぜ、もう一人のあなたは、お金を用意できなかったんですか。」
「それは……、君に話す必要はないな。」
娘の手術費用を調達するために、この男は誰かから多額の借金をしたに違いない。その見返りとして、百川を貶めるために手を貸しているのかも知れない。
「ところで、この世界線での君は、この病院に入院しているようだな。」
倫也も二人になっていることを男は知っている。
「と言うことは、この私を君は妨害できないようだから、この世界線での私の目論見を知る者はいないということになる。」
男は不敵に笑った。
「しかし、あまり人の周りを嗅ぎ回ると、あの病室にいる少年の命が危ないかも知れないな。」
男は笑顔を見せているが、目は鋭く倫也を見据えその語気は鋭かった。倫也への脅迫だ。
「お前だけが世界線を股に掛けていると思わないことだな。」
倫也は、何も言い返せなかった。
「そう言えば最初に君は『なぜ僕の顔を覚えているのか』と聞いたな。それがなぜかは私にもわからない。パラレルワールドの創造主のみぞ知るだな。」
世界線を跳ぶルールが人によって違うのだろうか。世界線を跳ぶ者はお互いの顔を認識できるということか。
「君の世界線にいる『私』には、君のことを充分に警戒するように伝えておかねばならないな。」
と言って、ひとしきりほくそ笑んだあと
「もっとも、その『私』に連絡する術を、私は持っていないがな。」
と言って、大きな声を上げて笑った。
トモナリの世界線のこの男の企みを、倫也が阻止することは難しい。しかし、倫也自身の世界線なら阻止できるかも知れない。二つの世界線で異なる事象が起きるとはどういうことなのか、倫也には想像もつかない。この男の言葉を借りれば、創造主のみぞ知ると言うことなのだろう。
男は、病院から地下鉄の駅に向けて歩き出した。しかし、倫也はあとを追えなかった。その他大勢としか認識されないからこそ、何も気にせずにいろんなことを調査することができる。しかし、正体が知られた今あの男の周りを嗅ぎ回れば、倫也自身にもトモナリにも危険が及ぶ可能性がある。
気を取り直して倫也がトモナリの家に向かおうと、病院から一歩踏み出した時だった。
「今回は怪我してない! よかった。」
戻ってきた倫也を見て、実音が嬉しそうに言った。しかし、倫也は精神的にかなり衝撃を受けていた。
「じゃあ、家まで行けた? あっ、でも、それにしては早いご帰還だわ。」
跳んでいた時間は一時間もなかった。
「行けなかった……。あとでちゃんと話す。担ぐ練習に戻らないと。」
「そうだね。じゃあ、あとで。」
倫也は、みんなが担ぐ練習をしている広場の方に戻ると
「トモ~! お前、どこでさぼってたんだぁぁ。」
と勇雄が大きな声で言った。