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【連載小説】あの時、僕は二人になった[2/10](8937字/総約8万字)

【2022年ポプラ社小説新人賞の(問答無用の)落選作】
 登場する人物および名称は、すべて架空のものであり、実在するものと一切関係有りません。
 また、差別的と感じたり公序良俗に反すると思われる記述がありましたらお知らせ下さい。

(三)

 仕事を終えて、宗隆は中之内一雄の家に向かった。
「一雄さん、いる?」
 宗隆が玄関から声をかけると、一雄の妻、寿々子すずこが顔を出し、
「あら、いらっしゃい。」
と居間に通してくれた。ソファには一雄が座っており、夕方のニュースを見ていた。
「宗隆くん、ご飯まだでしょ。用意するから食べてって。」
 宗隆が遠慮するのも聞き入れず、寿々子は宗隆分の夕食も準備し始めた。隣の和室では、四人の若者が喧々囂々けんけんごうごうと調べ物をしている。
「どうだい、若者たちよ、神輿の修理のめどはついたかい?」
 宗隆がからかう口調で声をかけると
「『若者たち』って……宗隆さんだって、まだまだ若者じゃん!」
と勇雄がツッコんだ。
「俺は『若輩者』ぐらいかな。」
 宗隆がそう言ってニヤッと笑う。倫也と実音はきょとんとした表情を見せる。
「うまいこと言ったつもり?」
と朱莉は眉をひそめる。勇雄は、はいはい、と言いながら調査を続けていた。
 紙の資料やネット情報で、修理方法を勇雄は自分たちで調べることにした。和室には所狭しとネット画像のプリントやアルバムが広げられている。中之内家に残されている古い写真やアルバムを引っ張り出したようだ。朱莉がパソコンを使って検索をかけながら、
「へえ、『神輿の作り方』なんてサイトもあるんだ。」
と声を上げる。
 神輿は大きく分けて上から、屋根、堂、台輪からなる。台輪は神輿の屋根と堂を支え、担ぎ棒をはめ込む部分。ネットで見ると、屋根にしろ、堂にしろ、台輪にしろ、様々に装飾が施されている。頂上部には、鳳凰の大鳥もしくは宝珠が鎮座する。
「神輿ってのは、自分たちでも造っていいものなの?」
 実音が呆気にとられたように声を上げた。
「だからって、そんなに簡単に作れるものじゃねえし!」
と倫也がぼそっと非難の言葉を口にする。
「明日からみんなで作るんじゃないの?」
 実音は、少しむかつき気味に言い返した。
「作るんじゃなくて、修理!」
「でも、私たちは装飾品とかを作るんだからね!」
倫也と実音は侃々諤々かんかんがくがくと口論になる。
「まあまあ、二人とも……。ま、神輿といってもいろいろあるからな。」
と宗隆が二人を取りなすように言った。神社とは関係がないレクレーションで使うようなものもあるだろう。
「要は、神様に対する気持ちだから。」
 写真で確認すると、中萱の神輿の屋根の頂点には鳳凰が飾られている。しかし今の神輿は、屋根や堂などの多くの装飾品が破損したり無くなったりしている。
「多分明日には、いろいろな物が揃えられると思う。」
 宗隆がいろいろと掛け合ってくれて、あちこちから様々な道具を借りる手配をしてくれていた。木材加工のための電動工具やら、金物加工に使える道具やら、装飾品の素材となる金属や手芸用品。明日の午前中に集会所にいろいろな物が集まるはずだ。何人かの勇雄の同級生も、数少ないが、手伝うという返事を貰っている。しかし、やはり作業できる人手が集まるのは、あさっての土曜日そしてその翌日となりそうだ。烏合の衆の四人では簡単ではないし、効率も悪い。ということで、本格的な作業はあさっての土曜日から始めることになった。
 夕食が用意できたとの寿々子の声で、四人は調査を一旦中断し、宗隆ともども、ダイニングへ向かった。

 夕食が終わると、宗隆は一雄に自分が気になっている話を持ちかけた。
「一雄さん、昨日の話なんだけど……」
 一雄もいろいろと心配しているが、宗隆にはもっと違った心配があった。農協の職員として、宗隆は百川のあらゆるところに顔を出しているが、宗隆と同じ年代の住民はかなり少ない。一雄よりも歳を取った農家が多く、その上かなりの農家で跡継ぎがいないことが、宗隆にとって気がかりだった。もう農業ができない農家の耕作放棄地も徐々に増えてきている。
「怪しい業者を頼りにするよりは、他の方法を考えた方がいい。」
 一雄はぶっきらぼうに言った。開発業者の正体が判然としないだけに、一雄は諸手を挙げて賛成とは言い難いようだ。
「だけどさ……」
 百川には、核となる観光資源はないが、日本でも有数の急峻な山に囲まれた地域だ。雪解け水を源とする湧き水は美味しいし、スキー場も近い。ちょっと足を伸ばせば、世界遺産の観光地もある。
 しかし、それだけでは過疎化を止めるには不十分だ。こんな山奥の里では、観光地は近くても、それ以外の、都会にいればどこにでもあるような娯楽は少ない。派手なネオンもない。いや、そんなことが問題ではない。最も大きな問題は、魅力ある仕事がないことだ。あるのは農業や牧畜の第一次産業、第二次産業として伝統工芸、そして、観光業ぐらいなものだ。だから、百川の将来が先細りとなることは目に見えている。こんなんじゃ、若者は都会へ行くしかない。そして、都会の大学に出ていった勇雄や朱莉のような若者が戻ってくる可能性は低い。宗隆は自分自身の結婚相手さえ、百川で見つけることが難しいと感じている。企業を誘致するなりして、働き場所を提供しない限りは、定住してくれる人は現れない。そこに観光の核となる大きなリゾート施設を造ってくれるなら、そして若い住民が増えるならば、宗隆としては大歓迎だった。
「都会にはない住みやすさがあるとは思うんだけどなあ。」
と勇雄がため息交じりに言った。
「祭りを盛り上げるってのは、いいんじゃないかと思ってるんだ。」
と宗隆は言うが、
「観光しに来て見る分にはさ、祭りってすごくいいものなのよ。百川出身の者としても百川の祭りは大事にしたいと思う。でも、それに参加するってなると、面倒くさいとか、鬱陶しいとかって思う若い人は多いと思うのよね。特に都会の若者ほどね。」
と朱莉が反論する。
 百川の特色を理解して、継続的に住んでくれる人が必要だろう。若い人が住みたいって思わせるには何が必要なのだろうか。
「とりあえず、滞在型のリゾートマンションとか。」と勇雄。
「コンビニは欲しいよね!」と実音。
「ワーケーションとか、リモートワークとか。」と倫也。
「なるほど。確かに、ITインフラを整備すれば、百川にいても、都会にいるのと同じように仕事ができるな。」と勇雄。
「いいね! 参考にするよ。しかし、やはり、そのための建物がいるよな。先立つものは結局金か……。」
そう言って、宗隆は腕を組んで首を傾げた。
「隣の地区の廃校を利用すれば、費用は抑えられない?」と勇雄。
 旧百川村にある小学校は少子化のため、この春に統合され一つとなった。その建物の利用方法も百川の課題となっていた。単に解体するだけでも費用がかかる。しかし、廃校を改装して、滞在型の宿泊施設にするなら同程度の費用ですむ可能性もある。家賃を安くして、ITインフラを整備して、まずはリモートワークでもいいから、百川に住んでもらえるように設備を整える。自然環境には充分に恵まれている。まずは住み場所としての百川の魅力を知ってもらう努力をすることだ。
「最先端の仕事をしながら、きれいな空気と水がある場所で、自分で食べる野菜や果物を育てることだってできるわけか。」
 ネット上に蔓延るまことしやかな情報によれば、農業に携わりたいという若者や若夫婦は増えているらしい。しかし、耕作放棄地が増えているとは言え、農家でもない人々が農地を購入することは、法律の規制があって簡単なことではない。ただ、農地を貸し出して、農作物を作ってもらうことはできる。土に触れてもらうことはできる。自分が作った農作物が、都会で売り出されている物よりどれだけ美味しいかを実感することができる。
「いいね! そんな話なら、市や県で手立てしてくれるかも知れない。根住先生に相談してみてもいいな。」
「コンビニは?」と再び実音。
「コンビニはいるかあ……。それは農協と相談だ。農協のお店の出張所みたいにして。いろんな人に相談しないといかんなあ……。」 
 宗隆は腕を組んでため息をつく。
「そう言えばさ、怪しい業者ってのは正体がわかってんの?」
と勇雄が一雄に訊いた。
「いいや。名古屋の方の業者らしいことは聞いてるがな。」
「だったら、知ってる新聞記者に調べてもらおうか?」と朱莉。
「お前、新聞記者の知り合いなんているの?」
「大学の特別講師でね、現役の女性新聞記者がいたのよ。」
 女性の社会進出を促進する一環として大学で特別講義があり、その講師の一人が新聞記者だった。
「その人ととっても意気投合しちゃってさあ。いろいろと相談に乗るって言ってくれたのよ。」
「じゃあ、一応頼んでおいてくれるかな。まあ、本気で調べてくれるかどうかは疑問だけどな。」
と関心なさそうに宗隆が言った。それから、思い直したように気合いを込めて言う。
「まずは神輿の修理だ。」
 寿々子が、スイカを用意した。勇雄の家の和室に隣接した縁側で、五人はスイカにかぶりついた。
「よ~し、あさってから本格的に神輿を修理するぞ。」
 勇雄は自分を鼓舞するように、種を庭に吹き飛ばしながら高らかに言った。

(四)

 正直に言うと、何も見えなかったわけではない。下着までは見えなかったが、実音の色白な太股が倫也の目に焼き付いている。しかし、覗くつもりなどは全くなかった。もう一つの世界線パラレルワールドから戻ってきて、神輿の下から出ようとしたところに実音が立っていただけだ。どこに行ってた、と勇雄に訊かれても、倫也は答えようがなかった。別の世界線に跳んでた、と答えたところで信じてもらえるわけでもない。
 そんな最悪の出会いが、逆に、倫也にとって実音を気にかかる存在にしていた。しかし、少々口の減らない女だとも思った。初めての地で初めての人を相手にするにもかかわらず、明るい顔で物怖じせずに、自分の意見を堂々と主張することには恐れ入った。

「じゃあ、まあ、とりあえずどっかドライブに行くか。」
 神輿の修理を始めるはずが、翌日の開始となり時間が空いた。そして勇雄は、新しいSUVを運転したくてうずうずしている。
「僕は鍾乳洞へ行きたい。」と倫也。
「お前、前にも行っただろう。車で行くには近すぎるし。」
 百川から少し山の方へ登った所に、大きな鍾乳洞がある。
「いいですね、鍾乳洞。私も行きたいです。」と実音。
そんな反論や便乗の言葉に、倫也はちょっとカチンときて、
「いや、僕は自転車で行きたいんだ。」
と言った。勇雄は呆れた表情で倫也を見た。
「お前、あそこまでどんだけ上りか、わかってる?」
 自動車でなら大した道のりではないが、自転車となるとかなりの山道を登ることになる。
「だいたい、うちにマウンテンバイクとかないぞ。」
 勇雄は中学生の時に、いわゆるママチャリで、とは言え三段変速だったが、鍾乳洞まで行ったことがある。しかし、地獄のように疲れ果てたことを覚えている。二、三日は筋肉痛で歩くのも辛かった。
「だから、レンタサイクルを借りてさ……、あっ、みんなは自動車で行っていいよ。」
 百川支所が数少ないながら、観光用のレンタサイクルを貸し出している。
「じゃあ、私も自転車で行きます!」
 まさかの実音の発言に、他の三人がびっくりした。特に、倫也は少し気勢を削がれた気がした。前からチャンスがあれば、鍾乳洞まで自転車で行ってみたいと倫也は思っていた。倫也としてはパッと閃いたような思いつきの発言ではなく、前々から考えていたことだった。それなのに、今目の前にいる女子は、倫也にとってこの上ないほどの構想に、思いついたようにお気楽に便乗しようとしている。倫也は、自分の崇高な計画を汚されたみたいでいい気がしない。
「いや、無理だって……」
 勇雄はあきれ顔で言った。朱莉はニヤニヤしているばかりだ。勇雄が言う通り、男子高校生の倫也でもそんなお気楽に行けるような道のりではないことは、倫也は充分理解している。
「大丈夫ですよ。これでも鍛えてますから。」と実音。
 勇雄は腕を組み、思案する。倫也一人なら、何とかなるかも知れない。倫也は鍾乳洞までの道のりを知っているからだ。しかし、実音は上り坂の勾配を知らないし、距離感もわかっていないから無謀な挑戦と言ってよい。
「じゃあ、こうしよう。」
 勇雄と朱莉はSUVで鍾乳洞へ向かう。その途中途中で車を止め、倫也と実音の様子を確認する。無理そうなら、そこから車に乗り換える。
「そうだ!」
と朱莉が思い付いたように言った。
「タンデム自転車にしたら!」
「なるほど!」と勇雄。「えぇ!」と倫也。「タンデムって何?」と実音。
 タンデム自転車は二人乗り用の自転車で、二人分のサドルとペダルがあり、二人で力を合わせて漕ぐことができる。
 タンデム自転車にしたら、というアイディアを提案されて、倫也は複雑な気持ちだった。一人でひたむきに登ってこそ得られる爽快感や達成感があるはずだと思う。しかし、女子といっしょに一台の自転車に乗るというシチュエーションもまんざらでもない。帰りの下り坂なら、有名なデュオの歌にも歌われている光景となるような想像もできる。倫也は、わざと不満顔を見せながら、「まあ、いいか。」と呟くように言った。
「トモくん、騎士ナイトとして、うちのお嬢のエスコートをヨロシクね!」
と朱莉が大根役者のような調子で言って、倫也にウィンクした。

「えぇぇぇっ! 今どき電動アシストじゃないの!?」
 実音が驚いて発した言葉で、わがままな発言の真意を倫也は理解した。電動アシスト自転車なら、かなりのきつい上り坂でも苦労はない。それを前提としたお気楽な便乗宣言だったのだ。
「すみませんねえ。」
 謝罪の言葉とは裏腹にレンタサイクルの担当者は、ちょっと迷惑そうな表情で言った。有名な観光地でもない百川に、タンデムの電動アシストレンタサイクルなんかあるわけがない、レンタサイクル、それもタンデム自転車があるだけでも有り難いことだ、と倫也は思う。
「自力で登ってこそ、得られるものもあるんだ。」
と倫也が偉ぶって言うと、
「今どき、そんな根性論は流行らないわよ。」
と実音が切り返す。その割にはしっかりとしたスポーツウェアを身につけている。根性出して頑張ります、というようにもとられかねない服装だ。まあ、ラクロス部と言っていたから、それなりのスポーツウェアを持っているのだろう。
「自力で登るのが嫌なら、ユーユーたちといっしょに自動車で行けばいいじゃん。」
 実音は口を真一文字に結んで、悔しそうな表情を見せた。
「しょうがないか……」
と実音は諦めの表情を見せた。
 借りたのは五段切り替えがあるタンデム自転車。
「私、前に乗りたい。」
 実音の言葉に、倫也は前に乗ろうと上げていた片足を地面に戻した。
「お前さ、道、知らねえだろ。」
「『お前』じゃなくて、実音ね。」
 倫也は面倒くさそうに「はいはい。」と答えた。
「都会じゃないんだから、そんな迷うような道じゃないでしょ。それにアンタが知ってるなら、後ろから教えてくれればいいじゃん。」
「アンタじゃなくて、倫也ね。」
 不本意ではあったが、倫也には特に前に乗りたいというこだわりはそれほど大きくなかった。
 タンデム自転車に乗って、二人で漕ぐというのは、倫也にとって初めての体験だった。
「なんか、おもしろ~い。」
 実音も初めて乗るようだ。必死に漕いでいると、急にペダルが重くなった。まだ、そんなに急な上り坂にさしかかってないはずだ。
「風が気持ちいい!」
 見ると、実音がペダルから足を離して、前に突き出している。
「おい、ちゃんと漕げよ!」
「えっ、だって、漕がなくても進むしぃ!」
「俺がきついんだよ。」
「私の騎士、しっかり!」
「っざけんな!」
 倫也も漕ぐのをやめると、自転車は勢いを失くして止まった。
「一人でもきつい山道なんだぞ。お前……実音もちゃんと漕げよ!」
「はいはい。」と今度は実音。
 再び倫也が漕ぎ出すと、実音も力を入れてペダルを踏み込んだ。しかし、上り勾配は徐々に厳しくなってくる。
「アシストないのって、大変……。」
と言いながらも、さっきまでとはうって変わって実音はさぼらずこぎ続ける。倫也も懸命に黙々とペダルを踏み込む。段々と実音の口数が減ってきた。太陽はまだ南中していないが、直射日光は相当強い。痛いほどだ。こういうときは曇り空も大歓迎なんだが、と倫也は、眩しさに目を細めながら空を見上げた。
 実音の背中に汗がにじんでいた。汗がにじんだTシャツの女子の背中、そして女子特有の背中に浮き出た汗模様、そんなものは学校でもよく見る姿だ。しかし、それが自分の目と鼻の先にあるという状況は、倫也にとってこれまでにあまりない経験だった。なんだか甘酸っぱい気がする。汗の臭いというのは普通芳しいものではなく、『汗臭い』という言葉は不快な意味で使われる。しかし、今の倫也にはあまり不快に感じられない。その香りはどちらかと言えば、なまめかしく、つやっぽく、あでやかに感じられた。
 半分ほど来たと思われる所で、勇雄と朱莉が待っていた。
「頑張ったねえ、実音。」
と朱莉が実音に言葉をかける。
「まだ、漕ぐ力はあるか?」
と勇雄が倫也をねぎらう。
「ここに自転車を置いて、帰りに拾って帰るでもいいぞ。帰りは下りだから。」
「僕は大丈夫。」
と言って、倫也は実音をちらりと見た。実音はハンドルに肘を持たせて、ハアハア言っている。しばらく息を整えてから、
「私も大丈夫です。クラブの練習と思えば、なんてことはないです。」
と笑顔を見せ、ペットボトルの水を首筋にかけた。
「じゃあ、先に行ってる。」と言って、勇雄と朱莉は車に乗り込んだ。
「今度は俺が前に乗る。」と倫也が言うと、実音は素直に従った。
 倫也と実音は、再び自転車を漕ぎ出した。実音の苦しそうな息づかいが背中越しに聞こえてくる。ここまでの道のりよりも、この先の方が勾配がきびしいことはわかっている。しかし、それでもここまで黙々と文句を言わずにさぼることなくペダルを踏んでいた実音を、倫也は少し見直していた。倫也は一人でひたすら自転車を漕いで鍾乳洞までの道を登ることに意義があると思っていた。しかし、二人で苦難を共にすることに、違った心地よさを感じていた。何か話をするわけではないが、同じ目標に向かっていっしょに汗をかく、という行為は、言葉はなくても一体感を持たせてくれる気がした。チームスポーツに通じる感覚かも知れない。
(例えこの先、ペダルを漕ぐのを実音がさぼったとしても、もう文句を言うまい。)
「あともう少し!」
 倫也は、実音を鼓舞するように、声を上げた。
「頑張れ! ファイト!」
(例え、実音が漕ぐのをやめたとしても、実音の分も僕が力を出せばいいだけだ。)
 そんな倫也の思いは裏切られ、実音は休むことなくペダルを漕ぎ続ける。見かけによらず、アスリートのような持久力と体力、メンタルの強さを持っている、と倫也は思った。
 国道を折れると勾配はさらに増す。
「絶対大丈夫!」
 今度は実音ではなく、自分を鼓舞するために倫也は声を上げた。実音は、ただただ無言で漕ぎ続けている。
「このカーブを抜ければ、もう駐車場だ!」
 今上げられるありったけの声を上げた。右手には食堂の建物が、道の先には、鍾乳洞の駐車場の看板が見えた。
 勇雄と朱莉は駐車場で二人を待っていた。朱莉が自転車に駆け寄ると、
「よく頑張ったねえ、実音。」
と実音をねぎらう。実音はハンドルに突っ伏したまま、声も出さずに軽く手を挙げて応えた。実音は背中を上下させながら、ハアハアと大きな息を切らせていた。倫也もしばらくサドルから下りることができなかった。
 自転車を止めた後、倫也は鍾乳洞入り口近くの待合所のベンチに腰掛けた。大の字になって、そのまま横に倒れて寝ようとすると、疲れた足取りでやってきた実音が隣りに座った。ほんの二時間前だったら、倫也は『なんで隣に座る!』と文句を言ったはずだが、今は隣に実音が座ってくれたことが思いの外嬉しかった。
 勇雄が鍾乳洞への入場券を
「ほれ、トモたちの分。オレたちは先に行くけど、少し休んでから来な。」
と渡すと、朱莉と二人で鍾乳洞へ向かった。
 あと五分休んだら行こう、と実音に言おうとすると、実音の上体がゆったり倒れて倫也の肩にもたれかかってきた。軽い寝息も聞こえる。期待はしていなかったが、男子高校生が夢に見るような、絵に描いたような状況に倫也の心は浮き足だった。そんな心の動揺とは裏腹に、倫也はそのまま動くことができなくなった。僕だって誰かにもたれて眠りたい気分なんだけど、と倫也は思ったが、肩にかかる実音の重さをもちろん不快には感じない。むしろ、自転車の疲れが吹き飛んでいく気がした。
 倫也は調子に乗って、肩に乗る実音の頭の上に、さらに自分の頭をもたせ掛けようとする。その瞬間、実音の頭が勢いよく起き上がり、音がしたのではないかと思われるほどの衝撃を倫也は感じた。
「イッタ~イ!」
 声を上げて、実音は頭を押さえる。倫也は声も出せず、衝撃を受けた側頭部を押さえた。
「ごめん。」「ごめん。」と二人同時に謝り、二人で顔を見合わせて、声を上げて笑った。
「さあ、鍾乳洞へ行こうか。」と倫也が立ち上がる。「うん。」と応えて、実音が後に続いた。
 鍾乳洞は、全長八百メートルほどで、中の気温は真夏でも十度を少し超えるぐらい。三段階に分かれていて、足腰が強くない者や体力に自信がない者は第一や第二出口で出ることが勧められている。
 大汗をかいた体で入ると、かなり寒い。足元や頭上に注意しながら進んで行く。倫也は、用意しておいた長袖のパーカーに袖を通した。振り返ると、実音も長袖のシャツを着ようとしている。
 そして前を向いた瞬間だった。倫也は奇妙な感覚に囚われた。胃を下から持ち上げられるような、絶叫マシンに乗って急激に落ちていく時に感じる浮遊感だ。あの地震以来、時々感じるようになった感覚だった。それを感じた後に目の前に現れる場面はいつも同じだ。
 病院の廊下。倫也が跳んできたのは、もう一つの世界線の『トモナリ』が入院している病室の前だった。

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鳴島立雄
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