【連載小説】あの時、僕は二人になった[1/10](8349字/総字数約8万字)
(プロローグ)
一学期末試験が終わった日の午後のことだった。
試験がやっと終わって、僕はとても解放された気分だった。夏休みに向けて新しい靴が欲しくて、栄まででかけてきた。目指すは、アディクスかアシッダスだ。どちらも新しいクールなデザインのいいスニーカーが新発売されていた。でも、まだ家の近くのショップでは取り扱いがなかった。栄にある直営店には限定で入荷したという話を聞いたから、とりあえず実物を見ようと思った。で、実物を見て気に入ったらどちらかを買うつもりだった。
両方とも見た。どっちも気に入った。でも僕には、どっちも買えるほどの財力はない。雨上がりの午後、蒸し暑い歩道で立ち止まって考える。どちらの直営店からも同じぐらいの距離にある場所だ。右に行けばアディクスの店、左に行けばアシッダスの店。決め手はない。僕自身の決断だけだ。
アシッダスにしようと心が傾き、左に一歩足を進めたときだった。足元が揺れた。地震だ。大した震度ではなさそうだ。しかしその時、轟音と共に鉄パイプが僕を目がけて落ちてきた。改修中のビルの作業用の足場が崩れてきたのだ。僕はその下敷きになった。何本もの鉄パイプに挟まれ、身動きが取れなかった。骨も折れているかも知れない。口の中で錆びた鉄の味がする。薄れ行く視界の中に、懸命に僕を助け出そうとしている男が見えた。その顔はどう見ても僕の顔だった。身動きが取れない僕を懸命に救い出そうとしている少年、それは僕自身だった。
あの時、僕は二人になった。
(一)
中之内勇雄が飛高駅の改札を出たとき、もう既に一雄が車で迎えに来ていた。少し土埃を被っているが、まだ新しい小型のSUVだった。
「オヤジ、新しい車、買ったんだ。」
「あぁ、まあな。」
一雄は嬉しそうに言った。
「オヤジにしてはセンスいいじゃん。」
普段、一雄が仕事に使っているのは軽トラ。それとは別に、自家用車兼用として軽のワンボックスを使っていた。そのワンボックスに代えて小型のSUVを購入したばかりだった。
勇雄が助手席のドアを開け、乗り込もうとすると、
「倫也も来るはずだから、少し待ってくれ。」
と一雄が言った。倫也は一雄の弟の息子、つまり勇雄のいとこだ。勇雄が改札口に目をやると、手を挙げて倫也が小走りに近づいて来るのが見えた。倫也も、勇雄と同じ電車だったらしい。
「よお、トモ、久しぶり!」
勇雄が倫也と会うのは、去年の夏以来だった。
「ユーユー、久しぶり!」
倫也は、勇雄をユーユーと呼びながら、勇雄が構えた拳に自分の拳をちょこんと合わせた。勇雄が助手席に後席に倫也が乗り込むと、一雄は自分の住む旧百川村に向けて、SUVを発車させた。
「オジさん、この車、いいね。」
弾んだ声で倫也が言うと、ルームミラー越しに笑顔を見せながら一雄は嬉しそうに、
「勇雄がな、『いくら田舎だからとは言え、四ナンバーの軽は運転したくない!』とか言ってな。」
と言った。勇雄は
「そりゃ俺が運転するなら、軽よりも普通の車の方がいいさ。」
とわざとらしい口調で文句を言った。
去年の夏も百川の夏祭りのために勇雄は帰ってきた。その祭りを見るために倫也も百川に来た。勇雄が倫也と会うのはその時以来だった。百川は、駅からは少し遠い大きな山脈の裾野近くだ。そこに一雄は住み、農業を営んでいる。
その百川の風景が、倫也はとても好きだと言っている。小さい頃は家族と一緒に冬にも遊びに来て、五歳上の勇雄がスキーを教えたりした。勇雄が京都の大学に行ってから、倫也が冬に来ることは少なくなったが、その後も夏休みを利用して一人で来ていた。勇雄も夏には百川に戻ってくる。京都へ出てしまったとは言え、百川の祭りの神輿の担ぎ手、つまり若い男性が少なくなってきていて、勇雄はほぼ毎年、そのために百川に戻ってくると言っても過言ではない。
国道から折れて曲がりくねった山道を少し上った辺りが旧百川村だ。空気はからっとしていて夏でもそれほど暑くはないが、日向の直射日光は肌をジリジリと焼く。
中之内家に着き倫也が車から出て一つ伸びをすると、勇雄が茶化すように言う。
「おっ、ニューデザインだね。」
倫也が履いている新しいアディクスの靴のことだった。
「うん、まあね。アシッダスのやつとすごく迷ったんだけど・・・。」
倫也が少し気恥ずかしげに返すと、
「いやいや、なかなかイケてると思うよ。」
と言って、勇雄はいたずらっぽく笑った。
中之内家へ入ると、荷物の整理もそこそこに、倫也は一雄に訊いた。
「そうだ、オジさん、今年は、神輿を担がせてもらえるんだよね。」
「おお、そうだな。それどころか、担いでくれる若い人が減ってるから、逆に有り難いんだよ。」
倫也は、今年は神輿の担ぎ手になれることを楽しみにしていた。毎年夏休みに、倫也が百川まで遊びに来ることの第一の理由が夏祭りだった。
百川の祭りは、多くの観光客が押し寄せるような大きな祭りではないが、旧百川村の人たちが多く集い、無病息災、五穀豊穣を願う昔ながらの祭りだ。出店もあって子供たちはそれを楽しみにしている。大人たちは、各集落ごとに神輿を担いで練り歩き、神社に奉納した後の酒宴を楽しみにしている。悪く言えば、何の特徴も無い祭りだが、だからこそ百川に住む人々は自分たちの祭りを楽しみ、大事にしているのだった。
その担ぎ手となることが倫也の小さな頃からの夢だった。倫也の父はここ百川の出身であるので決してよそ者というわけではないが、住民ではないために去年まで倫也は担ぎ手になることができなかった。勇雄が威勢のいい法被姿で神輿を担いでいるのを、倫也は指を咥えてみていることしかできなかった。しかし、年々担ぎ手の若い男性が少なくなっていることもあって、今年は担ぎ手として参加できると言われていた。
そこへ慌ただしく中之内家へ飛び込んでくる人がいた。
「大変だ、一雄さん。」
その壮年男性は、声を上げて一雄を呼んだ。
「神輿が壊されてる!」
神輿は、中萱集落の集会所の物置に保管されていたが、祭りの準備のために神輿を表に出そうとして気づいたらしい。
勇雄と一雄は急いで集会所まで行った。心配そうに倫也も付いてきた。集会所の広場で、神輿は休み台に載せられている。その姿は見るも無惨な状態だった。
「なんて罰当たりな・・・。」
一雄はそう言うのが精一杯だった。
「これはひでえな。」
勇雄は怒りを通り越して呆れていた。神輿の屋根、胴、台輪は、バラバラになっていないが、地面に落とされたのか、あちこちが泥まみれになっている。さらに、神輿の頭頂部の金属製の大鳥は、頭頂部から外れている上に曲がっている。四角い屋根の角部の先にあるべき四体の小鳥は、その台座となる蕨手ごと取れている。さらに小鳥の二体は、異常に変形しており、修理しようとすると破断してしまう可能性が高い。頭頂部から蕨手を経由して、担ぎ棒までをたすき掛け様につないでいるはずの飾り紐は、無惨に切断されており、その上泥まみれだ。台輪の上、胴の周りに取り付けられているはずの木製の囲垣は四面ともすべて折られており、囲垣と並んで前面に位置するはずの鳥居も根元から折られて無くなっている。屋根紋、台輪紋、台輪隅金物などの金物類は外れては居ないが、所々が凹んでいる。前後に走る担ぎ棒は残されているが、横棒は持ち去られてしまったようだ。
壊されたというより、いたずらか。それとも装飾物をネットで売ろうとでもしているのか、というようにも見える。
「今年は神輿無しかな・・・。」
一雄が呟くように言うのを、倫也は聞き逃さなかった。
「そりゃないよ、オジさん! 僕、神輿を担ぐのを楽しみにしてんだから。」
「しかしなあ。」
「みんなで修理すれば、なんとかなるんじゃない。僕、手伝うからさ。」
神輿の飾り付けにどんなものが必要なのかを、勇雄は詳しく知らない。
「神輿の写真とかがあるからなんとかなるよ。」
と倫也は言う。
「そう簡単なものじゃないと思うけど、でも神輿がないのは寂しいな。」
勇雄もすごく残念に思った。一雄はしばらく考えたあと、
「集落のみんなと相談するから、少し待っててくれ。」
と言った。修理するにしても、専門の業者を呼ぶ必要がある。
その夜、中萱の住民たちが、集会所に集まることになっていた。一雄も集会所へ出かけていった。勇雄と倫也が後で聞いた話によると、もっと大変なことが起こっているらしい。
集会所には、中萱集落の住民の他に、百川を地盤とする県会議員根住仁一も来ていた。主な話題は、神輿のことではなく、悪い噂の真偽だった。
曰く、百川の土地を買い占めている正体不明の業者がいる。
曰く、巨大な箱物を作るために、不正な土地売買をしている者がいる。
曰く、住民から土地を奪うために、詐欺行為を働いている者がいる。
要するに、正体不明の海外の業者が、住民を騙して土地を買い漁り、百川に箱物を造ろうとしているという噂だった。
「そんなことをしようってのはどこの奴だ。」
「そんな業者に土地を売るような真似をしてるのはいったい誰だ。」
「市や県は認可したんか。」
住民が口々に疑問を根住にぶつけた。
「まあ、単なる噂に過ぎない。」
根住は言下に否定したが、噂に対する住民の不信感は拭えなかった。
百川ははっきり言って田舎だ。換言すれば、自然が豊かな土地だ。高い山の裾野であるから、冬は厳しく大雪も降る。その分夏は涼しい。この環境を壊すことなく、業者が将来を見据えて計画的に責任を持って開発するのであれば問題はないはずだ。百川の特色を生かした提案であれば賛同できる。百川が継続的に発展でき過疎化の進行を止めることもできるだろう。しかし、開発の主体となる業者の正体がはっきりしない。自らの責任をしっかり受け止めるような業者が、住民への説明も無しに、裏取引で土地を買い占めるような真似はしないはずだ。安易にどこにでもあるような豪華な箱だけを造っても、そこにしっかりした理念や計画がなければ、魂を入れなければ、ゴーストタウンを出現させるだけだ。住みよい所にして、ここなら終の棲家にできると思ってもらえるような町作りをしなければならない。そのために何ができるかを考えなくてはならない。
一雄はそんな理想を考えているが、百川の発展のために自ら動くには歳を取り過ぎている気がしていた。やはり若者が必要だ。理想や夢を持ち、それを実現するために動くことができるバイタリティが必要だ。しかし、それを誰かに押し付ける訳にはいかない、とも一雄は思っている。
(二)
翌朝、勇雄は倫也と共に集会所へ行った。そこには壊されたままの神輿が置かれていて、何人かの男たちが困ったような表情で神輿を見つめていた。
「さて、どうしたもんかな。」
誰かが、そこに来ている全員に聞こえるような声で言った。その言葉に勇雄が答える。
「うちの親父が業者さんには連絡してました。後でいっしょに来ると思います。」
形だけなら、多少の素人でも整えられるが、素人が作った装飾物を神聖な神輿に飾るわけにもいかない。
「じゃあ、まずは一雄さんに任せておくか。」
しばらくすると、一雄が業者を連れて現れた。業者は、神輿をひとしきり見てから言った。
「費用もだけど、元の姿に戻すのには時間がかかりそうですね。祭の日に間に合うかな。」
その言葉を聞いて、倫也はひどくがっかりしていた。今年は神輿を担がせてもらえると期待していたからだ。
「何とかならないですか。」
と勇雄が残念そうに言うと、
「いや、こんなご時世だからねえ。職人さんが手配できるかどうか……」
装飾物や部品の手配はなんとかなると言う。しかし、作業をする職人が減っているため、祭り前には来られないらしい。一同は困り顔で、しばらく無言のままだった。勇雄は倫也に突っつかれた。倫也の意を察したように、勇雄は
「俺らでなんとかする!」
と声を上げた。
「何とかするったって、神輿だぞ。神聖なものを素人が……」
「わかってる! 神輿が無くたって祭りはできるかも知れないけど、でも、今年の祭りを、神輿を担ぐことを楽しみにしてる奴もいるんだ。自分たちで直して、自分たちが大事にできるような物にして、心がこもっていればいいんじゃないの。せっかくの機会というのも変だけど、古臭い、カビが生えたような装飾だけでなく、祭りを祝う人たちの思いがこもった神輿であれば、現代風にアレンジした神輿でもいいんじゃないの。自分たちで作った神輿なら、愛着も持てるし。」
勇雄の意見に、大人たちは顔を見合わせた。
「なんて言うか……。私も若輩者ですけど……」
言いにくそうに口を開いたのは、佐東宗隆だった。
「若い者が喜んで参加してくれるようにする方が、祭りが盛り上がるんじゃないですか。あぁ、もちろん、伝統は守るべきです。でも変な因襲に縛られることはないんじゃないかな。」
宗隆は三十前で、中萱でも神輿のいちばんの担ぎ手として期待されている。
「まあ、最悪、神輿は無しでも祭りはできる。必要な物は揃えるから、後はお前たちに任せる。」
一雄が腕組みをしながら勇雄と宗隆に言うと、周りの者たちも渋々承諾したようだ。
「何とか明日までには、必要な物を揃えられると思います。」
と業者が言うと、多くの者は仕事に戻っていった。
「じゃあ、頑張れよ。」
残っていた宗隆が勇雄と倫也にそう言った。勇雄は不満げに言い返す。
「えぇ、どういうこと?」
「言い出しっぺはお前なんだから……、お前らって言うべきか。まあ、いろいろと側面支援はするさ。とりあえず、神輿がどんな状態なのかを確認しときな。」
壊される前の神輿の写真はスマホに送られてきているし、印刷した紙もある。神輿の構造を解説したサイトもわかっている。びっくりするほど有り難いことに、ネット上には神輿製作過程の動画も落ちている。これらを参考にしながら、神輿を修理するのだが、やはり素人には限界がある。
「素人が二人でできるわけないじゃん。」
と勇雄が言うと、宗隆は
「手伝ってくれそうな奴に連絡をするさ。……まあ、時間的に余裕がありそうな奴は少ないけどな。」
宗隆は、地元に残っている同級生や高校の同窓生に連絡をすると言ったとき、集会所の前に黒塗りのセダンが停まった。中から根住仁一が現れた。スーツ姿で、秘書を伴っている。神輿のそばまで来ると、
「これは悲惨なもんだな。」
と根住は呟いた。
「根住先生、どうしたんですか、こんな所に?」
宗隆が訝しげに根住に訊いた。
「いや、中萱の大事な神輿が壊されたと聞いてな。」
根住は神輿を軽く叩きながら、神輿の周りをゆっくりと回った。
「こんな状態では、今年の祭りは無理かねえ。」
「いや、僕たちが修理しますよ。」
宗隆を一瞥して、根住が眉をひそめるようにして言う。
「素人が簡単に修理できる代物ではないがね。」
「まあ、神輿がなくても、最低でも祭りはやれますよ……いや、やりますよ。」
宗隆が、不服そうな強い口調で言った。根住は、意外そうな表情を見せる。
「そうかね、やるかね。……そうだな、祭りは百川にとって大事なものだ。ぜひとも、頑張ってくれたまえ。できる限りの応援はするよ。」
そう言って、根住は車に戻っていった。根住を見送った三人は、お互いに顔を見合わせた。
「根住先生、何しに来たんだ?」
と宗隆が勇雄に向かって言った。
「まあ、いいや」
と呟くと、宗隆も集会所を後にした。
「じゃあ、とりあえず俺もわかる限り連絡してみる。あぁ、トモは神輿の状態を調べておくれるか。」
勇雄がそう言うと、倫也は自らに言い聞かせるように真顔で言った。
「僕も望んだことだから……。見よう見まねでもいいからやるしかないね。現代風でもいいんだよね。肝心なところは、オジさんがなんとかしてくれるかも知れないし。」
倫也は腕を組み、しばらく神輿を眺めている。
「神輿の下の状態を見といてくれ。」
という勇雄の言葉で、倫也は神輿の下に潜り込んだ。勇雄は神輿から少し離れ背を向け、自分の同級生や知り合いに電話をかけ始めた。
しばらくすると、勇雄の視界に二人の若い女性の姿が目に入った。
「よぉ、朱莉、帰ってきてたのか。」
一人は山森朱莉。勇雄の一つ年下の幼なじみだ。
「うん昨日の夜にね。」
もう一人の少女は、勇雄の知らない顔だった。
「そちらは?」
「部活の後輩。って言っても高校生だけど。」
少女は勇雄に向かって、
「下草実音です。」
と名乗って会釈した。勇雄も実音に軽く会釈をする。
「どうも、中之内勇雄です。」
朱莉は改めて神輿を見て声を上げた。
「わぁ、ひどいね……神輿。壊されちゃったんだ。」
「あぁ、見ての通り。」
「いったい誰の仕業なんだろ。」
「さあね。」
「どうするの。」
「時間が許す限り、直すさ。」
「お金かかるんじゃないの。」
勇雄は顛末を説明した。
「だから、祭りをやりたい奴、神輿を担ぎたい奴でなんとか間に合わせるしかない。」
「じゃあ、私も手伝うよ。」
「私も手伝います!」
そばで話を聞いていた実音も、真剣な表情で買って出た。
「それは有り難い。」
「で、作業してるのは勇雄くんだけ?」
「いや、トモもいる。おい、トモ、出てこいよ。」
勇雄が神輿の下を覗くが、そこに倫也の姿はない。
「あれ、トイレでも行ったかな?」
ちょっと待って、と言って勇雄は集会所の中を探しに行った。朱莉と実音は、悲惨な状態の神輿を所在なげに見ている。
「きゃっ!」
と実音が声を上げた。
「エッチ、スケベ、ヘンタイ、のぞき魔!」
「いってぇぇぇ!」
朱莉が急いで実音のそばに行くと、実音のスカートの中を覗くかのように神輿の下から顔を出し、頭を抑えている倫也がいた。どうやら、実音に頭を蹴られたようだ。
「あんた、変質者?」
と実音が仁王立ちで倫也を見下ろす。そこに勇雄が戻ってきて、
「トモ、どうした?」
と言って、勇雄が倫也を引き起こした。
「この女が頭を蹴りやがった。」
倫也は地べたに腰を下ろしたまま、蹴られた頭を擦りながら怒りをぶちまけた。
「だって、あんたが人のスカートを覗くからよ!」
「覗いちゃいない。俺は、神輿の状態を確認してただけだ。外に出ようとしたら、たまたまお前がそこに立ってただけだろ。」
倫也は実音を睨んで言った。
「まあまあ、ちょっと待て。」
憤懣やるかたない表情の倫也を宥めるように、勇雄が言った。ブツブツ文句を言う倫也を連れて、四人は集会所に入った。
「こいつが俺のいとこの中之内倫也だ。」
仏頂面のまま、倫也は自己紹介をした。
「倫也です。」
事情がわかって実音は申し訳なさそうな表情を見せている。取りなすように勇雄が言う。
「こいつ、名古屋市在住だから、二人とも近くなんじゃないの?」
朱莉は名古屋市にある金綾学苑大学の二年生。実音は金綾学苑高校の二年生。
「この子、『純金』なのよ。」
名古屋では有名な女子校である金綾学苑では、中学校から通っている生徒は『純金』と呼ばれ、高校から入学した生徒は『十八金』と呼ばれるらしい。
「ちなみに、私は『金メッキ』らしいわ。」
朱莉は勇雄と同じ百川の高校を卒業していた。
「でも、そう言うシャレも差別的だってことになって、最近じゃ死語になってるけどね。」
そう言うと、朱莉は自虐的に笑った。
朱莉と実音は同じラクロス部に所属している。金綾学苑のラクロス部では、高校と大学の垣根を越えていっしょに活動するようだ。実音は百川に縁もゆかりもないが、朱莉についてきたらしい。
「県立第一なの? じゃあ、頭いいんだ!」
倫也が通う高校名を聞いて、朱莉が感心するように言った。
「で、お前どこに行ってたんだ。」
勇雄が少し非難する口調で、倫也に訊いた。
「どこに行ってたって、ずっと神輿の下にいたよ。」
しかし、勇雄が神輿の下を覗いたときに、倫也の姿はなかった。
「ユーユーが見落としただけだろ。」
人間を見落とすほど神輿の下は広くない。しかし、現に倫也は神輿の下から現れたのだから、見落としたと言われても勇雄に反論の余地はなかった。
「まあ、力仕事は無理だけど、飾りを付けるとか、色を塗るとかならできるから手伝うよ。この子も祭りが見たくて百川に来たからね。」
百川出身である朱莉が、百川の祭りの楽しさを実音にとくとくと話したらしい。その実音は、悲しげな表情で無惨な状態の神輿を眺めていた。