響け!ソ連MSXの調べ・自由への限りない咆哮
このキレキレなテクノサウンドを聞いてみて下さい。87年のソ連の音楽って信じられますか?
ソ連のコンピュータ音楽の草分けとして活躍した「アンドレイ・ロディオノフとボリス・チホミロフ」という電子音楽デュオの「512KB」というアルバムです。プロローグ曲の「私はオンボードコンピューター」は彼らの決意表明のように聞こえました。
このアルバムの最大の特徴は、ヤマハのMSXとFM音源ユニットSFG-05の組み合わせで作曲されている点です。ジャケットの裏には使用されたヤマハYIS-805/128Rの写真があります。これは当時のソ連で最も一般的なMSXコンピューターでした。
アルバム名の「512KB」はYIS-805のメモリが128KBで、2台使用したので合計容量(RAM128kB・VRAM128kB×2) ということから命名されたとか。MSXユーザーならニヤリとさせられるセンスですね。題名の下にはComputer Musicとの表記があり、作者がMSXで作曲したことへのこだわりが伺えます。
レコードジャケットのデザインもMSXで制作されています。写真には手書きの「VGraph」というラベルが貼られたフロッピーディスクも写っていますが、これは自作のMSX用のグラフィックエディタの名前なのだそうです。マウスも一緒に写ってますよね、ジョイスティックもあるのがマニアらしいです。
彼らの1985年ファーストアルバム「パルス1」の制作にもMSXが使用されています。
ヤマハ CX5MミュージックMSX
ヤマハ DX7およびローランド JUPITER-4シンセサイザー
ローランド TR-909リズムコンポーザー
85年としてはかなり強力な編成です。しかし冷戦の時代にどうやって彼らがこの機材を揃えたのかは謎です。ヤマハの音楽機材は欧州でも大人気だったそうですから、そちらから紆余曲折を経て流れてきたのかもしれませんね。
「パルス1」はスポーツ用のBGMとして人気がありました。
現在でも活躍を続けるロシアのロックバンド「Пикник ピクニック」も初期のアルバムでMSXを使用しています。彼らはレニングラード工科大学の学生バンド出身だったので、コンピューターに慣れ親しんでいたのかもしれません。
旧ソ連時代の1986年に発表された「Иероглифヒエログリフ」ではヤマハCX5MIIとFM音源ユニットSFG-05の組み合わせを使用したそうです。
重厚に響き渡るFM音源と、ソ連特有の哀愁に満ちた歌声とが融合された神秘的な世界に惹き込まれてしまいそうです。4オペレータFM音源が冷戦期のソ連で鳴っていたんですよ!
ソ連の恐怖政治で最も迫害を受けたのは芸術家達でした。ノーベル文学賞を受賞した詩人ヨシフ・ブロツキーは「寄生罪」つまり無職の罪として強制労働に従事しています。戦争と愛を歌った80年代の人気歌手のヴィクトル・ツォイは竃に薪をくべる職を強制されました。ソ連では芸術家は職業とみなされなかったのです。
父も1971年にノイローゼになった同僚を精神病院にお見舞いに行った際、大勢の芸術家たちが実質軟禁されていたことに衝撃を受けたのだそうです。
余談ですがソ連では武道、特に空手が迫害を受けていました。オリンピック競技でないスポーツにうつつをぬかす反社会分子として、厳しい取り締まりを受けていたといいます。ポーランドで起こった暴動で空手家たちが警察のバリケードを突破したことが原因ともされています。
同じようにソ連では西側の音楽を非合法として禁止していました。しかし共産主義陣営もカセットテープの規格が西側と同じだったため大量の海賊版テープが流入し、僅かながらもソ連国民に浸透していったのでした。
父も自分の娯楽用として演歌のテープを持ち込んでいましたが、ロシア民謡と相通ずる哀愁に満ちた旋律は大人気だったそうです。
音楽は暗黒の闇に閉ざされたソ連国民にとって「差し込んできた一筋の光」そのものでした。同じように西側の自由の象徴の一つであるコンピューター・MSXを使って奏でられた演奏は、彼らの「自由への限りない咆哮」のように僕には聞こえたのです。