ウィザードリィ創世記・創造主を日本に導き勇者の物語
Wizardryは中々日本語に移植されていませんでした。それは遠い異国の神話の世界という印象。究極のRPGとの噂は伝え聞いてはいましたが、アップルⅡと英語が必須という敷居の高いものでした。しかしある若き勇者の冒険が、その神話を日本にもたらしたというお話です。
その勇者の名は鈴木茂哉氏。なんと彼は単身アメリカのサーティック社に乗り込みウィザードリィ日本語版移植を熱望します。英語が不得手にも拘らず作者のロバート・ウッドヘッド氏と意気投合し、ついには移植契約を勝ち取ってしまうのです。まだ若干20歳の彼は資金も実績も何もなく、あるのは溢れるばかりの情熱だけでした。
パソコンショップのゴロツキを自称する鈴木氏とパソコンマニアだったウッドヘッド氏との間には強烈なシンパシーが存在したようです。
何とウッドヘッド氏は来日を名乗り出て、自らウィザードリィの移植を行ったのでした。鈴木氏はそのサポートという役割。ここに日本におけるウィザードリィ神話がまさに始まろうとしていたのです。
当時ウルティマの作者ロード・ブリティッシュ氏と並んでPCゲーム業界の頂点にいたロバート・ウッドヘッド氏。そんな彼が日本の名もなき青年に対して対等に敬意を持って接してくれたことが僕はとても嬉しかったんです。やはりPCやゲームに国境はないのだと!
その後日本版のヒットを受け、究極のウィザードリィとも呼べるファミコン版が発売されます。ウィズは現在でも多くの人々に愛されています。
しかしその陰に熱狂的なウィズフリーク鈴木氏の「本物を日本のユーザーへ届けたい」という情熱があったことを、僕は皆さんにお伝えしたかったのでした。
現在鈴木茂哉氏は慶應義塾大学のコンピュータ関連の教授としてご活躍されているそうです。以前ツイッターにこの投稿をした時に「先生の若い時のお話しが聞けて驚いた」と生徒さんからのコメントを貰いました。
パソコン少年からコンピュータ・プロフェッサーと言う上級職に転職した鈴木茂哉氏。PC黎明期から現在まで活躍を続ける勇者の若き日の冒険譚は、ウィザードリィ以上に刺激的では無いでしょうか。
ウィザードリィ・狂王の試練場の日本語版にはもう一つの物語があります。ウィズのモンスターのグラフィックは専門のデザイナーである大浦由貴氏が担当しています。
実は大浦由貴氏は黎明期のアドベンチャーゲームの傑作「黄金の墓」やボーステックの「妖怪探偵ちまちま」の作者さんなんです。
両作品の独特な世界がウィザードリィと繋がっているなんて、これまたロマンに溢れたお話しじゃありませんか?
最後におまけでロバート・ウッドヘッド先生のWizardry入門講座。日本語版発売直後のログイン1985年12月号。現在では基礎教養とも言える内容ですが、当時の雰囲気を感じてもらえると嬉しいです😊