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ウィザードリィ創世記・創造主を日本に導き勇者の物語

Wizardryは中々日本語に移植されていませんでした。それは遠い異国の神話の世界という印象。究極のRPGとの噂は伝え聞いてはいましたが、アップルⅡと英語が必須という敷居の高いものでした。しかしある若き勇者の冒険が、その神話を日本にもたらしたというお話です。

テクノポリス1983年1月号。日本ではまだRPGというジャンルが定着しておらず、TRPGのダンジョンズ&ドラゴンズの説明から導入しています。日本でファンタジー世界が不毛だった時代、この剣と魔法の世界は限りなく魅力的でした。

その勇者の名は鈴木茂哉氏。なんと彼は単身アメリカのサーティック社に乗り込みウィザードリィ日本語版移植を熱望します。英語が不得手にも拘らず作者のロバート・ウッドヘッド氏と意気投合し、ついには移植契約を勝ち取ってしまうのです。まだ若干20歳の彼は資金も実績も何もなく、あるのは溢れるばかりの情熱だけでした。


LOGiN1985年10月号。国産PC用ウィズはアスキーからの発売だったので、ログインで発売前の特集が組まれました。


ここに鈴木茂哉氏の伝説が刻まれています。84年の12月に米国に赴いた際、泊めてもらった家人がウッドヘッド氏にコネがあるという偶然。早速彼の元へ出向くことになったと言います。


初代WIZは鈴木氏が慣れない翻訳も手掛けたようです。あの名言『いしのなかにいる』といった一風変わったメッセージはその名残なんでしょう。ウィザードリィII ダイヤモンドの騎士からは専門の翻訳の方が担当しているそうです。


認定証には憧れました。

パソコンショップのゴロツキを自称する鈴木氏とパソコンマニアだったウッドヘッド氏との間には強烈なシンパシーが存在したようです。
何とウッドヘッド氏は来日を名乗り出て、自らウィザードリィの移植を行ったのでした。鈴木氏はそのサポートという役割。ここに日本におけるウィザードリィ神話がまさに始まろうとしていたのです。


LOGiN1985年11月号。「生きたソース、ウッドヘッドを送ってきた」とあります。海外から移植されたゲームは数多いですが、作者本人が来日して移植作業を行ったゲームは極めて珍しいと思います。日本語版に標準で英語モードが搭載されているのは英語版が先に完成しているからなんですね。


1981年9月にオリジナル版が発売されたので既に4年以上の歳月が経っていました。もし鈴木氏の活躍が無ければその移植はさらに遅れ、ドラクエなどの日本のRPGの歴史は大幅に変わっていったかもしれません。

当時ウルティマの作者ロード・ブリティッシュ氏と並んでPCゲーム業界の頂点にいたロバート・ウッドヘッド氏。そんな彼が日本の名もなき青年に対して対等に敬意を持って接してくれたことが僕はとても嬉しかったんです。やはりPCやゲームに国境はないのだと!


テクノポリス1986年5月号。鈴木茂哉氏御本人の貴重なインタビューです。


鈴木氏はウッドヘッド氏の印象を「こいつも僕らと同じだな」と述べています。パソコン少年同志の強烈なシンパシーが伝わってきます。



既に84年で米国とのパソコン通信で打ち合わせをしていたという記事があります。
なんとセラミック製のMOS6502をお持ちだとか。これは1977年に作られたアップル1の初期出荷版に使われた伝説のチップです。


WIZの日本語版はまずPC9801で作成されたようですね。
インタビューの最後では現在のお仕事に繋がるようなお話が。 

その後日本版のヒットを受け、究極のウィザードリィとも呼べるファミコン版が発売されます。ウィズは現在でも多くの人々に愛されています。
しかしその陰に熱狂的なウィズフリーク鈴木氏の「本物を日本のユーザーへ届けたい」という情熱があったことを、僕は皆さんにお伝えしたかったのでした。


日本のウィズファンにとってお馴染みの末弥純氏の原画はファミコン版からの採用なんですが、実はMSX2版も同時期なんですよ!(重要😁)「一番いいでき」とウッドヘッド氏が唸ったFC版は羽田健太郎作曲によるBGMも相まって珠玉の作品と言えます。

現在鈴木茂哉氏は慶應義塾大学のコンピュータ関連の教授としてご活躍されているそうです。以前ツイッターにこの投稿をした時に「先生の若い時のお話しが聞けて驚いた」と生徒さんからのコメントを貰いました。
パソコン少年からコンピュータ・プロフェッサーと言う上級職に転職した鈴木茂哉氏。PC黎明期から現在まで活躍を続ける勇者の若き日の冒険譚は、ウィザードリィ以上に刺激的では無いでしょうか。


コンプティーク1986年7月号。大浦由貴氏はその後キャラザデ専門の会社を設立。

ウィザードリィ・狂王の試練場の日本語版にはもう一つの物語があります。ウィズのモンスターのグラフィックは専門のデザイナーである大浦由貴氏が担当しています。
実は大浦由貴氏は黎明期のアドベンチャーゲームの傑作「黄金の墓」やボーステックの「妖怪探偵ちまちま」の作者さんなんです。
両作品の独特な世界がウィザードリィと繋がっているなんて、これまたロマンに溢れたお話しじゃありませんか?


「黄金の墓」はマジカルズゥ主催の第一回アドベンチャーコンテストの最優秀作品。
大浦由貴氏の写真が見えます。この頃のAVGは夢が詰まっていましたね。


妖怪探偵ちまちまは西洋風と日本風の妖怪が登場します。
何となくウィズの世界に通じるものが😁


ウィザードリィで人生を狂わせた人は多いと思います。勿論僕もその一人です🥰

最後におまけでロバート・ウッドヘッド先生のWizardry入門講座。日本語版発売直後のログイン1985年12月号。現在では基礎教養とも言える内容ですが、当時の雰囲気を感じてもらえると嬉しいです😊







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