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魔改造されたソ連MSX・16台LAN接続可能YAMAHA KUVT

ソ連では教育用にヤマハのMSXが使用され非常に好評でした。ところがこのMSXはとんでもない魔改造を施されたシロモノだったというのが今回のお話です。何と最大16台に接続可能のMSXだったのですよ!


今回の主人公YIS503IIIR

ソ連の中学校の情報教育で使うために1985年ヤマハが製造したMSX規格の総称がYAMAHA KUVTでした。KUVTは大人気になり、その後の多くのソ連IT技術者を育てる礎になりました。
一例をあげますとWikipediaのサーバーで使われているnginxを制作した、旧ソ連・カザフスタン出身のイーゴリ・シソエフ氏はMSXユーザーでした。 2014年に来日した際に
「学校で日本の『YAMAHA』に出会ったことでコンピュータサイエンスの道に進んだ」
と語っています。イゴール氏が「MSX」といったとき、会場からおぉ~という歓声があがっていたとか。

YAMAHA KUVTにはいくつかのマシンがありYIS-503IIR・YIS-503IIIR・ YIS-805/128Rの三機種が主なものです。YIS503IIRはソ連で採用されていたフランス方式のSECAMビデオ規格に対応させ、ロシア語キーボードにしたMSXで、基本的に中身は日本と同一です。
ところがYIS503IIIRでは日本のMSXにはない強力なネットワーク機能が追加されています。これは学校での利用形態にあわせたもので、最大16台まで接続が可能でした。


YIS-503IIRはYIS503のRAMを64キロバイトにしたMSX機


日本のYIS-503IIの広告。キーボード以外基本的に同じ機種


主に教員用で使用されたYIS-805/128R


YIS-805はヤマハの誇るMSX最上位機種。

YIS503IIIRの原型はYamaha CX7M/128やYIS-604/128というモデルで、この機種はSFG-05 FM音源ユニットを接続することが出来る音楽用MSXです。このSFG-05の代わりに、YamahaシリアルI/OユニットMk IIというネットワーク専用のインターフェースを接続しているのが大きな変更点でした。


YIS-604/128は最初期のMSX2でメインRAMが128KBなのが特徴


CX7M/128も基本的には同じマシンです。


ヤマハのMSXはこのように裏の左側に独自スロットを増設することが出来ました。


SFG-05 FMサウンドシンセサイザーユニットIIは、MIDIインターフェースを備えたFM音源拡張。YM2164(OPP) 4オペレータ8chステレオとX68KのYM2151と近い性能。
1984年としては相当強力。

YamahaシリアルI/OユニットMk IIはどうやらSFG-05 FM音源ユニットを改造したもののようで、MIDI制御チップであるYM3802をそのまま流用し、ネットワークBASICを備えた32kB ROMが追加されているようです。このROMにはネットワークBIOSとCP/MがROMに搭載されていました。ネットワーク機能はこのCP/Mのコマンドとして実装されていたと資料にあります。


シリアルI/OユニットMk II。これをSFG-05の代わりに差し込む。
どうやら「がわ」もSFG-05の流用みたい。


シリアルI/OユニットMk IIの内部回路。
MIDI制御チップであるYM3802がそのまま使われています。


SFG-05を使用した場合。左から順にミュージックキーボードコネクタ、MIDI INOUT端子、左右オーディオ出力端子


YIS503IIIRの側面。
MIDI INOUT端子を流用したLAN接続端子に入れ替わっているのが解ります。


拡大図。教員用と生徒用に切り替えるスイッチが付いています。

1985年当時で日本でもLAN接続されたMSXが運用された話はあまり聞いたことがありません。少なくとも日本のヤマハMSXでは公式にこのシステムが販売されたことはありませんでした。世界的にも採用されたのはソ連だけだったようです。
何故ソ連がこのような高度なシステムを採用したのか、それともヤマハからの提言だったのかは今となっては解りません。しかしこの出来事は世界統一規格として西和彦先生が提唱した、MSXの強力な拡張性能を現す一例ではないかと思うのです。


教員用のYIS-805/128Rもこの機能に対応。シリアルI/OユニットMk IIを接続した背面。


LAN接続のイメージ図


Network BASICの画面


おまけで珍しいYamahaのCP/M

今回のお話は僕のMSXの未熟な知識では理解できない部分が多く、間違っている点も多いかと思います。ですから話半分に聞いて頂ければ幸いです。
しかし冷戦の閉ざされたソ連で、MSXの実験的システムが実際に運用されていたなんてロマンに溢れたお話だと思いませんか?


ソフトウェアシステム研究所RASで使用されたヤマハYIS-503IIR (KUVT)。1986年

ちなみに 1985年10月「4200台の『YAMAHA』が駐日ソビエト連邦通商代表部を通じて日本からソ連に輸出された」とソ連政府の公式の記録がアーカイブされていました。父に頼んで翻訳してもらったところ

1985年に第一弾として250台の完成したMSXコンピュータが購入された。これらのうち93セットがロシアに、 28セットがウクライナに、2セットがトルクメニスタンに移送され、その他はソ連教育省、ソ連国家専門教育委員会、ソ連高等省の管轄に移された。
教育以外ではソ連鉄道省、ソ連中央統計局に納品。 25台は教育用ソフトウェアの開発のためにソ連科学アカデミーの組織と多くの大学に譲渡された。

とあります。父の解説だと「ソ連の主要な公的機関に分散して納品し、パソコンの運用方法の可能性を探っていたのではないか」とのことでした。
前回お話したとおりソ連国内で運用されていたMSXの実数はそれほど多くはありません。しかしコンピューター未開の地において、多くのユーザーに未来の光を当てたパソコンがMSXだったのではないでしょうか。


ウクライナのマリウポリ・コンピュータ博物館

最後に「ウクライナのマリウポリ・コンピュータ博物館は、1950年代から2000年代初頭までのレトロなコンピュータ・ゲーム機・技術など500点以上の個人所有のコレクションで、約20年かけて収集されてきたが爆弾によって破壊された。」と報じられています。
父も僕もこのロシアの蛮行に心から憤りを感じています。館長の無事と博物館の再建を心から祈っております。

数々の貴重なパソコンの映像。心が痛みます。


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