翔べ!宇宙を馳せたMSX・宇宙ステーションミールのHitBit
ソ連でのMSXの活躍で一番有名なのは宇宙ステーションミールに搭載されたMSXでしょう。今回はこのロマンに満ち溢れたお話を徹底的に特集します。
搭載されていたのはソニーのMSX2・HB-G900P。これは日本でのソニーHB-F900・通称HitBit PROの欧州版です。これにはHBI-G900Pというビデオタイザーがセットになっていました。1986年にプロ向けのAV編集用MSXとして、ソニーの威信を賭けて開発されたソニーMSX2最上位モデルです。ミールでMSXは画像処理の用途で使用されていました。
このMSXがどういう経緯でミールに搭載されたのか、そしてどのように使用されたのかは謎に包まれていました。
航天機構さんの2008年9月2日のブログに詳しい解説がありましたので、それを参考に紹介したいと思います。
まずMSXはミールに初めから搭載されていたわけではありませんでした。ミールは旧ソ連時代の1986年2月19日に打ち上げられ、その制御コンピュータはロシア製やウクライナ製が使用されていました。
MSXの存在は資料上には存在せず、NASAやロシア側のアーカイブにも記述は無かったそうです。しかしMSXの映像は数多く残っていてミールで使用されていたことは間違いないようです。
そもそもHB-G900発売は1986年末でミールの運用初期には間に合いません。また1990年12月のTBS特派員、秋山豊寛さんのミール訪問時にはHB-G900はなかったようです(もしあったら間違いなく放送されたでしょう!)
HB-G900がミールで運用され始めたと考えられるのは1993年前期からで、コアモジュール(中心部分)のコンソール上という重要地点に設置されていました。
ここから推理するにミールにMSXが設置されたのは1990年から93年の間と言うことになります。その理由はずばりソ連邦崩壊にあったのでした。
ミールのドッキングシステムはウクライナ製だったのですが、これは1回限りの使い捨て品でした。しかしソ連崩壊でウクライナが独立してしまいロシアにシステムを販売してくれなくなると、ロシアは自前のドッキングシステムを再構築しなければならなくなります。
しかし当時のロシアはソ連崩壊の直後で経済的困窮のどん底にありました。更に1993年、ロシアと米国は共同で国際宇宙ステーション(ISS)計画を発表します。
この為アメリカのスペースシャトルとのドッキングミッションが急浮上、とにかくロシアは急いで安価なドッキング補助システムをでっち上げる必要があった訳だったのです。
そこに白羽の矢が立ったのがHB-G900でした。恐らくピンチヒッターとしてのMSXは、その高い信頼性と完成度からうってつけだったのではないでしょうか。
それではHB-G900は具体的にどのように使用されていたのでしょうか。航天機構さんはこう推察されています。
「HB-G900のスペックからして、それがドッキング補助システムの一部であった事は間違いないものと思われる。考えるに主コンソールの上という位置は、ドッキング補助システムの指定席ではなかったかという推測ができると思う。」
「ミールのコンピュータシステムからドッキングに必要なパラメータを受け取り、ドッキングモニタのビデオ画像に数値などをスーパーインポーズする。ただそのためだけにHB-G900は存在したのではないだろうか。」
「HB-G900がウクライナ製システムの補助か、シャトルドッキングの補助か、もしくはそのその双方を兼ねていたかは不明である。」
その後ロシア製の新型ドッキングシステムが完成すると、HB-G900はその役割を終えることになりました。
この経緯を見てみるとHB-G900はあくまで緊急のピンチヒッターと言うことが解ります。しかし冷戦崩壊後のロシアであればいくらでも西側のパソコンを購入できた筈です。その中でMSXが選択されたというのは、やはりソ連時代からMSXが高く評価されていたことの証明だったと思います。
ちなみにココム規制(対共産圏輸出統制)により16bit機が輸入できないので、8bitPCであるMSXが使用されたという件とは今回関係ありません。冷戦が終結してソ連が崩壊するとココムの意義が薄れ、1991年末に大幅な規制緩和が行われたからです。
93年時点でMSXは日本ではもはや旧式化が著しく、その文化も一旦の終焉を迎えようとしていました。しかし93年から97年まで、宇宙ステーションのドッキングシステムという科学技術の最先端の現場でMSXが使われていたということに、僕は限りない感動を覚えたのでした。
その後ミールは1986年の稼働から15年が過ぎ、予想耐用年数を9年も超えて老朽化が深刻となります。あらゆる手を尽くしてスタッフはミールを軌道に乗せ続けたものの、2001年3月23日に南太平洋上の大気圏に再突入しその歴史を閉じることになりました。
時はインターネット黎明期、MSXの国際メーリングリストでは数々の追悼メッセージが流れました。
科学の為、そして人類のために命を落とした偉大なるMSXに敬意を表して・・・・
しかし、はたしてHB-G900は本当に燃え尽きてしまったのでしょうか?
ここからはMSX狂の僕の限りない妄想です。稼働15年の間、ミールには機材のほか蓄積されてきた雑多なものが詰め込まれていたと言います。
NASAの宇宙飛行士マイケル・フォールは「ロシア人は何も捨てたがらず、そこら中に物が保管されていた。腕を伸ばせる空間もなかった。」とボヤいています。この様子は多くの映像から伺えます。
ところが2000年頃に、ミールを軽く内部空間を広くするために多くの物資が廃棄されました。HB-G900も姿が見えないので同じように廃棄されたと推測されます。
しかし宇宙ステーションでの「廃棄処分」とは、宇宙空間に送り出すことではないでしょうか?もしそうだとしたら・・・・
HB-G900は衛星軌道上で今も現存しているのでは!
僕は高度358kmの神々の統べる地から、HB-G900が我々MSXユーザーを見守ってくれているような気がしてならないのです。
1995年11月のミューズの船内の様子。39秒あたりからHB-G900が見えます。実際に画像が映ってMSXが使用されている点に注目してください。
最後におまけで父の見学した80年のモスクワ宇宙博覧会の写真です。
資料提供 MSX Resource Centerの仲間達
航天機構 様
感謝しますm(__)m