回想/Haut a courroies
中学3年、15歳の秋、短い人生の中ではそれなりに大きな挫折になり得る経験をして、その日からまっすぐ歩けなくなった。それは文字通りの意味で、両手は教科書類を抱えるのでやっと、足元はおぼつかず、移動教室のたびに、やたら広い廊下をふらふら歩く。
そのときはまだ、傷付いた人間とは大抵皆このようになるものなのだろうと、体の不自由も受け入れていたが、そのうちにいよいよ登下校ができなくなった。
とにかく頭が割れそうに痛い。常に痛い。頭痛薬が全く効かない。起き上がれない。行ける日だけ、母の車の送迎で登校するようになった。あとはだいたい、眠っていたと思う。
年が明けた。
関東には珍しく、わずかに雪が積もった日、ついに救急車で運ばれた。朧気な意識で、担架から仰いだ青空。それはそれはよく晴れた朝だった。
搬送された海辺の病院に、そのまま入院することになった。
ベッドが窓際でないことは不満だったけれど、部屋の隅だっただけ、まだマシだと思うことにした。
いくら検査をしても、明確な病気は見つからなかった。強いて言えば重度の貧血。そういえば、夏からずっと生理が止まらない。
腰に針を刺されて髄液まで検査されたけれど、そんなところに不調があるとは少しも思えなかった。精神科にまわしてほしいと喉元まで出かかっていた。結局ため息になって消えていった。
窓から見える海だけがはっきりと青く、それ以外のすべてが、ふるびているというほどではないのに、ぼんやりと黄ばんだ白だった。天井も、壁も、シーツも、カーテンも。面会に来てくれた担任が着ていたフリースさえも。
そんな日々の中で、彼女と出会った。
黒く長い髪。暗い色のパンツスーツ。7cmのヒール。血のように赤い鞄。
彼女は脆くも強く、持ちものは遠慮なく振りかざし、直感を信じた。この病室には似つかわしくない激しい喜怒哀楽は、ろくに動けないこの肉体には、鮮烈なカタルシス、だった。
彼女もまた、かつて入院していた頃に、ある女性に勇気づけられたと語った。再演。赤いバトンが手渡された。
根本的な解決が何も得られないまま、ぼろ雑巾のような体を引き摺って、わたしは、走り出した。赤いバトンを握っている以上、そうするよりほかになかった。