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移住前は「絶対いる!」と思ったけど、移住後に「そこまでいらない?」と思ったもの。
今日は、海外移住に「いると思ったけど(そこまで)いらんかったー 」と、感じたことについて書きたいと思います。
海外移住前に「これは必要でしょ」と思っていたもの3選
まず、私が海外移住を検討したときに「これは必要でしょ」と思っていた(であろう)ものは下記の3つ。
①お金
②英語力
③コミュニケーション力
あらまぁ、
ふっつーーー。
他に何かあったかな。
一般的に言われることでは、準備期間とかでしょうか。
準備期間については、以前ブログに書いたことがありました。→「起業するなら若いうち?」は真実なのかどうなのか
このブログで私は「準備期間なんて短ければ短いほどいいぜ」くらいのことを吠えていますが、今思うとそれは移住前の失敗からきているのかもしれません。
海外移住したい!と思い始めた頃、私は「社会人になったら、1年で100万円ずつ貯めて3年で300万円持ってアメリカ行くぞー!」と息巻いていました。
が、アリの握力に負けるほどの意思力しかもたない私は、
「1年で100万円ずつ貯める」はずのゴールが途中で、
「1年間はお金を貯める」
からの
「1年くらいはなんとなく貯める方向性で」
くらいのゆるーい設定に変化していき、
結局目標金額にはまったく届きませんでした。
そのときに思ったのです。
「私のような意思最弱人間は、時間をものさしにしたゴール設定はしちゃだめなんだ!」と。
海外移住後に「あれ?そこまでいらなかった?」と感じたもの2選
先に挙げた3つの項目のうち、海外に移住してから(そこまでは)要らなかったと思ったのは、下記の2つです。
①お金
③コミュニケーション力
②の英語に関しては、もちろん必要でした。
(期待されていた方がもしいたらごめんなさい)
でもそれはスキルというか、マナーに近い種のもので、
英語は必要ですが、「英語に対する極度な苦手意識」は完全に要らなかったなーと思います。
それでは①と③について順番に解説していきます。
(お金大好きな)私が、お金より欲しかったアレ。
最初に「海外に移住したい!」と考えたとき一番必要だと思ったものは、お金でした。
というか、お金さえあれば誰でもすぐに行けると思っていました。
でも実際海外移住を始めてみると、渡米前に感じていたのとは少しニュアンスが違っていました。
もちろん、生きていくためにお金は必要です。
でも、、、
必要だったのは、お金ではなく仕事でした。
なんだーーーーい。お金要らないって話じゃないんカーーい。
と思われた皆さん、すみません。
海外生活、特にアメリカ生活においては
お金、めちゃくちゃかかります。
が、しかし!
お金の不安をお金で解決するためには、とんでもない額が必要になるのがアメリカ!
日々かかるお金のレベルが壮絶なので、安心できるまでお金を貯めてから移住をしようと思ったら、私なら永遠に来れなかったと思います。
300万円貯められなかった私がしがみついた都市伝説に「1人100万円あれば大丈夫」というものがありました。
実際のところ、100万円じゃ当時の物価をもってしても、全然足りていなかったはずです。
だけど、500万円あったからとて足りるわけではなく、「安心できる」金額なんて、きっとゼロが3つくらい足りないのがアメリカ!
つまり、お金は必要(あったりまえやー)。
でも、お金はいくらあっても安心できないので、
本当に必要なものは、お金を生む可能性のあるネタ。
ということになると思います。
「ネタ」とは、私のケースでは仕事しかありませんでしたが、投資でもいいし、お金になるかもしれないスキルでもいいし、
極論「行けば稼げるしょー」という強メンタルだって「ネタ」になると言えるかもしれません。
お金を作れるネタの引き出しをできるだけ作っておいて、「お金を貯めて海外に行こう」「お金を貯めて安心しよう」という考え方から、まず離れることだと思います。
海外移住も結婚と同じ。
移住するのがゴールじゃなくて、移住がスタートなんです。
ちょっと伝わりづらかったかもですが、言いたかったことは「お金がない」という理由だけで海外移住を諦める必要はない!なぜなら「お金が足りる」日なんて、多くの人にとって永遠に来ないのだから!!というお話でした。
アメリカですら、コミュ力必要ない説。
私が海外移住前に、「これは必要」「これは身につけたい」と思ったスキルのひとつ「コミュニケーション力」とは一体なんざましょ。
気になりましたので、ちょっと調べてみます。
コミュニケーションの語源は、ラテン語の「コミュニス(communis)」という「共有、共通」を意味する言葉です。
コミュニケーションとは「対人間での情報共有や意思の疎通」のことであり、コミュニケーション能力は、それらををスムーズに行うことができる力のことです。
せっかくなのでChatGTPにも聞いてみましょ。
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なんかふわっとしてますが、海外生活どころか人生に絶対必要なものでもない気すらしてきます。
私は自分をコミュニケーション力が高いと感じる日もあれば、低いと感じる日もあります。
どんな人でも、一年365日同じテンションで生きているわけではないし、そんなものだと思っています。
私が海外移住する前に「コミュニケーション力を身につけたい!」と感じていた理由はただひとつ、
英語ができなかったからです。
「英語ができなくても、語学を超えるコミュニケーション力さえあればきっと乗り越えられる」→「英語よりもコミュニケーション力のほうがふわっとしてて可能性ありそう」と、思ったのです。
結果、コミュニケーション力の高め方なんてわかるはずもなく、
「高めようとしても高まったかわからない」→「じゃあもう高まったってことで行っちゃえー!」となり、今に至ります。
15年以上暮らしている今でも、コミュニケーション力が海外生活に必要なのかどうなのか、、、
まったくわかりません。
いや、私はまったくそうは感じません。
海外生活を始めてから「コミュニケーション力」という言葉にまったくピンとこなくなってしまったのです。
だってだって、
どうやって測るのー!?
皆さまは、テーマパークのアトラクションの入り口に、身長による入場制限があるのをみたことがありますでしょうか。
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こんな風に明確に測定できて、
空港の税関とかで
「ハイ、あなたコミュニケーション力2cm足りてないので入国できません」
みたいなしくみなら、納得できます。
でも、コミュニケーション力の「高い/低い」は、自分が決められるもの。
「言っちゃったもん勝ち」の、目には見えないものさしなんです。
コミュニケーション力が、海外生活に要らないのかどうかはわかりませんが、私にとっては「そんなに気にするほどのものではなかった」とのは確かです。
国が変われば、言語も文化も変わるので、求めらるコミュニケーション力も違うと思います。
私なんて、1週間の間にもコミュニケーション力のレベルがコロコロ変わります。
でも、評価するのは自分だと思えば、気にする必要もありません。
そのことに気がついて「あ、(心配していた)コミュニケーション力なんていらなかったんだ」と思えたのかもしれません。
コミュ力なんていらない?
大人になるにつれ少しはマシになりましたが、幼少期は極度の人見知りで、「母親のスカートの影に隠れている子ども」の実写版だった私でも、
コミュニケーション力高い人しかいない(ように見える)国、アメリカで働きながら生きて行くことができるんです。
少し違う話ですが、私よりさらに人と付き合うのが苦手という人にとっても、「コミュ力足りない人に時代が合ってきている」と感じます。
電話が苦手だったら、テキストでやりとりできる。
人に会いたくなかったら、Zoomで営業することもできる。
メールの文章を書くのが苦手だったら、ChatGTPが代わりに書いてくれる。
苦手なことはやらなくていい世界は、こんなところまできているんだなーと実感します。
この意味でも、コミュニケーション力なんてますます要らなくなってきているのかもしれません。
こっちの世界が、好きか嫌いかは別として、ですが。
無理やりまとめます。
話があっちこっちにいってしまってすみません。
今日はなんでまたこんなネガティブなのかポジティブなのか、よーわからん日記を書いたかと言いますと、
まず大前提として、私は海外移住をするしないにかかわらず、視点を増やして、視野を広く生きたい&娘にもそうあってほしいと願っています。
そんなことを発信しているうちに、海外移住に関する質問を受けるようになり、それに答える形でこのブログを始めました。
私が海外移住をする前に「これはいるでしょー」からの「私それもってないからまだ移住はできない」と考えていたら今の自分はないわけで、
来てみたらやってみる前に「これがなきゃ!」と思っていたものは、そこまで要らなかったよってことを伝えたいと思ったのです。
「やらない理由を探す名人」だった私が、行動する前にやらない言い訳にしていた理由を、同じように感じている人がもしいたとしたら、
「それはいらないから、だいじょぶよー」と伝えたかったというわけです。
忙しさを言い訳に「散文すみません!」ブログになってしまいましたが、
最近思うのは、忙しすぎて頭がとっ散らかっちゃってるときこそ、頭を整理するためにも「書く」時間は大切だなということ。
そう、「落ち着いたらブログ書こう」と思っていたら、書ける日なんてこないんだ。
というわけで、最後までお付き合いいただいてありがとうございます♡