子育て論ならぬ、子育てられ論。
私がアメリカ移住を決意したのは、テレビドラマにハマるという大変浅はかな理由からでした。
でも移住後に「永住したい」と考えたのは、「この国で子育てがしたい」「娘はアメリカで育ってほしい」と感じたことが大きな理由でした。
学校教育しかり、家庭教育しかり、我が家にはアメリカのほうが合っていると感じたのです。
またアメリカで出会ったママ友、パパ友たちから「子どものために自分の楽しみを犠牲にする」といった感覚をまーーったく感じず(!)、親になってもひとりの大人として人生を謳歌する姿に憧れた部分もあります。
「この国で親になりたい」というか「母親業をするならこの国がいい」という気持ちでした。
アメリカに移住して、
アメリカで働いて、
アメリカで子育てをしていると、
ときどき日本の方々からこんな質問を受けます。
「帰国子女なんですか?」
または
「実家がお金持ちなんですか?」
その答えは、
いいえ。
まったく。
です(涙)。
私の実家はお金持ちでもなければ、両親が私たちをグローバルな環境で育ててくれたわけでもありません。
うちの両親はこんな人たち。
ブログにも本にも登場するうちの父は、英語を話せるわけでもなく、駐在員などの海外生活経験があるわけでもありません。
ただ、動物的な魅力(?)に溢れていて、世界中に友達がいるような人ではあります。
繰り返しますが英語はほとんど話せません(でも声は大きいからなんとなく通じる)。
愛媛の田舎で生まれ育ち、大学で東京に出てきた父にとって、東京はきっと外国くらいのインパクトであったのではないかと思います。(父の実家より”田舎”な場所を、私は日本で他に見たことがないくらいの”ど”田舎で育った人なのです)
そして母にも、グローバルなバックグラウンドがあるわけではありません。英語はきっと父よりイケるのではと想像しますが、母が英語を話しているのをほとんど聞いたことがありません。
母の両親が生きていた頃は、何不自由なくお嬢様生活を送っていたと思いますが、亡くなってからはとっても苦労したみたいです。今じゃ想像もつかないけれど体も弱く、昔実家をリモデルするときに見つけた母のアルバムによると、涙なしでは観られない映画のような半生を送っていました。
ドメな家庭で育った私がグローバル化した日。
そんなTHEドメスティックな両親に育てられた私が、海外に強い憧れを抱いたのは、忘れもしない8歳のとき、家族で行ったカナダ&アメリカ旅行がきっかけでした。
「家族で海外旅行?やっぱりお金持ちなんじゃねーか」と思った皆さま、
違うのよ、それが。
実は私が7、8歳のとき、元お嬢様な母の家族の遺産相続が行われ、我が家にまとまったお金が入ってきたそうです。
母はそのとき父に「家のローンを完済しよう」と提案したそうですが、
父は「子どもたちに世界を見せよう」と、夏休みにカナダ&アメリカ旅行を企画しました。
当時の私は海外旅行なんて興味もなく、特にCanadaは「カナだ(自分の名前)」みたいで「行きたくない」とすら言っていました。
そんな私が行きの飛行機に乗り込んだ瞬間、すっかりグローバル化(?)し、「カナダ&アメリカ大好き人間」に生まれ変わってしまうのです。
やっぱり、体験ってすごいよね。
余談ですが、当時ANAが「12歳未満の子どもはエコノミーの料金でビジネスクラスに乗れちゃいます!」というキャンペーンをやっていました。
今思えばそれって、お金持ちのご家庭が「家族みんなでちょっとお安くビジネスに乗れる」という企画だったと思うのですが、、、
うちの両親は、私と2歳上の姉だけをビジネスクラスに送り込んでくれました(笑)。
搭乗時に12歳と数ヶ月になってしまっていた4歳上の兄が、食事サービスのたびにカーテンを開けてビジネスクラスに潜入してきて「いいな、いいなー」と指をくわえて見ていたことを、今でも鮮明に覚えています。
私は人生で「指をくわえて見る人」を、実際に見たことがあとにも先にもこのときしかありません。
皆さまは、見たことありますでしょうか。
「指をくわえて見る人」の実写版、、、
結構シュールです。
さて子ども2人でビジネスで旅する私たち姉妹に、CAさん(当時の呼び名はスチュワーデス)はとても優しく接してくれ、私の夢は一瞬にして「スチュワーデス」となります。
そしてこの日こそが、私のグローバル化の幕開けとなったのです。
(長くなるので割愛しますが、この夢は大学時代にCAさんの過酷な現場を目の当たりにした経験から夢のまま消えてしまうことになります。)
私の海外志向を育てたのは両親だったのか。
それでは、私の海外思考を育てたのは両親だったのでしょうか。
きっかけをもらったという意味ではもちろんその通りで、両親には感謝しかありません。
ただうちの親の子育ては、友だちから聞くそれとはだいぶ違っていて、子どもの頃はよく「うちはなんで普通じゃないの?」と”普通”に憧れてばかりいました。
”普通”に憧れ続けて子ども時代を終えた私は、キラッキラライフを求めて、チャラめな東京の大学に進学することになります。
大学では芸能人の息子やスポーツ選手の娘など、子どもの頃に出会った「お金持ちの子」とはレベル違いの「スッゲー子」たちにたくさん出会いました。
友だちの家に集まってテスト勉強をしていたら(まず、実家が松濤とかだし!!)、テレビで観たことのある「お父さん」が帰ってきて、アゴが外れそうになったこともありました。
ちょうどその頃、二世の苦悩について書かれたニュース記事を読んでハッとしたことがあります。文面を正確には覚えていないのですが、「親が子どものために何かを諦めたことを、子どもが知るのは悲しいことだ」ということが書かれていました。
たとえば「母親がスター」というケースで、子どもが「ママは僕のためにステージに立つのを諦めた」と感じてしまったとしたら、それは親にとっても子どもにとっても不幸だという内容でした。
そして当時クラスメイトだった二世タレントさんが、この記事に心から共感していたのがとても印象的でした。
お嬢様でも二世タレントでもないワタシが、その記事を読んでひとつだけ分かったことがありました。
それは「うちの親はスターではないけれど、自分の人生をめちゃくちゃ楽しんでいる」ということ。
父はサッカーやスキー、テニスなどのスポーツが”超”得意で、カヌーやキャンプとアウトドアも好きで、新しいことや創り出すことが大好きな人。デジタルアナログ関係なくクリエイティブが得意で、セルフビルドで家まで建てちゃうような超変人です。
子どもの頃「ディズニーランドに行きたい」とお願いしたら、母と子ども3人を入り口まで送ってくれ、自分はサッカーの練習に行き、時間が余ったらホームセンターやヨドバシカメラで「次にやりたいこと」のアイディアを膨らませ、ディズニーの花火が終わる頃に出口まで迎えに来てくれるような人でした。
子どもながらに「父は自分の人生を楽しんでいる」という感覚が常にあり、父が「子どもたちのために何かを諦める」という場面に遭遇した記憶がありません。
母はもしかしたら父よりは、子どものために我慢することがあったかもしれません。お化粧やファッションにあまりお金を使っていませんでしたが、それは私たちのためだった可能性もあります。いや、ないかなー。
そんな母はよく習いごとをしていて、大好きな茶道も20年以上続けていたし、お花を習ったり陶芸を習ったり、万葉集を勉強していたこともありました。読書と芸術が好きで、美術館や芸術系イベントに連れて行ってくれるのはいつも母でした。
手先が器用で、母が作ったパッチワークの作品が展示されていたり、ソーイングは今でもプロのお直しをお願いしてるほどの腕前です。あとパン作りとか、ガラス細工とか、ガーデニングも得意だし、とにかくクリエイティビティ溢れる手作り職人です。
母に「子どものために諦めたこと」があったのかどうか、本人に聞いてみないとわからないけれど、大人になってからは特に、母に対しても「自分の人生を楽しんでいる」印象が強いです。
きっと私は、人生を楽しんでいる両親に育てられたから、自由な感覚が育ち「(あまり深く考えずに)海外に移住する人」になったのだと思います。
親が反対するような夢を。
少し違う話ですが、以前尊敬する人生の先輩が学生に「親に反対されるような夢を抱け」というメッセージを伝えていたことがありました。
20年も30年も世代の違う親に理解されるような夢では、時代に合っていないし、親が理解できて賛成してくれるような夢は、イノベーションではない、もっとはちゃめちゃな規格外の夢を描けという内容でした。
めちゃくちゃその通りだと思ったし、私も心から大賛成しました。
私は、海外移住含め、親にやりたいことを反対された記憶がありません。
あ、家出して彼氏と住もうと計画してたのが見つかったときは止められたね。
これは「どんなときでも子どもを応援してくれた」という”いい話”にまとめることもできるのですが、
今考えると、両親が自分たちの人生を「ちゃんと」楽しんでいたからというほうがしっくりきます。
自分の娘が高校生になって余計に感じることですが、親には親の、子どもには子どもの人生があります。
親は「親でいること」だけが人生でもなければ、当たり前ですが職業でもありません。
なんとなく今の日本には「親でいること」を過剰に捉えている人が多い気がしてなりません。
世界には親である前に、ひとりの人間として自分の人生を楽しんでいる大人たちがたくさんいます。
子どものために親が何かを諦めることや、自分の人生を充分に楽しめないことは、お互いにとって不幸につながってしまうことがあります。
「自分の人生を楽しむこと」を子どもたちに見せ続けてくれている私の両親は、もしかしたらすごく欧米的な子育てをしてくれたのかもしれません。
英語は全然、話せないんだけどね(笑)。
ときどき受ける「日本にいてもグローバルに活躍できる子どもを育てるには」という問いに対して、ワタシが全力で答えるとしたらそれは、
親が人生を楽しむ姿を子どもに思いっきり見せましょう。
ということになるのかもしれません。
世界中どこにいたって、人生を楽しむ親のもとに生まれた子どもたちはきっと、世界中で人生を楽しめる人に育つと思うから。
そして、世界中どこにいても楽しくしぶとく生きていく力をつけるということが、英語よりずっと大切なグローバル力なのだと思います。