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本を100冊手放して残った2冊とわかったこと
本は1トンくらい読んでいると思います。
もっとずっと若かった頃から、
なにか仕事でつまずいたとき、もっと勉強が必要だなと思ったとき、
私は本を読むことで前に進んできたように思います。
いつだったかもう忘れましたが、ある時ふと気づきました。
「ほとんどおなじことが書いてあるんじゃないの?」
ビジネス書や自己啓発の類が多かったからかもしれません。
気づけばタイトルや目次を読んでおもしろそう!と思って手に取った本も、
少し読んで「どっかで読んだな」というデジャブ感を感じることが多くなりました。
それまで、読んだ本は手放せずに本棚にきれいに並べていました。
でも「ほとんどおなじことが書いてあるんじゃないの?」と気づいてから、
その時そのときに必要な情報を頂いたら手放して問題ない
と考えるようになりました。
買っては読み、手放す
このサイクルを何度も繰り返してきました。
今回で何周目のサイクルかわかりませんが、
つい最近、またこの手放しを経て気付いたことがあります。
100冊手放して気づいたこと
4月くらいからこれまで、合計で100冊ほど手放しました。
何周目かのサイクルなのに、それでもまだ100冊くらいありました。
手放したことで気づいたことがあります。
1.主語を大きくしがちなんだってこと
2.いくら読んでも、どこにも解決策は書いてないんだ
3.もう本に頼らなくてもいいんじゃない?
1.主語を大きくしがちなんだってこと
こどもが自分が生きてきたような「当たり前」を歩まない、
そう決めたこともあったと思います。
また、私自身が前々から、教育のようなものに興味関心があったこともあったでしょう。
・新しい学校をつくろう!系の本
一般的な一斉授業の是非を再度考えるようなもの
・オルタナティブ教育についての本
・〇〇の未来とか、そういう系の本
とにかく主語が大きいな、大きくしがちなんだな、と気づきました。
幸せにしたいのは、まずは半径5メートル以内なのに、
とにかく、
学校教育はこうすべき!とか未来の教育はこうなったらいいよね!とか
主語がデカいのです。
志高いのはいいとして、
灯台下暗しといいますか、森を見て木を見ず(木を見て森を見ずの逆ですね・・・)といいますか・・・
なんだかそんな気持ちになりました。
2.いくら読んでも、どこにも解決策は書いていないんだ
こどもの特性や、学校にいかない選択のこと、
あらゆる段階に応じて、わらをもすがる思いでいろいろな本を読みました。
どこかに何かのヒントがあるかもしれない、
これを読めば解決できるかもしれない、
助けを求めていたのだと思います。
何周目かの手放すサイクルをくぐり抜け、
ずっと本棚に居座っていたこれらも、ぜんぶ手放すことにしました。
いくら読んでも、どこにもほしい情報はなかった
ようやくそれに気づいたからです。
一般論は書いてあります。勉強になりました。
でも、目の前の自分の子どもに当てはまるとは限らない。
あれだけ探して探して読んだけれども、
それは書いていなかった、そう思えました。
3.もう本に頼らなくてもいいんじゃない?
一周回ってそう思いました。
いろんなことを私に教えてくれた本という存在ですが、
本棚にいつも鎮座させていたのは
覚えておかないとならない
本がなくなったら、わからなくなったとき読み返せない
そんな不安からだったように思います。
もう自分の中にあるのではないか
わからなかったらまた手に入れるすべはあるのだから
何周目かのサイクルによって、そう思えるようになりました。
まとめ
今回は、100冊の本を手放して気付いたことについて書きました。
今でも本は大好きで、自分の支えになってくれている存在です。
教科書全部捨てても残っているのが知識
という言葉を聞いたことがあります。
本を手放しても自分の中にちゃんと残っている
これを信じられるように少しはなったかな、と思っています。
長くなってしまいました。
「100冊手放して、それでも残した2冊について」
この2冊なのか・・・と自分で少々の驚きもありながら、
とても大切な本を残すことになりました。
別の記事で書こうと思います。